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NY インタビュー 清貴

日本の素晴らしい文化を自分の音楽で伝えたい

NYで精力的にライブ活動  「ガチ!」BOUT.143

日本ですでにメジャーなミュージシャンだった清貴さん(Ki-yo)が、ゼロからの出発を決意してアメリカに渡って3年ー。現在ニューヨークで のライブ活動を精力的に行っている。なぜ海を渡り、この国での音楽活動にこだわってきたのか。作曲、作詞、アレンジ、ミックスにいたるまでをトータルプロ デュースする、天才ボーカリストに話を伺った。
(聞き手・高橋克明)
◇ ◇ ◇

日本ですでにメジャーだった清貴さんがアメリカでゼロから挑戦しようと思ったきっかけは何だったのでしょう。

清貴 もともとこっちの音楽にすごく影響を受けていたというのもあるんですけれど、一番は自分を奮い立たせてくれる場所に行きたかったってことですね。日本だとぬるま湯って言い方は良くないかもしれないけれど、何か自分に対して、音楽に対してハングリーになれる環境がなかったというか。自分がこうしたいっていう思いが漠然としかなかったんだと思います。

それでも、積み重ねてきた物を捨てて異国で再挑戦するのはとてつもなく、勇気が必要だったのでは、と思います。

清貴 収入がいきなりゼロになるわけなので、そこから食べていけるか不安も、もちろんありましたね。ある程度日本で貯金も作っていったけど、何年それで食えるか分からないですしね。ただ、そんなことよりも自分のやりたいことをやりたい、自分の好きなことを突き詰めたいっていう思いの方が、不安よりも断然大きくて。今までだって自分の人生そうやってきたんで、何とかなるんだろなあって変な確信もあったんですよ。(笑)

周囲には反対されたと思います。

清貴 レコード会社や事務所にはお世話になってたんで、すごく感謝はしてるんですよね。ただ、今のままの自分だと、やりたい音楽をやっていけないなって。一度しかない人生なんで、本当に自分のやりたいことをやりたいんですって話をしました。納得してくれたことはいまだに感謝してますね。

日本では清貴さんの思い描く音楽は表現しにくかったということでしょうか。

清貴 日本ではライブや制作に関しても事務所に管理されていて、自由度が少なかったんですよ。自分の思いとは別の部分で期待されていたというか。こういう曲作って、こういう売り出し方をして、って。でも、こっちに来たら、誰も自分のこと知らないわけじゃないですか。誰かの期待に答えるっていうよりも、自分の音楽を作ることができる。だからこそ、音楽に対して純粋にもなれるし、突き詰めることもできるし、これが俺の音楽なんだ!という自信も持てるんだと思うんです。

どれくらい前からアメリカを意識されていましたか。

清貴 デビューしてすぐに、漠然とした憧れはあって。実際来てみたら、もう空気自体が、こう自分の体に合うっていうか。「あ、ここに住むんだろうな」ってすぐに感じましたね。最初に来たのは18(歳)の時に撮影だったのかな。その時から(日本は)何か違うなって思って。そのあと21(歳)の時に来て、(ニューヨークのナイトクラブの)「ビレッジ・アンダーグラウンド」で、オープンマイク(当日飛び入り参加形式)で歌う機会があったんですよ。その時に、自分が憧れてたゴスペルシンガーの前で歌わせてもらって、歓声をもらって、「うわっ! こういうのやっぱ欲しい」って思ったんですね。求めていたのってこういうことなんじゃないかって。音楽ってそういうところからもらったエネルギーを、作り出すエネルギーに変えられるっていうか。普通に平凡に暮らしてるだけじゃ、何かを作りたいって思いにならないと思うんですよ。結局、いつもそういった何かを探していたんだと思います。それで、ニューヨークに来て、ガーンって感じて、「やっぱ、これだ!」って確信したんでしょうね。

なぜ、アメリカの中でも最初にニューヨークを選ばれたのでしょう。

清貴 まずはやっぱりゴスペルを歌いたくて。(渡米した)3日目くらいには教会に行って、そこのディレクターに自分がいかにゴスペルが好きかって話をダイレクトに聞いてもらいました(笑)。そうしたら「じゃあ、今、歌ってみなよ」って言われて(笑)。そこにあったピアノで「アメイジング・グレイス」を弾き語りさせてもらったんですよ。歌い終わったら「次の日曜日、歌いにおいで」って言ってくれて。(笑)

すごい行動力ですね。ディレクターさんもすごいですけれど。(笑)

清貴 ホントですよね(笑)。で、当日歌ったら、そこの教会みんなが総立ちになって迎え入れてくれたんですね。ブラックの方がもう何百人いる中で歌うって、日本じゃ考えられないですよね。もう何も言えないくらいの衝撃でしたね。「こんな経験を思い描いてたんだ」って思いました。日本でテレビや映画で見てて、いつかこの人たちの中で歌ってみたいなって思いがあったわけですから。

日本のミュージックシーンと比べて一番の違いは何でしょうか。

清貴 こっちはいろんな人種がいろんな音楽をやっているじゃないですか。それだけですごく刺激を受けますね。いろんな人種がひしめきあってるところから生まれるものってすごく面白いものができると思うんです。芸術ってやっぱりぶつかりあって面白くなると思うんですね。どうしても、日本の中だけにいると自分の発想から飛びぬけられなくて、面白くなっていくことが少ないと思うんですよ。こっちだと「俺のはこうだぜ」っていろいろな人種の方がぶつかり合って、ポップミュージックが斬新になっていく。芸術が発展していく。特にニューヨークってそういうエネルギーがあるから離れられないし、面白いなって思うんです。

ただ、この街では日本人として音楽をやっていくというハンディもあると思うんです。

清貴 アジア人でポップミュージックをやるっていうのは、まだまだアメリカではマイノリティーじゃないですか。この間も(ニューヨークで最古のライブハウスの)「ビターエンド」でライブをやったんですけど、お客さんは自分のことなんてまるっきり知らない白人ばかりで「誰だろ? このアジア人」って空気で(笑)。それって勉強にもなるし“このやろー”って次につながる気持ちにもなると思うんです。

ライブ自体が次へのステップになる、と。

清貴 いつも試しながらやってますね。やっぱり英語でMCして、アメリカ人オーディエンスに関わっていくのは、場数も大切になってくるし。ライブは数をこなすとお客さんとの距離の縮め方も反応も分かってくるんですよね。自分の音楽を生まれ変わらせていく感覚です。やっぱり日本人の僕がアメリカに来て3年で、こっちの文化を取り入れながら「これ、ダメだったな」とか「これはうまくいったな」って常にチャレンジをしていかないと、つかめないですよね、うん。とにかくこの年から来てるんで。アメリカ人が長年にわたってやってきたことを、ここ2、3年でやりつくすくらい数打たなきゃと思っています。アジア人が音楽でこちらで成功するってすごく狭き門だと思うんですけど、逆に日本から来た自分の世界観を、うまく伝えられたらなとは思いますね。

日本人であることはハンディでもあるし、アドバンテージにもなる、と。

清貴 日本のすばらしい文化を自分の音楽で伝えることができたらなとは思います。日本ってどんな国なんだろうって少しでもこっちの人に興味を持ってもらえたらいいなって。だから、勝手な話、日本代表みたいな気持ちで歌ってますね(笑)。最初こっちに来た時は、とにかくアメリカの文化に慣れよう、英語を勉強しなきゃってばかり思ってたんですよ。でも、それがある程度できた時に自分の、日本人としてのアイデンティティーをどうやって届けようかと考えたんです。やっぱりアメリカ人と同じことをやっても勝てない。

モノマネだと、満点でアメリカ人と並ぶってことですよね。

清貴 違うところを見せないと意味ないですよね。全く同じことをしても、面白くないじゃないですか。

清貴さんが一番影響を受けたアーティストは誰でしょう。

清貴 一人挙げるとするなら、スティービー・ワンダーですね。もちろん他にもルーサー・バンドロスとかマライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストンにも受けましたけど、でも、スティービーは別格ですね。

スティービー・ワンダーは特別。

清貴 彼は彼自身が音楽なんですよ。彼の存在がもう、音楽そのものなんですね。2年前かな、光栄なことに彼自身の前で歌う機会があって。ずっと聴いていた音楽を作った人がここにいるって思ったら、大感動でしたね。終わってから、ちょこっとだけ話せたんです。その時に「It was great !」って言ってくれて。それだけで、こっちに出てきて良かったと思いましたね。(笑)

ピアニストとしてはクラシックにも影響を受けていると聞きました。

清貴 ショパンや、(モーリス・)ラベルや…。いっぱい影響されてますね(笑)。(ジャンルに)まったく線引きはないです。自分がいいと感じたら、それがもう「好きな音楽」ですから。それをいつも自分に還元しようっていうアンテナは張ってますね。クラシックなんて聴いてると、もうアイデアの宝庫なんですよ。このフレーズめちゃくちゃいい! とか思ったりしますね。

ポップの清貴さんが影響を受けるジャンルがボーダーレスなのは面白いですね

清貴 音楽って12個しかない音をどう組み合わせて、どんなリズムでやるかっていうだけなんですよ。糸はどこにでもつながってるんです。その糸をたぐり寄せて、自分で消化していくという。

清貴さんの曲を聴く人には何を感じてほしいでしょう。

清貴 何でもいいんです、本当に。音楽の聴き方って人それぞれだと思うし、何を求めて聴くかは千差万別だと思うんですよね。例えば、失恋した時の気持ちを共感したいとか、例えば、歌詞なんか関係なく、ノれる曲で会社へ行く前のサブウェイを乗り切りたいとか。そんな生活の中のどこか一部でその人の背中を押してあげられるような、そんな存在であったらいいなって思うんです。僕の場合は日本のいい部分を音楽に消化して、ストレスを抱えている人たちが、あれ、何かコレ良くない? って思ってもらえて、少しでも生きやすくなればそれだけでもいいなって思いますね。

感じたままに感じてほしい、と。

清貴 曲って作った時点で、もう僕の手を離れてるものだと思ってるんですね。作り上げた段階で、自分のものじゃないとどこかで思ってる。それを聴いてくれた人が自分のストーリーをその曲と一緒に作っていく。それぞれが聴いた時に思い出すイメージって違うものだし、僕がこうだよって与えることはできないですよね。感じたまま感じてくれることが楽しいし、それだからこそ、やりがいを感じますね。

清貴さんの当面のゴールを教えてください。

清貴 (全米)ビルボード、トップ10にのりたいですね。それに関しては目指したいというより、実現しないといけない目標だと思うんです。やっぱり夢は大きく持たないと、やっててつまんない。このくらいでいいやってなったらそれ以上、先にいけないし。これは、マジ でやりますよ。

最後に読者にメッセージをお願いします。

清貴 この街は何か夢を追いかけてきた人が多いと思うんですよ。僕自身もその中の1人なので、あんまり偉そうなこと言えないんですけど(笑)。「絶対にコレをやりたいんだ、コレをやるんだ」って思いが(人に)伝わっていく街だと思うんですね。マンハッタンって狭い場所にこれだけの人がいるから、突き詰めて、やりきって、飛びぬけちゃえば、こいつ面白いなって誰かが見てくれる街だと思うんです。何かを感じてくれる人が必ずいる街だと思うんですよね。

清貴(きよたか)職業:ミュージシャン

2000年東芝EMIよりデビュー。3 rdシングル「The Only One」(日本テレビ系ドラマ『Pure Soul~君が僕を忘れても~』主題歌)が40万枚のヒット。1 stアルバム「I’ll Be There」も、オリコン初登場7位を記録。10年ニューヨークに活動拠点を移し、12年から全編英語アルバムの制作をスタート。同年5月全世界同時配信デビューシングル「#1」がアマゾンジャパンのチャート3部門で1位に輝く。その後、シングル「Dear All My Loves」「Spend My Life With You」「Need Somebody Tonight」も同チャート1位を記録。夏と冬の年2回、日本でツアーを行っている。公式サイト:www.g-glamour.com/

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2013年4月13日号掲載)


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