〈企業トップインタビュー〉アムネット・ニューヨーク・インク 中川扶二夫社長

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人にまつわる仕事、異業種も手掛け5_Mr.Nakagawa

総合旅行会社で一つのものにとらわれず米国の情報発信

「アムネット」。アメニティー(快適さ)を提供するネットワークを目指し、名付けられた同社は、在米者や日本から来る人への旅の手配を行う総合旅行会社として、その人情味あふれたなサービスでリピーターを増やし続けているほか、進出企業やイベント開催における現地視察のコーディネートなども手掛け、さまざまな形で米国の情報を発信している。一つのものにとらわれず、常に新しいアイデアを探求し続ける同社中川扶二夫社長にお話を伺った。
◇ ◇ ◇
―アムネットを設立された経緯を教えてください。
中川社長 ここニューヨークにアムネットを設立したのは1988年8月。30歳になる目前のことです。「米国人と結婚したい」という夢をかなえるべく、大学時代に留学したのですが、就職のためにいったん帰国しました。その時再び海外に行くことを自分自身に誓い、日本の旅行会社に就職したのです。添乗員としてさまざまな国を訪問し、さらに転職先では、ハワイ支店の支店長を任されるなど、待望の海外生活も経験しました。しかし、日本本社の業績悪化に伴い帰国となりました。そこでの業績回復に尽力した後、ついに長年の夢を実現するため渡米、そして起業をする決意をしました。  起業したばかりのころは苦労も多かったですよ。安全な立地をと5番街にオフィスを借りたのですが、当然、家賃は高く、ダイレクトメール(DM)や無料配布のイエローページ(職業別電話帳)を積み上げ、椅子と机代わりにしたことを思い出します。もちろん携帯電話もありませんから、仕事の電話は、もっぱら公衆電話から掛けていました。故障している電話機も多い上、並ぶこともしばしば。相手が不在の場合はまた並んで掛け直したりと苦労の連続でした。後に電話付きのオフィスに移った時には、電話のありがたさが身に染みましたね。それも含め、留学時代のつらかったアルバイト経験、そして人の3倍努力することを知ったハワイ駐在など、起業に至るまでの全ての経験が、今の自分の血となり肉となっているのだと思います。
―旅行業以外にもさまざまな業種を展開しておられますが。
中川社長 旅以外にも、いろんな形で快適さを提供していきたいと考えたからです。これまでの米国生活を振り返り、また、この先の人生において一番大切なものは何かを考えた時、それは自分の社員であり、育て支えてくれた周りの人たち、つまり“人”だと気付いたのです。「人にまつわる仕事をしよう」。そう思い、人材派遣会社アクタス・コンサルティングを作りました。その後、旅行、人材というサービス業だけでなく、自らの手で何か形になるものを残したいとの思いから、シカゴでアングルプレイスという出版社を立ち上げました。
異業種へのチャレンジは9・11(同時)テロ事件がきっかけでもありました。テロの影響はすさまじく、それまでに得た売り上げ、貯金の全てを使い果たしました。「もし再びテロが起こったとき、一つの業種だけでは継続できない」。リスクヘッジのためにも異業種を手掛けることにしたのです。
―今後の夢、目標は。
中川社長 社員の平均給料、そして社員の満足度全米ナンバーワンかな。私は、トップに立つ者だけが高給を得るのではなく、社員もみな平等に給料を得るべきだと考えています。まずは売り上げを伸ばし、それに見合った給料を社員たちに提示したい。そうすると社員のモチベーションも上がりますよね。そうやってアムネットで働くことで幸せを感じる社員を増やしていきたいのです。
そしてもう一つ、いつか飲食店をやりたいですね。インターネットなど仮想のものが流行する現代において、飲食業はある意味時代に逆行しているかもしれませんが、それも面白いなと。具体的な構想はまだ秘密ですが、やるからには全米一、いや世界一を目指します。(笑)

なかがわ ふじお 1958年、広島県生まれ。大学時代にサンフランシスコへ留学。帰国後、日本の旅行会社に就職し、ハワイ支店長なども務める。1988年8月、ニューヨーク・マンハッタンにアムネット・ニューヨーク・インクを設立。現在はボストン、シカゴ、マイアミ、ロサンゼルス、コスタメサ、ハワイ、東京、大阪に支店を展開。常に新しいことへチャレンジし続け、異業種へも果敢に進出。趣味は、ゴルフや映画鑑賞など。

(「WEEKLY Biz」2011年1月8日号掲載)

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