安藤忠雄

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国際人になるためには徹底的に自由な精神を鍛えておかなアカン

「ガチ!」BOUT. 181 

安藤忠雄

世界的建築家、安藤忠雄さん。数々の国でさまざまな建築デザインを手掛ける日本を代表するアーキテクチャーは現在、東京大学名誉教授、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問の肩書も持たれます。ニューヨークのジャパン・ソサエティーでの講演会直前、お時間を取っていただきました。世界を舞台にした芸術家の考える、国際的に通用する日本人とは。 (聞き手・高橋克明)

 

ニューヨークで講演会 

先生、今回は講演会のためのニューヨーク訪問ということですが…。

安藤 (さえぎって)今回はね、マサチューセッツのクラーク美術館が明後日、オープンするんで(その除幕式で)来たっていうのもあるんですけどね。まぁ、そこはルノアールを中心に作品を持っておられるんですね。大変いい絵がいっぱいあって、いい美術館なんですけども、(構想から)14年かかってるんですよ。「アメリカで美術館を作るのは長いことかかるなぁ」って思ってね。あぁ、一つのことをやり遂げるのは時間がかかるな、と。だから忍耐力がいるじゃないですか。

先生でも思われるわけですね。一つのことをやり遂げるのには時間がかかっ…。

安藤 (さえぎって)誰でも思ってるんちゃう。そりゃあ大変な時間がかかりますよ。そのために日本人が鍛えていかんことは何か。持続力、忍耐力、それと自分に対する責任感っていうのかな。それをきっちり鍛えておかないといかんわね。持続力、忍耐力、創造に対する責任感。それらを持って自分の希望に向かって生きていくようにせないかんわな。

忍耐力といえば、先生は元ボクサーという異色の経歴を持ってらっしゃいますが、ボクシングって大変な職業ですよね。今のお仕事と比べて…。

安藤 (さえぎって)いやぁ全然、大変なことじゃないです。あれはスポーツですから。ただ、ボクシングと今の建築の仕事もつながりはやっぱりあってね。どっちも仕事をする時には緊張感がいりますからね。自分の力だけが頼りやわな。

自分の力を試すのに、今の日本人が国際的に通用するには何が必要と思われ…。

安藤 (さえぎって)まぁ日本人だけじゃないと思いますけど、国際的に全ての人たちが、頑張らないかんものは何かと考えてみたら、若いころに徹底的に勉強せなアカン。子供の時に徹底的に自由な精神を鍛えておかなアカンわな。

自由な精神、ですか。

安藤 うん、それが今の日本にはないんよ。自由な精神がないんよ。子供のころにきっちりしとかなアカン心の芸術体験をしづらい言うんかな。そういった経験の中で、強い自分になっていく。自分の考えをしっかりと発言する人間になっていくわけや。

それが今の日本には足りていない、と。

安藤 足りてないっちゅーか、全然ないですね。だから、子供をある時期ある程度放り出して、個人の自立心というのを鍛えておかなアカンな。そのためには福沢諭吉が言うように自立自存の精神を子供の時にトレーニングしとかなアカン。自分の考えで自分のやり方で生きる方法。それが自立自存の精神。自分の責任で歩くっちゅーこっちゃ。

欧米の方が自立心を持っている子供は多いですか。

安藤 まぁ人それぞれやけど、日本人よりはね。日本は何か言うたら、協調心ばっか教えてきたけれども、もしこれからの世の中、国際社会で戦うんだったら、協調性だけではやっていけないよね。

ニューヨークにも先生の手掛けたものはありますが、先生ご自身が手掛けた建物以外で印象に残る建築はございますか。

安藤 例えばね、(ニューヨークのミッドタウンに)シーグラムビルってあるじゃないですか。あれはやっぱり20世紀を代表する建築ですよね。あのシーグラムっていうビルが持っているあの力っていうのは、やっぱりかなわないね…。すごいビルやね、あれ。でも、そういう凄(すご)い物を、また超えてやろう、超えた物を作ってやろうと(この街は)するじゃないですか。それこそが、やっぱり凄い(ことな)んちゃうかな。

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ニューヨークで行われた講演会の模様=6月26日(撮影・池浦)

先生にとってニューヨークはどういった印象を持たれている街でしょうか。

安藤 ニューヨーク、というよりマンハッタンっていうのはやっぱり20世紀を代表する“芸術”だと思うわな、うん。マンハッタンという街全体が芸術やと思う。もちろん、その中にもグッゲンハイム(美術館)をはじめ、いろいろな美術館があるわけやけども、それだけじゃなくて、街のあちこちに現代美術があって、セントラルパークがあって、カフェがあって、人間が生活を楽しみながら新しい世界を築こうとしてる。せやから、これからもますます(世界中から)人が集まってくるやろな。

まだ集まってきますか。

安藤 うん、そりゃそうやろ。これだけエキサイティングな街は世界中探してもないわけやから。1回は来ないかん街ちゃう? そう思うよ。

最後にそのニューヨークで現在生活している日本人に応援メッセージをお願いできますか。

安藤 それはやっぱり諦めずに最後まで自分のやりたいことをやり遂げてほしいちゅうこっちゃな。そのためにも自分が信念を持てる物を早いうちに作っとかなアカンわな。それがなかったら、元気ばっかりでもアカンでしょ。それさえあればね。世界は開かれてるわけやから。でも、なんぼ世界が開かれとるっちゅうても、まずは自分の心を開いていかんとな。自分の心を開いて、いくつになっても挑戦する勇気がないとダメですね。全ての人にチャンスがあるわけやから。私は建築の専門学校を出たわけでもなし、大学の教育を受けたわけじゃなしに、今までやってきたけれども、自分の可能性は自分自身の中にあると。そう思ってやってきましたんで。だから、まぁ、今のところ生きていけてるわけやね。(笑)

 

★ インタビューの舞台裏 → ameblo.jp/matenrounikki/entry-11896394057.html

 

安藤忠雄(あんどう・ただお) 職業:建築家
1941年大阪生まれ。世界各国を旅した後、独学で建築を学び、69年に安藤忠雄建築研究所を設立。環境との関わりの中で新しい建築のあり方を提案し続けている。代表作に「光の教会」「大阪府立近つ飛鳥博物館」「フォートワース現代美術館」「東急東横線渋谷駅」「プンタ・デラ・ドガーナ」など。79年に「住吉の長屋」で日本建築学会賞、93年日本芸術院賞、95年プリツカー賞、10年文化功労者、05年国際建築家連合(UIA)ゴールドメダル、10年ジョン・F・ケネディーセンター芸術金賞、12年リチャード・ノイトラ賞など受賞。91年ニューヨーク近代美術館、93年にパリのポンピドーセンターで個展開催。エール大学、コロンビア大学、ハーバード大学の客員教授を務め、1997年に東京大学教授、2003年から名誉教授。阪神・淡路震災復興支援10年委員会の実行委員長として被災地の復興に尽力する。00年に瀬戸内海の破壊された自然を回復させるため、中坊公平氏と共に「瀬戸内オリーブ基金」を設立。04年より「美しいまち・大阪」の実現に向けて、大川・中之島一帯を中心に桜を植樹する「桜の会・平成の通り抜け」の活動に呼び掛け人として参加。16年東京オリンピック招致のためのグランドデザインの監督を務める。11年、東日本大震災復興構想会議・議長代理。この東日本大震災で親を亡くした子供たちの学びを支援するため、「桃・柿育英会」と称した遺児育英資金を設立。被災地の子供たちに、10年間にわたって支援を続ける。
【公式サイト】www.tadao-ando.com

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2014年10月4日号掲載)

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