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インタビュー アントニオ猪木

猪木が笑えば世界が笑う

「ガチ!」BOUT.47

 

元気があれば何でもできる! 不況渦巻く昨今、こんな時代だからこそ会いたい男、アントニオ猪木が「ガチ!」に登場。連載史上最も(個人的に)会 いたかった男に景気問題、今後の夢などさまざまなお話をうかがったんダーーーッ!! やっぱり死ぬまで夢を追わなきゃいけねえんです! ムフフ。(猪木 調)(聞き手・高橋克明)

 

1回のミスより1回の人生をもっと大事に

まず猪木さんとニューヨークとの接点なんですが、こちらにもご自宅があるという事で…。

猪木 本当はロスの方が好きなんだけど(笑)、アメリカに来た理由は引退してこっちでのんびりしようかと思ってね。まぁ、ニューヨークの思い出と言えば、昔(モハメド)アリ戦の時にプラザホテルで記者会見があったぐらいなんですけどね。

1976年の日本武道館ですよね。格闘技界の金字塔といわれた試合です。

猪木 ただ、今は(格闘)業界にあまりに元気がないってことでね。一つ立ち上げた団体、IGF(イノキ・ゲノム・フェラデレーション)は「元気」というテーマで動いてますんで。不景気風が吹くと猪木が儲(もう)かるって言われてるくらいだから(笑)

風が吹くと桶(おけ)屋が儲かる的な。(笑)

猪木 というのは、こんな時にこそ元気をもらいに行こうって周りに人が集まってくるんですよ(笑)。まぁ毎日毎日、不景気だ不景気だって悪いニュースばかりで、こうも洗脳されると元気がなくなるのは当たりめーだよってね。少しでも明るいニュースをってんで、去年の暮れにも8年目になる新宿(中央)公園でホームレスのイベント(炊き出し)をやったんですけど、今まではスポーツ新聞(紙)の取材のみだったんですが、今年は朝日(新聞)まで来てくれましてね。まあ(時代を)反映しているというか、このタイミングだからこそ(取材に来たん)でしょうけどね。結局、政治家にしても本音を言うとたたかれてしまう世の中なんで、そこを避けてうまく会話しなきゃいけない中、俺らはズバリ言いますから。そこを若い人たちが共感してくれてるのかなと。

景気回復への解決策は一言では言えないと思いますが、猪木さんはどうお考えですか。

猪木 一つはね、リストラされた人たちに、そこにしがみついてもしょうがないよっていう事。やっぱり1回のミスより1回の人生をもっと大事にすべきだろうと。そのためにはどうすればいいかっていうと発想の転換ですよね。

具体的にはどう考えれば…。

猪木 例えば私は(少年期を)ブラジルで移民として過ごしましたから。当時、全く農業経験のない都会の人間が移民するという最初で最後のテストケースだったんですね。まあ農業つったってやる事なんて、ただの重労働ですから。要するにコーヒーの袋をこう、積んでいくんだったんですけれども。今はもっと(発達して)ドロドロになんなくても簡単にやれる方法がいくらでもあるわけですよ。で、今の日本の安全保障というものを考えたときに農業は最低限、人間の食っていく事を保証するというかね。今回の給付金(法案)の件もそっちに回した方が理解が得られるんじゃないかなと。

これからは自給自足の時代だと。

猪木 極端に言えばね。その人たちは簡単な家なんか建てられるからね。住む所と食べる所さえ保証できればまずまず安心というか。だからリストラされた人も、世の中には今日一日生きるのが精いっぱいっていう人が山ほどいるんだよってことを(理解しないと)。ただ日本はね、報道姿勢がみんな同じ方向に右ならえというか。

はい。

猪木 アメリカは必ず民主主義の中で反対意見がありますから。俺は日本人でありながらそう感じますね。

こっちに来て初めて見える日本もありますね。

猪木 それが日本人の良さであり、悪い部分っていうのかなあ。まぁ経済に関してはね、もう3、4年は戻らないと思いますよ。だって、誰一人、今回の大不況を予測した経済学者がいないっつーのがおかしいじゃん。経済のプロっていうのがいるんだったら、一人くらいは予測しろよと。まあニューヨークに住んでいると、世界を裏で動かしているその中心人物とかにちょっと会う事もあるんだけど、あんまり深くその話はしたくないんだけど(笑)。まぁ、そういう仕組みもあるよってことを分かってないと。

ちょっとスケールが大き過ぎる話で…。

猪木 ラスベガスの格言でね「ノッてるやつにのれ」というのがあるけれども、要は勝ったやつはどんどん去っていっちゃうんだよって。負けたやつはいつまでも、ちんたらちんたらで、そろそろ俺にも運が回って来るだろうと思ってる。でも回って来ないって。言い過ぎだと言われるかもしれないけど、現実に本当の事だよ。じゃあどうすれば運を引き寄せる事ができるか、まあ努力も当然必要ですけどそれと同時にね、やっぱり発想の転換をするっていうね。結局、同じ所にいる限り、そこは何も変わらないから、新しい空気が必要な時なのにね。

猪木さんの持論、「風車の理論」に近いですかね。

猪木 (無視して)先日、風水のパーティーに行ってね。そこは1年前から言い当てているんですよ。六本木ヒルズに入った人はダメになる。(笑)

あー…ノーコメントで。(笑)

猪木 まあ、そういうものもまるっきり無視できないよね。人間、いろんな欲望があって、天下取りたい、金持ちになりたいと。まあだから人間なんだけれども、やはり年とともにその欲望の形も変わっていかないとね。

若いころと今と欲望の種類は変わっていますか。

猪木 最初に事業やってたころは人のためとか、よく言う言葉だけど本音は自分のためであってね。でも徐々に意識が変わって社会貢献のためにってなっていく。どうせなら“欲望美人”にならないとね(笑)、“ブス”よりは。やっぱりきれいな方がいいじゃない。

なるほど

猪木 ま、もともと別荘持ちたい、ヨット持ちたいっていうのはあんまり俺はないんでね。じゃあ、もしそういった欲望が満たされた時に次は何をすればいいのか、すると少し世の中のためにみたいな事を考え始めていくんですよ。

不況と言えば、猪木さんが引退されて以降、プロレス業界は何年も冬の時代といわれています。現役のころと比べ、何が業界不振の原因でしょうか。

猪木 (昔に比べ)どんどん会場が小さくなってきている事にまず(関係者は)気が付かないとね。「今日は客がいっぱい入りましたね」と言うと「いやぁ、猪木さんですからね」なんて片付けるんですよ。そうじゃなくて我々は力道山の時代に育ってきて、当時はどこの会場も満員でしたからね。そこからもう半世紀以上の時間が経ってる。(私が手掛けた)北朝鮮では2日間で38万人とかパキスタンでは10万人とか、ここニューヨークでもシェイ・スタジアムでペイパー・ビューをやったりとかね。

今では考えられないイベントですね。他にもイラクやロシアで国家事業クラスの興行を手掛けられてきました。僕たちはそこにロマンを感じてきたわけですが。

猪木 同じやるならいっぱいやった方がいいでしょう(笑)。ねぇ、自分を表現する世界にいたわけだから。残念ながら今は外(世間)へ向けるはずのエネルギーがどんどん中(業界)へ中へと小さく縮小する方向に向かっていってる。確かにマニアックな世界はどこ(の業界)にでもあるんですけどね。ただ、やっぱりエンターテインメントの格好良さ、客が入ってなんぼのもんだっていうプライド、そういう意識が欠けてるなって思うね。

本物のスターが出てくれば、また変わってくるでしょうか。

猪木 うん、時代時代で人気って上がったり下がったりするんですけども、例えば今回も朝青龍のおかげで相撲人気も戻ってきてね。面白いよね、世の中って言うのは(笑)。辞めさせりゃあいいじゃん(笑)。でもそういう矛盾がまかり通ってて、世の中は矛盾だらけだよって事を受け入れなきゃいけない時代だとも思うんですよ。

NYで語った「2009年の猪木」

夢、エネルギー問題、プロレス業界…

こんな時代だから宝探しをね

「1976のアントニオ猪木」という本があります。今の格闘技界は、すべて当時の猪木さんからつながってきているという内容なんですが、今年「2009年のアントニオ猪木」はどうなっていくのでしょうか。

猪木 プロレスとは全く違う部分で社会的なもの、南米の食料危機問題、環境汚染の問題、人口問題に取り組んでいきますよね。その中でも特にエネルギー問題に興味があって、20倍に増幅するトルク増幅機が完成したんです。今までできるできると言ってて、やっとできたんでね。

もう完成したんですか。

猪木 もう商売の段階にね、いよいよ入ったんで。まだまだ明かりがついてない国が山ほどあるし、途上国がアメリカや日本並みに生活するためには10倍の電気量が必要になってくる。「猪木発電機」をそこに持っていけばね。猪木が笑えば世界が笑うってね(笑)。また猪木が狂ったかと言われちゃうけどね(笑)。まあ、百聞は一見にしかずで、見てもらえばね。それでも反対する人は必ず出てくるんですよ。ただ、今回はもうできちゃってますからね。できたんだから反対もくそもないじゃない、やっとそこまできたんだから。今年はそういう意味では総決算ですよね。

また話のスケールが大き過ぎて・・・。

猪木 あとはサンゴの事業ですね。サンゴは一つのライフワークにしようと思ってますよね。サンゴは二酸化炭素を吸収して3倍から4倍の酸素を生み出すといわれている。そのサンゴがなくなるというのは魚の家がなくなるというわけだから、要するに海の魚がホームレスになるわけで。(笑)

猪木さん的にはなんとかしなきゃいけないわけですね。(笑)

猪木 うん。そうすると結局そこにいるプランクトンが減少する。それを食べるイワシが少なくなる。するとそれを追っかけるカツオが今度はいなくなる。でもっと大きなマグロとかも減っていっちゃうよね。こういう食物連鎖が現実に起きちゃってる。さんご礁の枝木を持っていって栽培して再生する。東京ドーム3つか4つ分くらいかな。上から見ると感動するくらい見事に再生してね。そういう生命力を海に戻していってね。15年がかりの環境保護ですよ。(笑)

…やっぱり、話のスケールが大き過ぎて(笑)。あのー、猪木さんはいつまで闘われるおつもりですか? ある意味、日本の総理大臣よりもあるネームバリューで悠々自適に暮らす事もできると思うんですが。

猪木 いやいや、体が動きゃあいいんだよ(笑)、元気だって賞味期限があるって誰かが言ってたけど、日付を変更して明日が来りゃまたしばらく持つんだよ。(笑)

死ぬまで夢を追うってことですね。

猪木 体はもうボロボロだけどね(笑)。だから「猪木島」っていう私の島があるんですが、そこにみんなで別荘というか、合宿所を造ろうって話をしてね。朝、ベッドで目を覚ましてそのままゴロゴロゴロって海にバシャンって落ちるというね(笑)。30分くらいして上がって、コーヒー飲んで一日を始めるっていう。

バオラにある島ですよね。

猪木 あとはキューバにも島があるんですよ。「友人猪木の島」っていう名前でね

キューバにも。(笑)

猪木 そこはね、宝島なんですよ。その島の周りには75隻の沈没船が沈んでて、それを引き揚げようってね。大使館から、いつやってくれるんですかって。水深250メートルから300メートルくらい。もうほぼ衛星で確認できますからね。日本とアメリカのテレビ局も興味持っちゃってね。まあ一つ、夢のない時代だから宝探しをね。まずはその沈没船を引き揚げなきゃと思っててね。

…すみません、やっぱり話のスケールが大き過ぎます(笑)。あの一番聞きたかった質問で、猪木さんを30年見続けて自伝も全部読破して思ったのは、普通の人じゃ耐えられないようなある意味密度の濃い人生で、それをどうやって克服してこられたのかなと。

猪木 まあ、持って生まれた性格みたいなものでね(笑)。猪木ファンっていうのはそういうのを全部分かってくれていてね。あとはやはり子ども時代に体験したブラジルでの移民生活もでかいでしょうね。外国で生活する事がいかに大変かっていう、逆の事もまた同じですね。外国人が日本に来て生活するのも大変ですよ。

このへんで個人的に聞きたかったミーハーな質問タイムにさせていただきます。猪木さんのトレードマークである真っ赤なタオルですが、あれはいつからされてらっしゃるんですか。僕が物心ついた時には金曜8時のテレビ中継ですでにされていましたが。

猪木 あれはね、現役の時はずっとですよ。ブルーの時もあったけど、でもいつくらいからかな。勝手にトレードマークになっただけでね。(笑)

今まででガチで強かった対戦相手は誰でしょうか?(仕事を忘れ気味に興奮して)

猪木 もう、あの~強さの常識を超えちゃったのはアンドレ(ザ・ジャイアント)。

あーーやっぱり。

猪木 でも一瞬だけですよ。後はもう自分の体を支えるのが大変でね。まあ一気にワインを37本とか、ビールを何十ケースとか飲んでましたからね。体を大きくするためって言ってましたけどね。

あれ以上大きくしてどうする。(笑)

猪木 あとはやっぱりカールゴッチさんとかね。やはり技的にいうとそうですね。

お二人とも亡くなられていますが、では今、現役のレスラー、格闘家で注目している人はいますか。(完全に仕事を忘れ興奮して)

猪木 (しばらく熟考して)いや、それより言いたいのはね、俺らの世代のレスラーでまだやってる人が何人かいますよね。俺らは逆に言えば、自分の最高潮のその時を残しときたいというか。よくカムバックしてくる選手もいますけど、俺から言わせてもらうとね、あり得ない。きれいごとをつけてまだやり残したことがあるとかどうとか言うかもしれないけど、結局、金に困って戻ってくるわけですよ。そこが一番手っ取り早く稼げるから。映画のストーリーだったらいいけどさ、現実としてはあんまり賛成できないね。

(満足げに)なるほど。(仕事を思い出して)えっと、最後に読者にメッセージをいただきたいのですが。

猪木 昔は留学から日本に帰ってくれば、肩書だけで一応アメリカの学校行ってましたみたいに一目置かれたりした時代もあるんだけど、今はもっと本物の外交という意味で学んでほしいと思いますね。うん、せっかくこの現地にいるんですから一歩踏み出す勇気というかね。日本人と触れ合うのも大事だし、同時に世界とも触れ合っていかないと。

はい。

猪木 もう一つは、やはりここで勝負するならここに根付かなきゃダメですね。商社にしても、出稼ぎ的な腰掛けだとどうしても、ね。コリアンタウンに行ってみると彼らは永住の覚悟でいますよね、それくらい(の気持ち)でないと物事を何も変えられりゃあしないよね。

なるほど。最後の質問ですが、猪木さんは日本とアメリカどちらがお好きでしょう。

猪木 うーん、どっちも好きですよ。本当に。今まで世界中に出ていって、やっぱり年とってね、望郷の念っていうのは出てくるし、アメリカは行ったり来たりいつでもできるしね。でも暖かいパラオが一番かな。

◎インタビューを終えて 男なら死ぬまでに一度は会っておきたい、男が惚(ほ)れる男。猪木さんとの2時間半におよぶ インタビューはまさに宝物でした。今回、紹介してくださったYTリゾリューションサービシズの高崎社長いわく「最初はアントニオ猪木というビッグネームで 会ってみたいと思いました。ただその後は人間・猪木に惚れちゃうんですね。言ってみれば、まあ恋愛中ですね」。仕事の関係で1回でも会うと例外なく皆さん 猪木ファンになると笑って話してくれました。この連載史上、初めてテープレコーダーに残った音源を記念にとっておこうと思いました。

アントニオ猪木

1943年生まれ。神奈川県出身。少年時代から陸上競技に熱中。57年に一家そろってブラジルに移住。60年にブラジル遠征中の力道山にスカウトされて日本プロレス入門。同年9月30日、東京・台東体育館の大木金太郎戦でデビュー。64年に米国へ初遠征。66年に帰国し、豊登と共に東京プロレスを設立。67年4月日本プロレスに復帰し、ジャイアント馬場との〝BI砲〟で黄金時代を築いた。72年3月新日本プロレスを旗揚げ。73年12月、NWFヘビー級王座を獲得し、幾多の名勝負を展開。モハメド・アリ、ウイリエム・ルスカらとの異種格闘技戦も実現させた。89年の参院選に当選し、初の国会議員レスラーとなり、平和イベントを成功させるなど活躍。94年5月よりファイナル・カウントダウンを開始。98年4月4日東京ドームで38年間のレスラー生活にピリオドを打った。現在、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)株式会社代表取締役社長。芸術、スポーツ、飲食、健康、テレビ、多方面でマルチに活躍。オフィシャルブログ:http://blog.antonio-inoki.net/

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2009年2月14日号掲載)


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