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ニューヨークのイマを知る情報サイト

インタビュー 吉田兄弟(2)

NYでできるならどこででもできる(良一郎)
NYで認められないと本物になれない健一)

北米ツアーを敢行  「ガチ!」BOUT.133 

 

津軽三味線の奏でる音を世界に発信し続ける吉田兄弟。2003年に全米デビューを果たして以降、米国のみならずその活動は世界各国に広がり、今で はさまざまなアーティストとのコラボレーションで活動の場を広げている。先月14日からは、MONKEY MAJIKとの北米ツアーを敢行。ポップロック バンドとのコラボで新たな音色を開拓したお二人に、米国での活動、今後の夢、ニューヨークへの思いを語ってもらった。 (聞き手・高橋克明)

昨夜のライブの盛り上がりは異常なほどでした。

 吉田健一(以下、健一) 実際、ちょっとした不安もあったんです。去年は震災の影響もあって来られなかったので、「1個、空いちゃったな」って思ってたので。

 吉田良一郎(以下、良一郎) この10年で(ニューヨークライブが)2年空いたことが今までなかったですから。去年来られなかったことが僕らにはすごく大きなことだったんですね。でも、今回彼ら(MONKEY MAJIK)から一緒に行かないかっていうオファーをもらって、あらためて東北のパワーを、エネルギーを伝えられるいい機会だなと。

 健一 「SEND愛」っていうキーワードの下、言葉でなく音楽を通して「復興」というものを伝えるために僕は今回、アメリカまで来たんだなと感じてます。やっぱり音楽を通して伝える義務が僕たちにはあると思ってるんですね。日本人の役目として、東北の楽器を演奏している者として、日本の現状を言葉じゃなく音で伝えたい。今、元気だよっていうことを伝えることができればそれだけで今回来て良かったなと思えるので。だからこそ、昨夜(の観客の反応)は本当にうれしかったですね。

 良一郎 これだけエンターテインメントを毎晩あらゆる場所でやってる街で、自分たちのショーを選んで来てくれたわけですから。(それを)ひしひしと感じながら演奏ができました。

アメリカでのライブを10年開催し続けてこられました。お2人にとってやはりこの国でのライブは特別な思い入れがあるのではないでしょうか。

 良一郎 デビューして、今13年目なんですけど、吉田兄弟を育ててくれた場所が、ここアメリカ、ニューヨークだと僕は思ってるんです。なんていうのかな、ここって厳しい場所じゃないですか、音楽に対してもエンターテインメント全体に対しても。そういう中で演奏をさせてもらってきたことは僕たちにとって勉強であり、試練でもあったんですね。

 健一 最初のころはヴァージン・メガストアや、ボーダーズといったようなインストアライブばっかりで(笑)。結局、自分たちを求めてないお客さんをどれだけ足止めできるかっていうところからのスタートだったんですね。ああいうふうに、ああいう場所で、修業をさせてもらったことで、精神面は強くなりましたね。打たれ強くなりました(笑)。インストアライブって、隠しようがないじゃないですか。

もう、むき出しですね。(笑)

 健一 ほんとに(笑)。彼ら(一般客)を引き止めるためには、技術だけじゃなく、プラスアルファ何が必要なんだろう、見せ方や空気の作り方や、そういった部分で試行錯誤してきたことが10年間この国でやってきて一番得たものかもしれないですね。

 良一郎 やっぱりこの国でやるにはソウルとかパッションとかそういった内面的なものをどんどん表現していかないと、特に三味線っていう日本の音楽はなかなか伝わっていかないんですね。うん、間違いなく吉田兄弟を育ててくれたのはニューヨークですよね。

面白いです。日本の伝統楽器を奏でる着物を着たお2人の原点がこの街にあるというのは。

 良一郎 それに、こっちのインストアライブで2人でやるまでは、実は日本でも三味線だけのコンサートってやったことなかったんですよ。

あ、そうだったんですか。

 良一郎 それまではバンドがいたり、必ず何か他の楽器を入れてたんですね。

 

 健一 アメリカでインストアやる場合、いっぱい(メンバーを)連れて歩くわけにはいかないじゃないですか。で、常に2人だけでやっているうちに「あれ、これ(2人だけでも)日本で、できるんじゃない?」って話になって。

 良一郎 そこからですね。自分たちで三味線だけの世界でCDを作って、三味線だけでコンサートやり始めたのは。(今では)三味線だけのコンサートで百何十公演、日本でやってるわけですから。

その“ 三味線だけの音 “という意味では、昨夜、お2人が登場されて最初の一振りの音で会場の空気をガラっと変えました。

 健一 空気を変えるっていうのは三味線の音の持つ強さだと思うんですよ。特に、昨日のライブ会場ではまず空気を変えなきゃ、と思ってたんですね。(と、いうのは)隣の会場で違うバンドがやってましたよね、ヘビメタ系の。

音、ガンガン漏れてましたね。(笑)

 健一 音、ガンガン漏れてましたよ。(笑)

 良一郎 あれがもし、最初のころのニューヨークだったら、精神的にボロボロになって「こんなとこで演奏できない」って言ってたかもしれないです。(笑)

 健一 最初のころはよく発狂してました(笑)。こんなとこでできないよーって。

 良一郎 よく言ってたねぇ(しみじみ)。でも、今はアレに負けないようにやろうってエネルギーが出てくるんですよ。(リハーサルの段階から)音響的にも厳しかったりしたんですよ。機材が日本のシステムと全然違うんですね。MONKEY(MAJIK)もすごいストレス感じてて「いやぁ、なんか違うところでやりたいよね?」って言ってたから「ニューヨークってどこもこんな感じだよ」って。

(笑)。日本のライブハウスだと…。

 健一 ぜっっったいにないですっ(笑)。リハーサルスタジオでもないですね。ロスのリハスタをよく利用するんですけど、いつもダダ漏れですよ。飛行機の音まで入ってきちゃう(笑)。だから彼らの言ってることもよく分かるんです。僕たちも最初そうだったなって。でも、それこそ本当に自分たちの望む環境でやりたいんだったら、もっと売れて、もっと浸透しないと、いわゆるこっちでいうポピュラーにならないと、できないですよね。そのこともこの10年間で嫌というほど学ばせてもらえました。

 良一郎 ここでできるなら、世界中でできるっていう感じが正直、僕にはありますね。

 健一 逆にいうと、ここで認められないと、本物にはなれないってことだと思います。

 良一郎 だからさっきの話に戻っちゃいますけど、そういった意味でも本当に僕たちの原点はアメリカなんだなと思います。

そして今回のライブは後半、MONKEY MAJIKとのコラボ演奏でした。

 健一 彼らとは2007年に「Change」って曲を一緒に作った時から、ずっとつながっていて。「Change」って曲自体、日本よりも世界に向けて彼らが作った曲だったんですね。で、(当時から)いずれこういう時がくるだろうと。それが5年後の今回だったというだけで。

彼らから熱烈なラブコールがあって実現したコラボと聞きましたが。

 良一郎 ずっと前から一緒にやりたいと言ってくれてたんですよ。一緒にやる前までは、(自分の中で)同じ音楽なのにジャンルによって線引きしてたところもあったんですね。津軽三味線という民謡ってジャンルと、J|POP、ロックというジャンル。自分の中で分けてたと思うんです。それが彼らと一緒にやるようになってから、「そういうジャンルってないんだ」って思いました。まったくボーダーレスになれる。「あ、一緒にできるんだ」って。ある意味ビックリしましたね。

 健一 僕らも驚いてるくらいなんで。お互いカッコいいところ見せ合ってちゃんと成立する。その時思ったのが、歩み寄りさえすればどんなジャンルの音楽であれコラボレーションできない楽器はないんだなって。

 良一郎 それからですね。EXILEさんだったり、SMAPさんだったり、今回も、ももクロ(ももいろクローバーZ)とご一緒させてもらったり。話がどんどん来るようになったのはMONKEY MAJIKさんからなんですよ。

 健一 だから曲名の通り本当に「Change」してくれたっていう。僕たちも変わったし(世間の)三味線に対する見方も(ライブに来てくれる)観客の意識も変わったと思うんです。こんなにマッチするもんなんだなっていうふうに。

 良一郎 よく聞かれるんですよ、どんな楽器とコラボしたいですかって。あるいは誰とやりたいですかって。でも、そうじゃなくてお互いが歩み寄ればどんなアーティストとでもできると僕は思います。

ジャンルや楽器の種類でなくハートの問題ですね。

 健一 (自分の胸を指差し)こっちの問題でしかないです。気持ちがない限り音には出ない。プロデューサーやレコード会社の問題じゃなくて、本人がどう考えるかだけですね。

 良一郎 そういった意味でも壁を壊してくれたことに彼らに感謝ですね。

 健一 震災はもちろん不幸なことなんですけれど、(例えば彼らとのように)そこからいろいろな絆がつながったっていう事実も僕たちにはすごく大きなことだったんですね。

 良一郎 彼らはカナダ出身の東北在住で、日本に来て初めて三味線と出合ったらしいんですけど、「なぜ日本人はこんな素晴らしい楽器があるのにやらないんだ」ってよく言ってましたね。

 健一 日本のアーティストはPOPであれ、ロックであれなんで三味線を取り入れないんだって。

ジャンルにこだわらない彼らにとってみれば、兄弟の演奏はどうしても欲しい音であったわけですね。

 健一 そこは三味線の必然性ですね。ギターに置き換えても同じだと意味ないので。三味線の音ならではのカッコ良さみたいなものを追求して初めて成立するもんだと思ってるんです。

今後の2人の目標を聞かせてください。

 健一 毎回言ってるのは海外において間違った日本の伝統だけは伝えたくないんですね。こっちに来るとちょっと違うなってことたくさんあるじゃないですか。

おすしにカマンベールチーズが乗っかってたり。

 健一 あははは! そういうの多いじゃないですか。昨夜もライブ前に考えてたんです。今日、来場してくれる人にとって今夜が生涯で最初で最後の三味線かもしれない。それだけに「間違ったものだけは伝えちゃいけないな」って。だからこそ日本とアメリカと、僕たちは演奏で何も変えないんですよ。全く同じなんです。アメリカだからこうするとか全く必要ないんですね。今の、自分たちを見てもらうわけですから。

アメリカナイズされない。

 健一 されない。アメリカだけじゃなくて世界中どこに行っても変わらない精神を持つってことが必要だと思います。

 良一郎 MONKEY MAJIKさんにしてもロスのレコーディングスタジオで関わったミュージシャンもみんな僕たちの演奏を聴いて「そのフレーズいいね!」って言ってくださるんですけど、でもこれって僕たちが5歳からやってるフレーズなんですね。昨日、今日作ったフレーズじゃないんです。“変えなかった”結果なんですね。

 健一 ここに来て、三味線の持つ底力みたいなものを感じることができて、やっぱり三味線ってすごいなって、アメリカに来てあらためて気付かされた部分ってあったんです。それをまた日本の人にも感じてほしいなって。身近にある「和」にもっと距離を縮めてほしい。逆に今後(の目標)は“対日本人”ですね。

今回の取材の前に、東北とニューヨークと東京と他の都市、どこが一番演奏しやすいですかって質問を用意してきてたんです。でも、お話を聞く限り兄弟にとって音楽を奏でることに関してはどこであろうと場所は関係ないですね。

 良一郎 どこであろうと。

 健一 全く関係ないですね。どこにも壁なんて存在しないって感じてます。

 良一郎 でも、それに気付かせてくれたのはこの国ですよ。うん、それは間違いないですね。

吉田兄弟/健一(けんいち=弟)、良一郎(りょういちろう=兄)

職業:三味線奏者

北海道登別市出身。ともに5歳より三味線を習い始め、1990年より津軽三味線奏者・初代佐々木孝に師事。津軽三味線の全国大会で頭角を現し、99年アルバム「いぶき」でメジャーデビュー。邦楽界では異例のヒットを記録し、以降、現在まで12枚のアルバムほかをリリース。2003年Domo Recordsから全米デビュー以降、米国・欧州・アジア・オセアニアなど、世界各国での活動や、さまざまなアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。近年、個々の活動の幅も広げ、日本の伝統芸能の枠を超え、ワールドワイドに活躍できるアーティストとして期待されている。【ウェブ】www.domomusicgroup.com/yoshidabrothers

【Facebook】www.facebook.com/YoshidaBrothers

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(「WEEKLY Biz」2012年12月8日号掲載)


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