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〈リアル〉File 12 プロレス・レフェリー タイガー服部さん

〜新日本プロレス初の米国遠征ツアーで実行委員長〜

最後にたどり着いたNY
プロレスで二つの祖国に恩返し

Tiger_Hattori 米東海岸3都市で13日から開催される新日本プロレスの米国遠征ツアー。その実行委員長を務めるのはタイガー服部だ。米国に来た契機、このツアーにかける思いやレフェリー生活の幕引きなどをお届けする。

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 明治大学レスリング部を出た後、アルゼンチンで行われたアマチュアレスリング(アマレス)世界選手権のツアーに出場したのが、1969年。そこからコロンビア、ブラジル、メキシコと「アマレス」だけを武器に世界を転々としてきた。そんな服部が最後にたどり着いた場所がニューヨークだった。

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アマレス時代の同期は後に衆議院議員となる松浪健四郎や、今や格闘技界のトップ選手を数多く輩出する木口道場の道場主、木口宣昭ら。世界ツアーの後、彼らと「確信犯的に」米国に残った。最初から残るつもりで飛び出た日本だった。各地を転々としてシカゴでは日本レスリング協会の八田一朗会長(当時)の息子さんのコーチもした。ブルックリンで柔道の道場を開いていた松浪から誘いがあったのはそのころだ。松浪の道場を引き継ぐ形で初めてニューヨークを訪れることになる。
その後、フロリダではたまたま出場したアマレスの全米選手権にも優勝した。気候の良さも手伝って、ヒロ・マツダ(故人)と現地のプロレスラーにレスリングを教えるためそのまま居つくことになる。その時に日本から「修行」に来たプロレスラーはマサ斉藤にグレート・カブキ、ジャンボ鶴田、藤波辰巳に天龍源一郎と、その後の日本プロレス界を背負って立つ大物ばかり。彼らとの親交は同時に35年にわたる「プロレス」との出合いでもあった。「運命の」長州力との出会いも、高校卒業したてのあのハルクホーガンと同じマンションで暮らしていたのもこのころだ。
当時の米国は対日感情も激しく試合中にも観客の暴動は珍しくなかった。ときには身を守るため「フロリダでは4回くらい逮捕されちゃったよ」と笑う。

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そんな服部が今回、新日本プロレスの主要メンバーを全員、東海岸に呼び3都市でプロレス興行を開催する。団体としては初となる米国ツアー。「いつかニューヨークに恩返ししたい」と1年以上の構想期間を経て、最終的に決めた理由は今回の東日本大震災だった。震災時、日本にいた服部は「このままでは日本はダメになる」と感じた。「何もできないけれど、何かしなきゃなって」。野球やサッカーほどビッグビジネスではないけれど、ニューヨークから発信したメッセージは小さくないはず。プロレス好きで有名な東北の人たちに「元気」を届けたい。その心意気こそが、リング上だけではなく、アントニオ猪木が提唱してきた「ストロングスタイル」を貫くことだと思うから。だからこそ今回に限ってはビジネスは抜き。「プラマイ、ゼロになりゃ御の字だなって」。会場には義援金箱も設置する。

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自身の35年に及ぶレフェリー生活も終わりに近づいてきた。今年いっぱいでレフェリー生活に終止符を打つ覚悟もできている。最後にできること、総決算として、ニューヨークのプロレスファンに本物のプロレスを見せてやりたいという気持ちもある。過去の歴史の中でも「新日本は今、最高の逸材が奇跡的にそろっているタイミング」だからこそ、来てくれたファンにお金を出しても見に来て良かった、と思わせる自信がある。素晴らしいストロングスタイルを見せつける自信がある。今大会を無事に終えたら持病のヘルニア手術が待っている。当日は痛み止めを打ってでも参加するつもりだ。

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自分の生まれた日本、と子供たちを育ててくれた米国。今となっては感謝の気持ちしかない。
大学を出て、格闘技一本の人生。「他のことは何も知らないオヤジだからさ」と笑う服部は、この春、プロレスを通じて二つの祖国に恩返しをする。(敬称略)
〈profile〉 タイガーはっとり 1945年東京生まれ。元レスリング選手、プロレスリング・レフェリー、マネジャー。新日本プロレス、ジャパンプロレスなどで活躍し、現在はニューヨークを拠点に選手の渉外なども行う。
(写真撮影:上西)(「WEEKLY Biz」2011年5月7・14日号掲載)


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