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インタビュー 和泉聖治

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映画館での2時間を日常を忘れて、ただ楽しんでほしい

「相棒」シリーズの監督に東京で伺った作品づくり 「ガチ!」BOUT.159

10年以上にわたり圧倒的人気を誇る国民的大ヒット作品「相棒」シリーズのメーン監督を務める和泉聖治さん。洋画や米小説に大いに影響を受け、映 画監督としての道を歩み始めた。テレビに、映画に、数多くのヒット作を世に送り出した“和泉監督”ができ上がるまでの道のりと、その軌跡を振り返りなが ら、東京でお話を伺った。
(聞き手・高橋克明)
◇ ◇ ◇

監督のキャリアを拝見すると、高校卒業から映画監督になるまでの経緯があまりにバラエティーに富んでいるというか…。
和泉 もう、いろんな…。ダンプカーも乗りましたし、船も乗りましたよ。捕鯨船の後ろをついていく冷凍船っていうのかな、解体されたクジラを積み込んでいくっていう。ま、当時は人手不足だったので、僕、船員免許も持ってないのに機関士として乗せられてって感じで。
 (笑)。他にもバーテンだったり、イラストレーターだったり…。
和泉 ええ。いろんな仕事に興味があったんで、アルバイト感覚でできるようなものをちょいちょいとね。あとは日本全国にキャンバスを担いで、酒場で似顔絵書きをしたりとか。いつもだいたいそんなふうにふらふらしてました。(笑)
そんな経験も今の作品づくりにはいい影響を与えている…。
和泉 ……ええ。……多分(笑)、役には立ってるとは思いますけどね。

映画監督になろうと思ったキッカケは何だったのでしょう。
和泉 あの〜、僕、実は絵描きになりたかったんですよね。ずっと絵をやっていたんですけど、もちろんそれだけではとても生活できなくて。まぁ、いろ んな雑誌のエッセーとか、ルポルタージュとか、アルバイトをしながら…はい。で、その中でも映画は昔から大好きだったので、映画の脚本を書きたいなと思っ て。でもシナリオ学校みたいなとこに行く金もないし、時間だけはいっぱいあったんで、気になる人の脚本やシナリオを新聞紙やチラシの裏に丸写ししてたんで すよ。
模写、ということですか。
和泉 絵を描いてた時もよーくしてたんですよ、模写。同じですよね。で、シナリオも丸写しにしてるうちに「あれ、どういう展開になっていくんだろ う。あ、こうなっていくのか」って。それがねぇ、結構楽しかったんですよねー。あーこういうふうに話が展開していくんだなぁって思ってるうちに、気がつく と書き終わってる。で、また(新しい脚本を)長いものでも書ける。苦にならなくなってくるんですよ。映画学校とかに行ってる皆さんは講義を受けながら勉強 されてるんでしょうけれど、僕は新聞紙に模写していくことで、スゴく力がついたと思ってますね。それをしばらくやって、で、そろそろ僕が今まで思っていた 書きたい物を書こうってことで書いたのが「オン・ザ・ロード」(1982年)だったんですよ。
なるほど。
和泉 昔から僕はもう、アメリカのニューシネマだとか、それ以前のビートニクだとか、その時代のモノが好きなので。映画を撮る時は、まず「オン・ ザ・ロード」って決めてましたね。まぁ、それをタイトルにした映画を撮りたいなっていうのは。(ジャック・ケルアックの小説)「オン・ザ・ロード」にはス ゴく影響受けましたね。
それが日本でロードムービーを撮るきっかけになったんですね。他に影響を受けた作品はありますか。
和泉 衝撃を受けたのは「タクシードライバー」(76年)とかいろいろあるんですが、絵描きだっただけにフランスに関する、特にパリに対する憧れが 強かったんで「勝手にしやがれ」(59年)って映画を観た時は街並みを含めて、主人公のその生き方に衝撃を受けましたね。それまで(パリの街並みの)写真 を切り抜いて、スクラップにするくらいだったので(笑)。あとは映画そのものもそれまでの概念を覆すような作品だったんですね。カメラが(室内から)表に 手持ちのまま出ていくっていうのが、(当時では)考えられない…。それがものすごくドキュメンタリーっぽくて、パリの街自体が動いてて。まだ僕は子供だっ たんですけど、映画館から出た後も、衝撃が抜けなくて…。そこからすごく映画を意識し始めたって感じですね。

aibo 現在「相棒」シリーズという国民的大ヒット作品をはじめ、ヒットメーカーのディレクターになることは当時は想像もつかなかったのでは?
和泉 もちろん、考えてなかったです。特にテレビ(業界)については知らない世界だったので。映画をやってる時に、何人かのテレビプロデューサーに 誘われて、2時間ドラマの脚本を書くようになって、そこから二、三十本書いたかな。そのうち、演出もやってくれないか、と。今では圧倒的にテレビの仕事が 多くなったんですけど。
Vシネマ、ピンク映画も含めさまざまな作品を撮ってこられた監督ですが、テレビドラマとその映画化と撮り方はそれぞれ変えているのでしょうか。
和泉 いや、あのね、作る姿勢は全く同じですね。映画であれドラマであれ、作り方は全く変わらないんですよ。まず本(脚本)が出来て、ってところか ら始まって。映画だからって、気負うこともないし、人員、機材も含めて掛けられるお金が全然違ってはきますけど、今までさんざんやってきてますし。スク リーンはデカイんで、あまりクローズアップは必要ないとか、テレビ(ドラマの場合)は(放送期間が)長いんでディテールを細かくとか、そういう計算はあっ たかもしれないけど、取り組む姿勢みたいなものは全く一緒ですね。
監督がスクリーンを通じて観客に伝えたいことは何でしょうか。
和泉 本当に楽しんでもらいたい、と。それだけですねー。映画館でのこの2時間を日常を忘れてただ単に楽しんでもらいたいって作品と、もう少しメッ セージ性のある伝えたいことがある作品と、もちろん作品によって全部(感じてほしいことは)変わってくるとは思うんですが、基本的には見る人たちが豊かに なってもらうっていうか、そんな感じで観てもらえればいいなって思ってます、はい。

在米の日本人にメッセージをお願いします。
和泉 僕も仕事でいろんな国に行くんですけど、もちろんアメリカにも十数回行ってますけど、われわれのような観光や仕事で行く人間と、生活してらっ しゃる人たちは、アメリカという国に対しての見方が全く違うと思うんです。昔、半年ほどアメリカでぶらぶらしたことあるんですが、その中で感じたのは、あ らゆることが日本と真逆だなぁって。日本だと時間が有り余っても、いろいろと忙殺されてしまうというか、目標を見失いがちになるというか。サンフランシス コのジャパンセンターに行った際も、現地の日本人の皆さん一生懸命生きておられるなぁって感じましたねぇ。成功するためには努力していかなきゃいけない。 そういう気持ちをハッキリと持ってらっしゃることを感じました。目標がきちんとあって、それに向かっていく感じがしました。これからも頑張ってほしいと思 いますね。
(写真:現在放送中のテレビ朝日系「相棒 シーズン12」のイメージ(© tv asahi All rights reserved.))

和泉聖治(いずみ せいじ)職業:監督

1946年生まれ。神奈川県出身。72年「赤い洞窟」で監督デビュー。代表作は「オン・ザ・ロード」(82年)、「さらば愛しのやくざ」(90年)、 「キャンプで逢いましょう」(95年)、「お日柄もよくご愁傷様」(96年)など。「おみやさん」(02年〜EX)など、テレビドラマの演出も多数。 2000年から10年以上にわたり圧倒的人気を誇るテレビドラマ『相棒』シリーズのメイン監督を務める。2008年、「相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」を大ヒットさせ、興行収入44.4億円を上げた。シリーズの劇場版は全作手がけ、来春には劇場版最新作(第3弾)となる「相棒 ―劇場版III―」を公開。現在も「相棒」を中心に、多忙な演出家として幅広く仕事を手掛ける。

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 


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