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タレント 安岡力斗さんに聞く

今でも僕の中で親父は別格なんです

〈リアル〉File 14 

安岡力斗

 

俳優、歌手、タレントとして幅広く活躍し、2012年、64歳で他界した安岡力也さん。その息子、安岡力斗(りきと)さんは現在、俳優、タレントとして活躍、父の意志を受け継いでいる。当初は“2世タレント”ということに抵抗があったが、偉大な父の後を追い、芸能界入りを決意。その経緯、父との思い出、最後の時、そして自身の夢などを語ってもらった。

故安岡力也の息子

―力斗さんは現在おいくつですか。

力斗 3月の2日で30になりました。

―有名人のお父さまのもとに生まれたのに、最初は芸能界入りをされませんでした。

力斗 「2世」ってこだわりが嫌で(笑)。何より、まず僕自身「安岡力也」とは性格もキャラクターも違いますから。親父の名前を出すのも申し訳ないくらい。親父はコワモテのキャラクターだったけれども、せがれ力斗は完全にコメディアン志向なんで(笑)。僕は人を笑かせてナンボ。自分がすっころんでボケてナンボ、なんです。

―でも、お父さんが有名であるほど「自分も偉いんだ」って普通に思い込んでしまう人も多いと思うんです。そんな空気が力斗さんからは一切感じられない。(笑)

力斗 わはは。親父がずーっと元気なままで、親父にずーっとくっついていたら、僕もそうなってたと思います。人が荷物持ってくれるの当たり前、ご飯おごってくれるの当たり前、みたいな。でも、20歳の時に親父が病気で倒れて、外に出て働くようになったんです。そこで初めて気付いたんですよね。「あ。力也の息子だから今まで(周りは)甘やかしてくれたんだ」って。千葉の木更津の建設屋で働いた時に嫌ってほど気付かされましたね(笑)。そこの親方は全然、特別扱いしてくれなかった(笑)。人間として、すごく成長させられたと思いましたね。

―でも、そこで気付くってある意味スゴいですよね。気付かれない方も世の中には多いわけで。

力斗 いますよね〜。そういうのが「2世」のイメージ悪くしちゃってるんですよ、本当に(笑)。でも、子供のころからどこかで…本当は、嫌だったですよね。安岡力也の息子ってことが。だって、やっぱり、世間では怖いイメージでしたよね。芸人さんもみんなぶるっちゃうような。映画でも大抵、悪役じゃないですか。実際、周りにも「怖い人なんでしょ」「暴力団みたいな人なんでしょ」って言われたこともあるし。

―でも、どこかで、優しくて、面白い人というイメージも同時にありました。

力斗 そう。家庭では、すごく優しくて、すごく面白いパパだったんです。でもテレビの中では「オラーっ!」って芸人さんなんかを脅かす。そんなキャラクターをやってるお父さんが当時は「大っ嫌い」だったんです。おふくろなんかは、そのあたりをすごく気を使ってくれたんじゃないかなぁ、今になって思うんですよね。僕に普通の家庭の普通のお友達を作るようにしてくれました。なので、僕も次第に「力斗は安岡力也のせがれだけど、関係ねえよ」って言ってくれる人と仲良くなるようになりました。逆に人が見えてきたというか。

―お母さまの存在も、お父さま同様、大きな存在だったということですね。

力斗 そうですねー。やっぱりね、安岡力也と結婚するくらいの嫁ですから(笑)。相当、気が強いわけですよ。もう強いのなんの。今なら「幼児虐待してますよ!」って自分で相談所に電話したいくらい(笑)。それくらい、ひっぱたかれました。で、「うわぁ〜っ」て泣くじゃないですか。そんな時に必ず「どうした、どうした」って抱きかかえて、ヨシヨシって頭なでてくれるのが親父だったんですよ。

―本当に優しいお父さまだったんですね。

力斗 うん、優しい。とにかく優しいお父さんでしたよ。おふくろの方がずっと怖い!(笑)

―当初、興味がなかった芸能界入りを決意された理由はなんでしょう。

力斗 僕、子供のころプロレスラーになりたかったんですよ。小学校6年生ころから、力斗少年はプロレスにハマったんです(笑)。当時、新日本プロレスの蝶野(正洋)さん、武藤(敬司)さんを筆頭にした【nWo】にすごく憧れてたんですよねー。オレもあのカリスマ蝶野の黒いTシャツを着て、新日正規軍を「ボコボコにしてやるんだ! オラー!」って気持ちがすごく強くて。

―当時、nWo(JAPAN)は一世を風靡(ふうび)しましたよね。

力斗 テレビで観て一気にハマっちゃったんですよ。「うわぁー面白い!」って。そこからはレスラーになるって決めてました。高校時代も体をデカくしなきゃいけないと思ってアメフト部や柔道部に入ったり、高校卒業して(アニマル)浜口道場に入りました。そこで2年くらい練習して、その後、新日本のプロテスト受けようってまで決めてたんです。でもね…実際プロレスの練習をし始めて思ったのは、結局、プロレスはエンターテインメントじゃないですか。

―本気の格闘技じゃないのが嫌だった?

力斗 じゃ、ないんです。もちろんそれを知った上でなりたかったし、それが嫌だったっていうより、結局「テレビ出たくない、タレントなりたくない」って自分で言っておきながら「リングの上に立ちたいって思ってるじゃんオレ」、って。心の中で「リングに立ちたいってことは、テレビに出たいってことと同じじゃん!」って一致したんです。結局は「お客さん、見てくれ〜!」ってことだから。

―プロレスのリングも、歌舞伎の舞台も、テレビのカメラの前も同じじゃないか、と。

力斗 ジャンルはなんでもいい。ただ、お客さんを楽しませたい。テレビに出て「あいつバカだなぁ」って指さして笑ってもらえたら、それでいいんです。それに越したことはない。そして、その気持ちは、やはり安岡力也を見ていたからこそ自分の中にあったと思うんです。子供のころ、よくディズニーランドや水族館に連れていってくれたんですね。で「握手してください、サインしてください、写真撮ってください」って言われると、みーんなしちゃうの。握手も、サインも、写真も断んないんですよ。「オレも! オレも!」「アタシも! アタシも!」ってどんどん人が集まってきて15分くらいその場に動けなくなっちゃうんです。それが嫌で嫌でね。子供のころって遊びたくて仕方ないんだもん。でも親父は嫌な顔一つしない。「はい、いいよ、いいよ〜」って。今考えたら、素晴らしいなって思います。尊敬できますね。

―そんなお父さまを見ていたから、ファンを喜ばせたいと思うようになり、コメディアンを目指すようになられたんですね。

力斗 結局、自分が何になるっていうより、ただ、人を、お客さんを喜ばせたかったんだって気付いたんです。

―お父さまの最期の様子をお聞きしていいですか。

力斗 肝臓の移植手術終わってから1年半くらいたってからかな。急に容態が悪くなりました。そのころは、すでに車椅子でマスクを何重にもしてたんですけど。で、その日、付き人から連絡があって。まぁ10年間ずーっと闘病生活でしたから、覚悟はあったんですけど。「スーパーマンでも、必ず来る時は来るんだな」って思ったことを覚えてますね。

―そこから病院に駆け付けられたんですね。

力斗 危篤状態の人間って息もできないうつろな目っていうイメージだったんですけど、実際、病院に行くとしゃべりかけてきたんですよ。

―お話されたんですか。

力斗 マスク越しですけど「おい、力斗〜」って。最初は何を言ってるか分かんなかったけど、よく聞いてみると「パパ、負けたよ」って言ってるんです。今まで安岡力也から「負けた」なんて言葉、聞いたことがない。初めて聞く言葉だったんです。「何言ってんすか! 今まで勝ってきたじゃないですか! 喧嘩(けんか)でも負けたことないでしょ! 勝ちなさいよ! 今回も!」って手をぐっと強く握ったんですよ。そしたら握った手をぐっと握り返してきて「そうだよな。力斗、おまえは本当にパパのエンジェルだ」って。「何言ってんだよ! オレがエンジェルなら、アンタはゴッドだよ!」って言いました。親父は力也ファミリーのゴッドファーザーなんですよ。それがね、最後の言葉でした。

―ご自身では、もう分かってらっしゃったんですね。

力斗 まぁ、自分の体のことですから。肝臓移植の段階で余命1カ月ですって言われてた状態だったんで。どんどん体の痛いところが増えてくるし、苦しいところも増えてくるし、痛み止めも増えてくるし、食事も食えなくなってきてる。それでも、最後まで「諦めない」って言い続けた親父でした。

―亡くなられて4年経ちます。

力斗 今でも墓参りに遠路はるばるみーんな来てくれるんですよ。(亡くなった後に)あぁ、ホントにみんな慕われてたんだなって今さらになって気付きます。墓石にね「文字入れられますよ」って石屋さんに云われたので「Always with you」って入れました。いつでも、一緒にいるよってね。

―これからも、そんな偉大な父親と比べられていくこともあると思うんです。

力斗 でも、親父と競うわけじゃないし、僕の中では親父は別格なんです。その高みに上っていこうって気持ちの方が強い。親父のことだから、今でも背中を押してくれるかもしれない。でも、今の若い子で安岡力也を知らない子も出てきたんだから。今まで「力斗って安岡力也の息子らしいよ」って言われてたけど、これからは「安岡力斗のお父さんって芸能人だったらしいよ」って言われていくだろうし。ただね、今まで安岡力也を知っている人たちの心の中で、いつまでも安岡力也が残ってくれていたら、うれしいとは思いますね。

―最後に、力斗さんご自身の今後の夢を教えてください。

力斗 僕ねぇ、英語できればアメリカで勝負したいんです。世界中の人たちが「力斗、面白い」って笑ってくれたら、そんなにうれしいことないだろうなぁって。で、ちょっと大きい話になりますが、ユニセフのような、世界中の恵まれない子供たちに温かい手を差し伸べるような団体って素晴らしいなぁって思うんです。ああいった活動の一環で、自分にできることがあれば、なんでもしたい。僕、マスコットキャラクターになりたいんです。ミッキーマウスなんて、世界中の子供たちが「あっ! ミッキーだ!」って笑顔になれるじゃないですか。そんなの感じで「あっ! 力斗だー!」ってなりたい。そんな感じで世界中の子供たちを笑顔にしたい。戦争や喧嘩なんてくだらないことヤメようよ。ピストル撃って、パンって中から鳩が飛び出してくりゃ「なんだ、こりゃ」ってなるじゃないですか。世の中、みんな笑顔で仲良く。大きすぎる夢かもしれないけど、もし叶(かな)うのであれば、僕は世界中の人を大笑いさせたいんです。

 

★インタビューの舞台裏★ → ameblo.jp/matenrounikki/entry-12164493869.html

 

〈profile〉 やすおか・りきと 1986年東京都生まれ。俳優や歌手として幅広く活躍した父・安岡力也さんの他界後、2014年から芸能事務所に所属し、タレント、俳優として活動をスタートさせる。同年、父との生活をつづった著書「ホタテのお父さん」(東京キララ社)を出版した。公式ブログ:ameblo.jp/rikito-yasuoka/

(2016年5月28日号掲載)


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