髙橋真梨子(2)、ヘンリー広瀬

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NYのコンサートでも普段着の〝髙橋真梨子〟を見せたかった

「ガチ!」BOUT. 185

 

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ことしレコードデビュー40周年を迎えた“国民的人気歌手”髙橋真梨子。1993年、2008年と日本人として唯一、2度のカーネギーホールコンサートを成功させ、ニューヨークにも縁が深い。今なお精力的に活動する彼女と、音楽プロデューサーとして、夫として公私ともに歩んできたヘンリー広瀬氏に、3度目のカーネギーホール実現の可能性についてお話を伺った。 (聞き手・高橋克明)

 

レコードデビュー40周年

真梨子さん! 40周年おめでとうございます!

髙橋 おめでたいの? それ。(笑)

おめでたいですよ。40年ですから。

ヘンリー ねぇ。感謝でしょ、皆さんに。

髙橋 プレッシャーかかってきちゃった。40年ってことをおおっぴらに出すことに。(笑)

73年のデビューということですから、僕の生まれた年なので勝手に運命を感じてまして…。

髙橋 え! そうなの?

ヘンリー 高橋君、40(歳)だもんね。

ちなみにこの新聞(本紙)も創業40周年なんです。

髙橋 これと、これと、これと、(本紙、こちら、自分をそれぞれ指差し)一緒ってこと? ばっちり大人じゃない!

あはは。ばっちり大人(笑)。一言で40年といっても、語り尽くすには時間もスペースも足りないと思うので、一番聞きたい質問を最初にしますが…。この40年間、辞めたいと思われたことはありますか。

髙橋 それ、よく聞かれるんだよねぇ…。その時にいつも私は「ない!」って答えるんです。「1回も辞めようだなんて、よぎったことすらない」って。ポリープとか病気で休まざるを得ない状態になったことはあっても、歌える状態なのに自分から辞めたいなんていう時はないですね。

例えば「髙橋真梨子」というブランドにご自身でプレッシャーを感じて、それが煩わしくなったりとか…。

髙橋 ないです!(即答)。…いや、ホントのこと言うと、体の具合が悪くて、ひょっとして、もう歌えないかも! って心配したことはありましたよ。何度も。

ヘンリー でも結局、歌ってる(笑)。結局ね、歌い手さんにとって一番のカンフル剤は曲がヒットすることなんですよ。で、曲がヒットして巷(ちまた)で自分の歌が耳に入ることでモチベーションが保てるっていうのかな。

じゃあ、ヒット曲だらけなので辞められないですね。

髙橋 あとはね、1回目のカーネギー(ホール)は大きかった! また、あそこで歌いたいっていうモチベーションもあるかな。

93年の。

ヘンリー そう。この会社作った次の年。そういう意味でも「これから何ができるんだろう」「何かしなきゃいけない」っていう気持ちの中での出来事だったからね。何か率先して物事を切り開いていくタイプではなかったのに、自分たちの音楽シーンに対してだけは絶対に譲れないという信念を持って、その上で実現したカーネギーだったから。

それは特別な思い出になりますね。

ヘンリー 大変だったもの、そりゃあ(笑)。本当にオープンチケットでやったから、お客さん来てくれるのかな、とかね。ニューヨークに住んでる人って私たちのこと知ってるの? とか。そんな不安材料と戦いながらだったから。

結果、超満員になりました。

髙橋 (ニューヨークに)住んでらっしゃる方があんなにねー。歌手冥利(みょうり)に尽きましたね。自分の中でも大きかったと思うの。だから、翌年の(ロンドンの)ロイヤル・アルバート(・ホール)の時も、その3年後の香港の時も「私はやれる」って自信になりましたから。

ヘンリー カーネギーのステージに立ったというだけでワールドワイドな歌手になったとは、さすがに思ってないよ。でもニューヨーク・タイムズにも載ったし、少なくともエンターテイナーとして、今までやってきたことが報われた、証明されたとは思いましたね。

カーネギーホールってお二人にとってすら、特別な場所なんですね。

髙橋 カーネギーっていうよりもね、ニューヨークが大好きなんですよ。だから、カーネギーじゃなくてもニューヨークで歌えるなら、飛んで行くーみたいな。(笑)

前回のカーネギーの直前にインタビューさせていただいた時も、コンサートの話を振っているのに、真梨子さん「ニューヨークでするゴルフは最高!」って話ばっかりでした。

一同 (笑)

紙面では、もうバッサリ、カットしましたけど(笑)。目をキラキラさせておっしゃってので、黙って聞いてましたけど。

髙橋 ほんとにー?(笑)。でも、本音だね、それね。(笑)

ヘンリー 本音です、それ。(真顔)

2008年の2回目のカーネギーについてはいかがですか。あのカーネギーが満員になった光景は今でも忘れられないのですが。

髙橋 あの時はね、すでに1回やってるので、最初よりはドキドキしなかった気がしますね。ちゃんとお客さまの顔も(ステージ上から)見られたしね。上の階(バルコニー)のお客さまの顔まで見られましたもん。1曲目の途中くらいから、声も落ち着いてきて、いい意味で余裕も出てきましたね。

ヘンリー 2回目の前にね、「今回はカーネギーホールをどれだけ感じて、どれだけ楽しめるか」って二人で話してたんですよ。自分たちも「できる限り楽しもう」って。そういうステージにしたいねって。

髙橋 世界の中でも特別なステージだし、そう何回も立てるステージじゃないので、記憶の中に刷り込みたいなって。

ヘンリー 1回目は、もう何がなんだか分からないまま終わっちゃった感じだったのね(笑)。もったいないじゃない! 「僕たち、カーネギーのステージ踏んでるー」って楽しみたいじゃない。(ステージが)終わって、「楽しめた?」って聞いたら、「楽しめた」って。その時に成功だなって思いましたね。

印象深かったのは、いっさいステージをニューヨークの用にアレンジしていなかったことだったんです。日本から来たアーティストはニューヨークのライブのためだけに、いろいろと曲やステージや、MCを変えたりされることが多いのですが、お二人は日本のコンサートをそのまま持ってこられた。

ヘンリー それはね、やっぱり本来の髙橋真梨子を見てほしかった、うん。よそ行きじゃない普段着のままのコンサートで勝負したかったんですよね。どこに行っても髙橋真梨子は髙橋真梨子だっていうシンボリックは保ってなきゃとは思ってましたね。それで勝負できなきゃ、ニューヨークに行く意味もないでしょう。核になるものは変えないし、変える必要もないし、変えちゃダメだと思ったのね。

髙橋 アーティストとして大事な部分だと思うんです。場に応じていろいろアレンジしたとしても、逆に、お客さんはそれ見たいのかなって。(笑)

ヘンリー 例えば、イーグルスが日本ツアーをした場合、アメリカでやってるイーグルスそのままで見たいじゃないですか。日本語の曲を僕は彼らに歌ってほしくない。イーグルスはイーグルスのまま見たい。髙橋真梨子はニューヨークに行っても髙橋真梨子で見たい。”MARIKO TAKAHASHI”ではなく、髙橋真梨子でいこうって話したんです。

なるほど。映画も戯曲も「三部作」というくらいですから、あと最低1回は来てください。

髙橋 いいこと言うねー(笑)。

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コンサートでは度々デュエットをすることもある髙橋真梨子(右)とヘンリー広瀬

いや、真梨子さん、笑ってますけど、ニューヨークの日本人、皆さん待っていると思います。

髙橋 あのね、去年の紅白にも(トリで)出演させていただきましたけど、私、ああいうものは何かあった時に出た方がいいと思うんですよ。毎回出るんじゃなくて。「ジョニィへの伝言」でデビューした時に1回目出て、「桃色吐息」でソロになって出て、で、昨年、40周年で出たのが3回目。そういった意味合いがあっての紅白だったので、自分としてもとてもいい出演の仕方だったと思うんですね。カーネギーも1回、2回、と来たから、3回まではなんとかしてやりたいなって思ってるんです。でもねー、お客さんがもう年いってくるじゃない(笑)。やっぱり。

ヘンリー いいじゃない! お互いに年取った同士で。それはそれでいいじゃん!

髙橋 でも、もういらっしゃらなくなった人もいるかもしれないしとか、いろいろ、考えちゃってね……。

なんて悲しい話を(笑)。お二人ともお若いので、若さの秘けつをお聞きしたいくらいです。

髙橋 若くないわよ、全然!

そんな、怒らなくても…。

(※近くにいたマネージャーさん) でもいつも11センチのヒールを履いてコンサートのステージに立ってますから。そのヒールを履くためにはちゃんと腹筋もしてなきゃいけないわけですから。

しっかりウエートトレーニングもされているんですね、実は。

髙橋 全然してない。(笑)

ヘンリー 隠れてやってるんだよ(笑)。僕の知らないところでね。

髙橋 してないしてない(笑)。好きな物を食べて、好きな物を飲んで、好きなことやってます。それで、楽しく生きて、一生懸命コンサートをやれば、コンサートの髙橋真梨子と普段の髙橋真梨子を区別して、お客さんは見てくれるんじゃないかな。年相応じゃない格好でも、不自然じゃなく見てくれたらありがたいなって思うんです。

ヘンリー 横で見てて、いつもスゴいなって思うのは「明日のステージ」のために何をするのかを知ってる。本当の意味でミュージシャン気質っていうのかな。コンサートの前日はお酒を飲まない、なるべく声を出さない。当たり前のことに聞こえるけど、それを40年継続してる。その根底にあるものはね「職人気質」っていうのかな。彼女が昔「私は歌の職人になりたい」って言ったセリフを覚えてるんですよ。

その気持ちが若さの秘けつにも直結しているのかもしれないですね。

ヘンリー でも、この仕事をしてたら、年を忘れないとできないこと多いじゃないですか。こんな服着たり、あんな歌歌ったり。年齢と、やってることを“バランスシート”にしちゃうと何もできなくなっちゃうから。だから、ステージ上ではね、年を放り投げちゃう。(笑)

髙橋 そうね。そうすると背筋もシャンとするし、姿勢自体良くなってくるかも。人間だらけたら、どんどんどんどん老けちゃうから。“できるんだ”、“やるんだ”って気持ちが唯一の秘けつかもしれないですね。

ヘンリー でもね、「若く見えますね」って言われるのも考えものだよ。それって逆を言うと、年を取ったっていう証拠だからね。だから、年寄りでいいの! 70年生きてるわけだから、年寄りだよ(笑)。でも、こういうことをしてる年寄りでいたい。ポール(・マッカートニー)にしてもスティーブン(・タイラー)にしても、高齢だよ(笑)。でも、別に年を隠してるわけじゃないじゃない。「俺はこういうことをしてる年寄りだ」。それはそれでカッコいいなって思う。

本当にカッコいいって思います。

髙橋 年相応の格好をしなくていいのは、この業界だけかもしれないね。(笑)

ヘンリー そういった意味でもニューヨークは刺激を受けますねー。行くと、必ず、カルチャーショックを受ける。行くことによって、栄養剤をいただいたような感じがするの。なんなんだろうね、あそこって。すごい街だよねー。マンハッタンは異次元の世界ですね。

髙橋 私はね、滞在してる間もそうなんだけど(日本に)帰ってきた後に思い出して、心揺さぶられることが多いかな。詩を書いたり、曲を作ったりする時に感情が出る(反映する)ことありますね。

ヘンリー それはミュージシャンに限らず、全ての人が心揺さぶられる街じゃない、やっぱり。

最後にお二人を待っているニューヨーク在住の日本人にメッセージをお願いします。

髙橋 私、ニューヨークに住んでいらっしゃる日本人の皆さんにはスゴく会いたいんです。もう、その気持ちは前回のカーネギーから6年間持ち続けてます。なので私を忘れないでください。もし、また行けるのであれば、是非皆さんとは間近でお会いしたいです。

ヘンリー 僕はね、物心ついた時からアメリカに対しての憧れがすごいあったわけ。当時、進駐軍がすてきな音楽をいっぱい持ってきてくれてね。だから、そんな場所で実際生活してる日本の方々ってすごくうらやましいし、 海外に住んで、日本の良さをアピールできるポジションにいる人に対して、すごくリスペクトしてるんですね。だから皆さんには日本の魂を、心を忘れずに持ってもらったままでアメリカに融合していってもらいたい。そんな皆さんの前でまた歌うことができたら、一生懸命歌いたい。それがモチベーションになってるんですね。

髙橋 実はね、二人で、リタイアしたら、ニューヨークに住みたいねーってよく話してるの。(笑)

ヘンリー 本気でそう思ってますよ。マンハッタンじゃなくてもいいから、ニュージャージーの緑のある所で。

髙橋 で、ゴルフして。

またゴルフ。(笑)

ヘンリー で、週1回くらいマンハッタンにお買い物に出掛けて、レストラン「NIPPON」で食事する。

いいですね。でも、まだリタイアはしないでください。

髙橋 はい(笑)。でも、その時は物件探すの手伝ってね。(笑)

 

髙橋真梨子(たかはし・まりこ) 職業:歌手
福岡県博多出身。ジャズプレイヤーだった父親の影響で、14歳からジャズの勉強を始める。本格的なレッスンを受けるため、16歳で上京し。1973年、ペドロ&カプリシャスの2代目ボーカリストとして「ジョニィへの伝言」でデビューし、「五番街のマリーへ」などのスタンダードナンバーを残す。78年からはソロとしても「for you…」「桃色吐息」「ごめんね…」など数々のヒットを重ね、女性シンガーの頂点に立つ活躍を見せてきた。ことし7月に行われたフェスティバルホール公演をもって、ソロコンサート総動員数650万人を達成。36年連続38回目の全国ツアーを無事終了させるなど、活躍を続けている。
公式サイト:www.the-musix.com/mariko

ヘンリー広瀬(へんりー・ひろせ) 職業:音楽プロデューサー、ギタリスト、キーボーディスト
ペドロ&カプリシャスの プレイヤーとして活躍。1978年にグループを離れ、ヘンリーバンドを結成。1982年からは、バンド活動に加え、髙橋真梨子の全てのアルバム・シングルにプロデューサーとして携わる。コンサートのプロデュース、CDジャケットなどのビジュアル面、そしてプロモーションに至るまで総合的なプロデューサーとしてマルチな存在。
公式サイト:www.the-musix.com/mariko/henryband

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2014年11月1日号掲載)

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