小田裕一郎

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この街で自分でギター弾いて歌いたかった

「ガチ!」BOUT.37

 

松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」ほか「青い珊瑚礁」「風は秋色」など、70~80年代のJポップ界で数々の名曲を手掛けた音楽プロ デューサーの小田裕一郎さん。10年前にニューヨークに住まいを移し、現在ニュージャージーにスタジオを構え音楽活動を続けている。ここには数々のミュージシャンが訪れ、レコーディングやギグなどを行っているのだという。そんな小田さんの〝アジト〟にお邪魔して、ニューヨークに来た経緯などお話を伺った。(聞き手・高橋克明)

セロニアス・モンク・ジュニアらと「Do ENKA(ドゥ演歌)」コンサート

先生、いきなりなんですけど先生が最初に買ったレコードって何だったか覚えてます?

小田 もちろん! 小学校4年生でね、村田英雄の「王将」。

小学4年で。

小田 そう、お母さんにデパート連れてかれて、何が欲しいのって聞かれたから、これって指をさしたのが村田英雄でね。

4年生だと当然知らなかったんですよね、村田先生の事も「王将」っていう歌の事も。

小田 うん、知らなかった。何か男らしい人にあこがれてたんだな。着物着てさ。

CDのジャケットが気に入ったって事ですか。

小田 そうそうそうそう、当時はレコードだけどね(といって復刻版「王将」のCDを見せてくれる)。これこれこれこれ。これに惹(ひ)かれたんだよね。ソノシートでさ。知ってる? ソノシート。ぺらぺらのさ、透き通ってて。

はい、あの昔よく絵本とかに付録で付いてた、

小田 そうそう、そうそう。あれを一番初めに買ってね。それからずーっと後に、僕が37、8歳の時かな、「東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)」、まあ、昔は「東京芝浦電気レコード株式会社」って長ったらしい名前だったんだけど、そこのパーティーで実際に村田先生にお会いして。

レコード買ってから30年以上経って、

小田 そうだね。そこでさ…。まあこんな話は記事になんないか。

いえいえ、何でも聞かせて下さい。

小田 その50周年のパーティーに行ったら一番初めに村田英雄さんが来てたの。こんなめでたい事ない、この輝かしいお祝いに俺が一番に来なきゃだめだろうって。一番初めにだよ。若いやつはカッコつけて後から来るのにさ。で2番目に来た僕にまあ座んなさいって言ってくれてね。ボーイさん! って呼んで僕のためにレモンティーを頼んでくれたんだよね。それはね、忘れられない思い出だよ(しみじみ)。勝新太郎さんとか三船敏郎さんとか、あのあたりが好きなんだよね。男をうたう男というかね。

伝説的な名前ばかりで僕らの世代ではぎりぎりピンと来ないですね。

小田 そうだよねー。サムライをアメリカで流行(はや)らした人たちだからね。「座頭市」なんてどこのレンタル屋行っても置いてるよ。

なるほど、先生の原点は村田先生だった、と。それでは今回のコンサート「Do ENKA」が決定するまでの経緯をお聞かせ下さいますか。

小田 うん。僕も長年ね、作曲家として、プロデューサーとしていろんな人の面倒を見てきてさ。沢田研二から郷ひろみ、松田聖子から杏里とか、35年費やしてきたんですよ。で、まあ本当に何がやりたかったのか振り返って17歳に戻ってみたらさ、誰の面倒をみるでなく自分でギターを弾いて、自分で歌いたかったんだよね。ここアメリカでギター弾いて歌いたかった。それだけなのよ。で、今回のコンサートに至ったってわけ。

先生は作曲家として一時代を築いてこられましたが、まだやり残した事があったと。

小田 そのためにアメリカに来たからね。自分の音楽を見つめたくってさ。最初は(日本と)行き来してたけど、やっぱり住まないといつまでたっても「ゲスト」なんですよ。音楽においてもやっぱりニューヨーカーにならないといけない。すぐ来て、帰ってではニューヨーカーなんて言ってもここの連中は認めてくれないよ~。で、やっと10年。ここの住人たちと一緒に音楽を勉強して、一緒の感覚で演奏して、本当に自分の作りたかった音楽を(このスタジオで)作ってこれたって感じなんだよね。

それにしてもかっこいいスタジオで、機材もすごいですね。

小田 ここは実験室みたいなモンですよ。研究室というかさ、この音とこの音を混ぜたらどうなるかみたいな、ね。

作曲家時代の事をお聞きしたいのですが、当時は大忙しだったと思います。

小田 そうだね。その時代時代に合わせてどうやったらヒットするか、どういうスタッフを集めればこの松田聖子って子はヒットするか、ギターは誰で、ベースは誰で、編曲家は誰で…。もう、ひとつのプロジェクトだよね。ずーっとそんな事を考えてましたよ。日本はさ、日本はね、今はこれが新しいからこれでいこう、このタイプの曲調が売れるからこれでいこうって感じで。レコード戦略なんてそんなもんよ。でも古いとか、新しいとかそんな事よりいいものはいいってなぜそこにポイントを置かないのかってね。

古い新しいの前に、いいか悪いか、だと。

小田 ジャンルにしてもそう。俺はジャズだけど、お前はロックかって、そんな時代だったけど今はもう全部クロスオーバーしてきた。例えばジャズの人がラップを使ったりハードロックの曲をクラシックでアレンジしたり、だっていまは黒人が演歌歌う時代だよ。当然僕が演歌の曲をジャズでやっていい時代なんだからさ。いまはもう東京-大阪間が新幹線で2時間の時代なんだから(笑)。音楽だって当然進んでいってるよね。こんな時代に生まれて良かったなーって思うんです、ホントに。

今回の「Do ENKA」のコンセプト、演歌でジャズを歌うと聞いてなんて斬新で画期的なんだって思ったんです。思ったんですけど今のお話を聞くと先生にとっては至極ふつうの事なんですね。

小田 特にここニューヨークでしょ。料理だってアメリカ料理ばっか食ってるアメリカ人なんていやしないんだから。つまんないよ、オーソドックスな物ばかりじゃ。食べ物も音楽もみんな食い飽きてるって。

一緒にセッションするメンバーはセルニアス・モンク・ジュニアさんですが。

小田 これが、またね、アメリカでは伝説のドラマーとして通好みの音楽家。アメリカンジャズ界の会長でもあるんだけど、日本やヨーロッパのジャズメンたちみんなのあこがれの人だよね。

お互いのルーツのまんま、セッションするわけですよね。

小田 結局大事なのはインド人はインド人の、ブラジル人はブラジル人の、日本人は日本人の、その国の音楽をルーツにしてアメリカ人の心をつかむっていう事ですよ。自分の民族意識を持って取り組むという事だよね。だって、アメリカンスタンダードを僕が演奏してもね、

ものまねにすぎない。

小田 (自分のルーツを)堂々とやればいいんだよ。案外、演歌の人は(こっちで)受けるんじゃないかって最近思うんだよね。天童よしみなんてこっち来て黒人のゴスペル入れて(ここで突然ゴスペル調に演歌歌いだす)、日本語で思いっきり歌ったらシャレてるよ。サブちゃん(北島三郎)なんてまだ生きてるんだから呼びたいよね。絶対いいと思うよ。「与作」なんてあれゴスペルだもん。帰ろかなーってGO HOMEじゃない。帰ろうよ、でも東京でまだ頑張んないと、ニューヨークでまだ頑張んないと、そういう詞なんだから。ゴスペル入れて「帰ろかナァァァ~~」ってかっこいいよ。英語の曲なんか覚えるより絶対いいって。行き着く先は絶対そこよ。アメリカ人は子供のころ聴いた曲を演奏する。だから僕も子供のころ、日本で聴いた曲を演奏する。

で、ここで村田先生が登場するわけですね。

小田 そう!(また歌いだす。「王将」。しかもイントロから。で続いて「お富さん」)

「お富さん」は春日八郎さんですよね?

小田 そう、これこれ(といって春日八郎さんのCDをみせてくれる。着物を着た春日さんがこっちを向いてほほ笑まれてるジャケット)ね。今の人から見たら、ほとんどやくざでしょ。

なんてことを(笑)。大巨匠に向かって…。でもヤクザだな、これ。(BGMには小田さんの歌う「お富さん」がずっとかかってる)

小田 ね!

村田さん、春日さんは小田さんにとって原点なわけですね。

小田 そうです!(といいつつ「王将」の原曲を大音響で聴かせてくれる)

いや~、ニュージャージーでまさかこれを聴けるとは思ってもいませんでした。

(で、この後、しばらくの間、村田英雄、春日八郎ショー。素晴らしい音響設備のスタジオ、最高の音で両巨頭の演歌を聴かせていただく)

小田 で、これがどうなったかっていうと(ジャズにアレンジされたラップも入っている「お富さん」を聴かせてくれる)

(導入部分からいきなり)かっこいいーー!……これは衝撃受けますね。これ、ジャズだ。

(同席したカメラマン)いや、でもちゃんと演歌で(もありま)すよ。

小田 でもジャズでしょう。

はい。ジャズですね。演歌でもあり。日本人にしてみれば新鮮な驚きですね。

小田 だから、ジャズと演歌は同じ時代に栄えたものだから。

時間軸で言うと。

小田 そう。セルニアス・モンクと村田英雄は同時期に(違う国で)活動してたわけだよ。でセルニアスのジュニアと息子である僕が今回共演するんだよ。ニューヨークならではのコンセプトだよね。

面白い話です。‥今、息子っておっしゃいました?

小田 息子みたいなもんじゃない(笑)。もし村田英雄さん生きてたら電話したよ。そしたら会おうって言ってくれたと思うよ。このまんまの(CDジャケット)着物来てさ後ろにジャズのバンドでさ、歌ってくれたと思うよ。ジャジャーーン、って。(ここでまた熱唱)

しびれる話ですねぇ。当日は演歌ファンにもジャズファンにも聴いてもらいたいですね。で、奥さまでありシンガーのYUKOさんも当日歌われるんですよね。

ユウコさん 当日は美空ひばりさんの「真赤な太陽」、(後ろで小田さん「真赤な太陽」歌いだす)と加山雄三さんの「夕陽は赤く」(後ろで小田さん「夕陽は赤く」熱唱しだす)、を歌います。「恋のバカンス」もかな。それぞれ英語で詞をつけてみたら直訳にすると曲と合わなくなるので若干アレンジしてみたり、ボサノバ調にしてみたりしました。(この間も後ろでずっと小田さん熱唱、踊り付き。普段の事なのかユウコさんも平然)

最後に小田さんにとって、ニューヨークとは何でしょう。

小田 やっぱり最後に地球はね、こういうように共有して生きてかなきゃいけないよって事だと思う。お前は何人とか関係ないだろって。そういった意味でもここはアメリカを超えてるんじゃないかって思う。白人主義や黒人主義やそれだけで通用しないんだから。日本もそうだけど日本だけじゃやってけない時代になってるんだから。いわゆる手本になるべき街だよね。それに僕個人にとってはね音楽自体を初めて楽しめた街。だからずっと若い感覚でいさせてくれる街なんだよね。

いや、ほんっとうにお若いと思います。今日は本当にありがとうござ…。

小田 (さえぎって)それとさ、ニューヨークにいると民族を感じるよね。カレー食べにいくと店ではシタールが演奏されてたりさ、聴いた事あるでしょ?(ここで一曲シタール調で口ずさむ)あれ、いいよね。フランス料理行ったら昔の僕がまだ聴いた事ないフランスのレコードが流れてる(多分そのレコードを口ずさむ)。ね?

やはりニューヨーク、ならではという感じですか。

小田 だって、インド人の店行ったらインドの今一番流行ってるポップス流してるよね。もう、10年くらい前のドラムマシンでさ(笑)。もう、踊るマハラジャ、だよ。ちょっと行けばイタリアのコンソーネなってるわ(コンソーネ、大熱唱)、ロシアのバー行ったらロシア人ピアノ弾いてるじゃない。クラシックジャズなのよ、あれ(足でリズム刻みながら口ずさむ)。自分の国のメロディーをジャズでやってんだよ。イタリアもロシアも行かなくていいんだよ。同じ曲聴いて同じ料理食って帰ってくるだけなんだから。結局ここは全世界の人が集まって自分の国のカラーを出して商売してるんだよね。

そう言われてみるとすごいぜいたくな街ですよね。

小田 そうだよ! 長く住んでる人は当たり前すぎて気付かなくなってるけどね。世界中の人が集まって世界中の人が成功を夢見てる。フランク・シナトラが言ってたけどさ、

まるで先生が直接、聞いたかのように。(笑)

小田 「このブルックリン・ブリッジにみんな笑顔で入って来るけど、空も見られない顔して国へ帰っていく人の方が多いんだ」って、ね。それはまぎれもなく人生の賭けですよ。

◎インタビューを終えて

とにかく小田さんの話はそのすべてが面白く、エピソードの引き出しの多さに、さすが日本の歌謡界を背追ってきた男だったんだなあと感嘆させられました。文字数の関係上、泣く泣く全体の70%をカットしなけれならなかった事が非常に悔しく思われます。あとは本文を読んでいただくと分かるように話が乗ってくると音楽家ならでは、すべての会話に効果音、もしくはBGMが入り、常に頭の中で曲が鳴っている状態の方なんだなあ、とそんなところにも驚かされました。以前、莫大な費用をかけて作った自宅の音響設備が天井から漏れてきた水によりすべて台無しになったお話の時でさえ、機材が破壊されていく様子を低音のリズム で表現されて、不謹慎ながら大笑いしてしまいました。演歌ファンの方もジャズファンの方もそのどちらでもない方も是非、当日足を運んでみて下さい。新鮮な驚きとそしてナショナリズムとは何か、オリジナリティーとは何なのか、そこまでまで考えさせてくれるステージになるのではないでしょうか。

ジャズシンガーで奥さまであるユウコ・ダージリンさんもコンサートで歌う

ジャズシンガーで奥さまであるユウコ・ダージリンさんもコンサートで歌う

小田裕一郎(おだ ゆういちろう)

職業:ギタリスト 作曲家 作詞家 プロデューサー

鹿児島生まれ。幼少の頃からギターを弾きはじめ、14才ですでにプロのギタリストとして活躍。ロック、ポップス、ジャズ、ブルース、ラテン、ボサノバ、そしてクラシック音楽などを独学で学ぶ。楽器もギター、キーボード、ベース、ドラム、三味線、ウクレレと多くを弾きこなす。松田聖子を世に送りだしたことはよく知られているが、曲を提供したアーティストは、サーカス、田原俊彦、杏里、デュークエイセス、桜田淳子、山本リンダ、尾崎紀世彦、石川秀美など。また小田自身、アーティストとしても活躍。自身のアルバム制作を、George Duke、Tom Scott、Ernie Watts、The Brothers Jhonson、Larry Carltonらと共に行うなど、海外のアーティストとも数多くコラボレートしてきた。映画、テレビドラマ、クイズショーなどの音楽も数多く手掛けている。公式サイト:http://www.odastudio.com

■コンサート情報

Do ENKA(ドゥ演歌コンサート)

松田聖子、田原俊彦、杏里、桜田淳子ほか、多数のアーティストに楽曲を提供してきた作曲家でアーティストの小田裕一郎さんが11月1日、「Do ENKA(ドゥー・演歌)コンサート」を開催する。

日本の演歌の代表的な曲(「与作」など)を、ジャズやブルース風にアレンジし、ジャズのレジェンド、セロニアス・モンクJr.やサージオ・サルバトアーらとともに演奏。新しい形のコラボレーション、文化交流を披露する。【日時】11/1(土)【会場】Museum of the City of New York

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2008年10月25日号掲載)

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