沢竜二

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アメリカ人に通じる芝居こそ本物の芝居

「ガチ!」BOUT.38

日本大衆演劇の第一人者として現在も活躍する沢竜二さん。歌に踊りに芝居に、エネルギッシュなパフォーマンスが海外でも受けている。 ことしで3回目を迎えるNY公演を行うにあたり、その意気込みと見どころ、そして新たな「挑戦」について、お話を伺った。(聞き手・高橋克明)

NY公演「沢竜二・決定版!」今年も開催 11月2日まで

3回目のNY公演を直前に控えて今のお気持ちはいかがでしょうか。

 前回はオムニバス方式で5本くらいの作品を15分ずつにまとめてやったんですけど、今回はちゃんとしたお芝居を1本入れてますから、その分、意気込んではいますね。僕の場合は「沢式ミュージカル」っていうんですけど、アメリカ人の方に分かるような芝居を持ってきたつもりです。言葉の通じない人たちにも僕の芝居を分からせたいし、アメリカ人の方も分かるような芝居を僕は本物の芝居と思うんです。ただ、今回は「お里沢市」という1時間の芝居を丸々1本入れてますから。これを(アメリカ人の方には)どうやって理解してもらうか、まあ、やってみなきゃ分からないですね。

前の2回とは違う試みなわけですね。

 だから僕ね、完全にハイになってますよ。さー、これでダメだったらもう、2度と俺はニューヨークをまたげねえなって、ね。(笑)

なるほど。今回も全編通じて日本語一本で勝負される、と。

 いや、そこで考えたんだけどね、芝居っちゅーのは最初の5分で観客をおいてっちゃったらそこで終わるんですよ。蜷川(幸雄)さんともよく話すんだけど、幕開けの15分でお客さんがびっくりするような何だろうこれ、っていう期待感を入れていけば後の15分はもう完全についてきてくれる。で、(その)30分をしのげば残りの30分は楽なんだよ、ってね。だから「お里沢市」も最初の15分で分かんなかったらつまんねー芝居に思われちゃうってんで、何カ所か、英語の単語だけを入れようと思うんです。

英単語を?

 そう、流したようなつづった英語はダメですよ。単語だけをね。例えばヤクザ役のならずものが惚(ほ)れてるお里を助けてやるシーンがあるんですよ。その時に「今夜、暮れ時の鐘がゴーンと鳴ったらおめえの家に忍びに行くから」っていうセリフがあります。アメリカ人の方は(日本語なので)夜這い(よばい)に行くから布団を敷いて待ってろよなんて意味は分かんないよね。その時に(指を2本出して)「pillow, two」ってね。

(笑)。あー、なるほど。

 それなら分かるでしょ。枕を二つっていうからには、この人、悪い事しに来るんだって、ね。

分かりますね。

 だから僕がずーっと、泣きながら日本語でしゃべるシーンも、その数カ所の英単語ですべて分かるようになっています。そうやってストーリーを最初の方でまとめるし、後の方になるとかなりスペクタクルですから、うん。あれがこうなるのっ、えーそんなラストっ、て笑いながら見てもらえるんじゃないかな。

ニューヨークの観客はやりやすいですか。

 ニューヨークはお客さんが明るいですよね。すごく明るいですよ。みんなショーの最中にも声を出してくれてね。日本じゃそんな事ないですもん。特に東京の客なんちゅーのは後ろにひいて見てますからね、いやホントに。(笑)

日本よりむしろやりやすいって聞こえます。(笑)

 全然やりやすいですよ! 全然いい! うん。あのー、昔で言うと九州の炭坑夫や、北海道の漁師みたいな感じがあるね。

ニューヨークの観客がですか。

 そう。炭坑地方だといつ落盤するか、明日の命も分からないから、みんな生き方が明るいんですよ、じめじめなんかしちゃいられないって感じで。北海道の方の船乗りなんかもね、いつ沈没するか分かんない。今日をめいいっぱい楽しんでますよ。そんな境遇で芝居を見るからね、わーわー騒いでくれる。ニューヨークの客はそういうのに似てますね。何も怖いもんないのにね。いやあるのかな、あるかもしんないね。貿易センターだったり、いつどこで何があるか、のほほーんとした東京の客とは違いますね。

すごく興味深いお話です。そのアメリカを意識されたのはいつごろからでしょうか。

 映画「ウエスト・サイド・ストーリー」を見たんですよ。いくつだったかなあ。28か9か。当時は旅芝居やってて、東京、大阪を行ったり来たりでね。俺くらい客を入れた人はいないってくらいすごい人気だったの。もう俺が一番だって、えばってやってる時にちょうどそれを見てね。ショックで3日間寝込んじゃったんだよ、熱が出てさ。うわーアメリカではこんなことやってんだぁってね。当時は俺たちが新しい新しいなんて言われてたけど、何が新しいんだって、向こうはあんなことやってんじゃねえかって、よし俺もいつか絶対行きたいって思ったね。

今は大衆演劇役者として第一人者にまでなられた沢さんなんですが、先ほど名刺をいただいた時に、肩書きに思いっきり「ドサ役者」と大きく入っていましたよね。当時はいい意味じゃなく使われる人もいらっしゃったと思うんですが。

 そうですね。全然食えない時代にはあいつは旅芝居だからってけなされてね、でもそんな苦労がずっと身に付いてるからその名刺はやめないんですよ。だからこの肩書きは僕にとってはこだわりの一番のステータスでしょうね。例えば東京行きゃあ、一人でバス・トイレ付きの二間続きの楽屋だったりしますけどニューヨークじゃあ、こんなちっちゃな部屋ですよね、でもねあれもこれも僕には同じ事なんです。小さい舞台でも大きな舞台でも僕はセーブできない人間だからおんなじ歌い方、おんなじお芝居ですね。演劇評論家とかからさ、沢さん(この肩書きを名刺から)もう、取ろうよって言われたりしてもね。いや、俺は生涯取らないよってね。

なるほど。今回の「お里沢市」の見どころをお願いします。

 やはり一言で言うと「夫婦愛」かな。この芝居を見ればね、どこの家庭も円満にいくと思うけどね(笑)。だからいらっしゃる時は彼女でもいいし、奥さんでもいいし、恋人夫婦で来ていただければありがたいですね。そして最後は「宮本武蔵」をやらせてもらいます。巌流島の決闘をね。うん、やっぱり吉川英治でいきたいと。

吉川英治先生の「宮本武蔵」はやはり特別ですか。

 うん、いいですねぇ。やっぱり武蔵には人間哲学がありますよ。哲学がある題材じゃないと僕はやりたくない。哲学があるからやりたくなるわけで。それが吉川英治なんですね。武蔵なんです。

お話を聞くと当日が非常に楽しみになります。最後に沢さんにとってニューヨークとはどんな街でしょう。

 ニューヨークは勤勉だと思うね。昔と変わってないのはみんなスピードがありますよ。歩くにしても何をするにしても。今の日本はみんなだらだらと歩いてますよ。昔は日本人は勤勉だっつってたけどさ、いまはアメリカ人の方が勤勉じゃないかしらと思うね。それと、なんつーぅのかな、義侠心(ぎきょうしん)っていうのかな、お世話になった人を助けるとか、兄弟分に命をかけるとか、そういった気持ちは、今はアメリカの方が上な気がしますね。(この国を)すごいクールだとみんな言うけど、僕はクールじゃないと思う。義侠心を持った男が多いと思いますね。見て見ないふりはできないという、それは武道心と言っていいかもしれない。だから今はこの街が好きですね。

ファンから寄贈されたのれんの前に立つ沢さん=アメリカン・シアター・オブ・アクターズで

ファンから寄贈されたのれんの前に立つ沢さん=アメリカン・シアター・オブ・アクターズで

◎インタビューを終えて  「何よりも僕の熱演と汗を見に来てもらいたいですね」。大衆演劇の元祖と言われた男の芝居論はとても熱く、お話をうかがった狭い楽屋は一変、そこはまるで大舞台の上にいるようでした。最前列には汗が飛び散る迫力のステージは傘をさして見なきゃいけないという伝説を作ったほど。ライブならではの緊迫感はアメリカ人のお友達を誘って見にいく価値が絶対あると思います。なぜなら日本全国を何十年も巡 業してきた沢さんその人が「間違いなく楽しんで帰ってもらえます」と笑顔をのぞかせたから。

沢竜二(さわ りゅうじ)

職業:役者

4歳で初舞台を踏み、16歳の若さで一座の座長に。日本全国で巡業を展開。1958年から63年のロカビリー全盛記に、それを自らの劇に取り入れた〝ロカビリー剣法〟を生み出す。64年、日本人にしかできないミュージカルをやりたいと、一座を一旦解散し上京。74年、劇作家・福田善之が書き下ろした演歌ミュージカル「夢の渡り鳥」を、新宿紀伊国屋ホールで上演したことで、ミュージカルへの夢は大きく飛躍。その後も、大衆演劇の座長として国内のみならず海外公演も精力的に展開している。公式サイト:www.sawa-ryuji.jp/

 

■公演情報

ニューヨーク公演「沢竜二・決定版!」

笑いあり、涙あり、スリルと感動に満ちた日本大衆演劇の第一人者、沢竜二によるNY公演「沢竜二・決定版!」が11月2日まで上演される。本年度の出し物には、第一幕に夫婦愛を描いた一大スペクタクル「お里沢市」、二幕には「バラエティーショー、あばれ太鼓と眠狂四郎」を用意。昨年に続き、12歳で日本一といわれる扇子妙技を披露した宝海大空くんや、ダイナミックで迫力満点の助六太鼓、今泉豊も出演。「決定版」と呼ぶにふさわしい盛りだくさんの内容でおくる。宝海大空くんの日本一といわれる扇子妙技や豪快な殺陣も堪能することができる。

【日時】10/31(金)〜11/2(日)【会場】American Theater of Actors(Chernuchin Theater)

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2008年10月31日号掲載)

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