渡辺謙(2)

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「3・11」は今までの「豊かさ」の意識から脱却する日

「ガチ!」BOUT.116

先の東日本大震災における支援活動プロジェクト「kizuna 311〜助けあい、乗りこえる。私たちの財産は、kizuna(kizuna311.com)」。その創設者、渡辺謙さん。「俳優である前に一人の人間として」と話す謙さんに今後の支援活動、日本人としてのあるべき姿を語ってもらった。
(聞き手・高橋克明)

 

東日本大震災で「kizuna 311」サイト立ち上げ

日米の懸け橋の象徴である渡辺さんが被災地と世界をつなぐサイト「kizuna 311」を立ち上げられたのは、ごく自然の流れだったのでしょうか。

渡辺 結果としてはそうかもしれないですけれど、その時は本当に訳も分からず、ただ何かしなきゃいけないって気持ちだけでやってた感じですね。

震災のその時はどこにいらっしゃったんですか。

渡辺 僕は飛行機に乗ってたんですよ。

ちょうどそのタイミングで。

渡辺 そうですね。ロスから成田に着く、そのちょうど1時間くらい前かな。もうそろそろ日本(列島)上空に差し掛かるか、掛からないかぐらいの時に地震が起きて。とりあえず着陸できないので、しばらくは旋回してたらしいんですけど、結局は小松空港(石川県)に連れて行かれて。到着した途端、情報がバーって入ってきたんです。押し寄せるような感じで。そこからまた成田へ戻り、成田から自宅まで7〜8時間くらいかけて戻り、最終的に自宅に戻ったのは(飛行機が到着した朝から、その)翌日の夜くらいになってましたね。その間、丸々2日間、行く先々ではもちろんニュースは入ってくるんだけれども、何かこう、リアリティーがないわけですよ。

はい。

渡辺 体感してなかった分、あるはずの恐怖がない。恐怖を拭い去るストロークがなかった分、もう何かしなきゃいけないって気持ちには、すぐになれたと思うんです。家に帰って一晩過ごした翌日からは、もう、いてもたってもいられなかったんですね。自分が何をどうすればいいのか、自分にできることを全てやらないとって。そこから2日くらいで(サイトを)立ち上げましたね。立ち上げてからは毎日、小山(薫堂)君(※1)の事務所に行って、そこから1カ月くらいはずっと「kizuna」の仕事だけをしてました。データを書く、俳優仲間をブッキングする、彼のユナイテッドジャパンというウェブサイトと連携をする。もちろん(サイトの)撮影にも立ち会いました。その中で詩を朗読したり、その詩を選んだり。

「kizuna 311」に賛同したメンバーを見ると錚々(そうそう)たるメンバーです。謙さんならではのコネクションというか…。

渡辺 (さえぎって)いや、僕はただの窓口みたいなもので、全くお仕事を一緒にしたことがない方にも連絡したんですよ。エージェントにお願いする形で。でも彼らからのレスポンスがすごく早くて、すごく熱かったですね。みんな、どんなことでも協力するから何でも言ってくれ、と。じゃあ、こういうことできますか、これはどうですかって。だから僕の交友関係だけなんかではできなかったです。賛同してくれたみんなの意識が強くて、かつ非常に情熱的だったということだと思いますね。

それは本当に日本の方に聞いていただきたい話ですね。震災以降、ご自身の中で一番変わったことは何でしょう。

渡辺 あのー、もちろん(震災が)きっかけにはなっているんですけれど…。うーん…ただ僕はここ5年くらい前から「今の僕たちが生きていく術(すべ)っていうのは本当にこれが最上なんだろうか」っていう思いをずっと持ってたんですよ。日本で「沈まぬ太陽」っていう映画をやらせていただいたり(※2)、その直前にリーマン・ショックが起こって経済が大きく揺らいだり、今まで普通であったことが普通でなくなってきていて。そういう中で3月11日という日を迎えたときに、やっぱり今まで疑問に思っていたことが一つ形になって、「もう、停止しないといけないんだな」っていうふうに思わされたんですね。例えば福沢諭吉が「LOVE」を「愛」って訳したように、だからといって「WEALTH」を「豊かさ」と訳して良かったものなのか。お金があったり、大きな家に住んだり、おいしいものを食べたり、それだけが豊かさなのか、もう一回考え直さないといけない時期が来ているんじゃないかという気はしてたんですよね。

「豊かさ」の定義をもう一度定義しなおす時期だった、と。

渡辺 だからここから先、復興して何かを求めていく時に今までのように経済発展だけを目指していいものなのか。もちろん経済が発展していくことは必要なことではあるけれども、そこだけに依存していいものなのか。所得が上がって贅沢(ぜいたく)で便利な暮らしになっていけばそれだけでいいのか。僕にとって「3・11」はその意識から脱却する日にしなければと思っているんです。

 

ハリウッドで仕事をされている中で見えてくる日本は以前とは違いますか。

渡辺 「豊かさ」という意味では、日本はどこかでアメリカという国の背中をずっと追っかけていたところがあったような気がしますよね。それこそ、宮沢賢治ではないんですけれども「座って半畳、寝て一畳」っていう最低限、人間が生きていくものを確保することがどれだけ幸せなことか。普通に日常を生きていけるっていうことがどれだけ豊かで大切なことか。あの日があったことで、それに気付かされたし、感受しなきゃいけないと思わされたし。今だからこそ、ね。

そして本日、アメリカの方の前で日本語と英語、両方で「雨ニモマケズ」を朗読されました。

渡辺 普段と違うステージなんでね、お役に立てるか不安だったんですけど。だってオークションって本来競い合うアグレッシブなもので、僕がやったパフォーマンスは穏やかに気を静めるものだから(笑)。それに年を重ねるごとに僕の中でレスポンシビリティー(責務)の度合いが深まってきてますから。それがどういう影響を及ぼすのか、それをすることによってどういう結果を生まなければならないのか。

退場された後もしばらくは拍手が鳴りやみませんでした。

渡辺 あ、そうなんですか。こっちはもう、終わってはぁ〜って(笑)。(主催者にも)「特別なオークションになりました」っておっしゃっていただいたので、いいコラボレーションになれたのかなという気はしますけれども。

在米の日本人が被災地に向けて地球の裏側からできる事は何でしょうか。

渡辺 距離はあんまり関係ないと思うんですよ。距離があるから躊躇(ちゅうちょ)したり、できないってことではないと思うんです。願うだけでも、祈るだけでも僕はものすごく大きな力になると思う。その願いが、祈りが、次第に「伝えたい」とか「つなげよう」という気持ちに徐々に変わっていくと思うんです。だから、こう最初から無理する必要はなくて、それよりも続けていくことの方が大事で意味がある事だと思うんですね。

なるほど。

渡辺 今、「前を向くカレンダー」っていうのを作ろうとして。そのカレンダーは3月の12日から始まるカレンダーにしようと思ってるんですね。そこには被災地の方へのメッセージを「明日、また頑張ってみよう」っていう気持ちになれるような言葉を載せて、被災地の病院や学校や仮設の集会所にお配りして。

 

素晴らしいですね。

渡辺 うん、だからといってそれがなんなの、何になるのって話じゃないですか。でも1年間皆さんと同じ思いを持ち続けるってことが励みにもなるような気はするんですね。だからそんなことでも続けようって、何かがつながる可能性があるのなら続けていきたいって思っているんですね。

最後に、ニューヨークの印象を聞かせてください。よく来られている印象がありますが。

渡辺 年に1度は必ず来てます。多い年は2度、3度来てますね。もちろん好きだからなんですけど、でも実は僕にとって東京、ニューヨーク、ロンドンってあんまり(印象は)変わらないんですよ。東京と変わらない生活が送れるっていうのかな。歩けるし、電車も乗れるし、タクシーもすぐにつかまる。ただ(自宅のある)ロスだけは特別かな。あそこはもう全っ然、田舎で「あれ? 今日俺何したっけな」っていうくらいの、のんびりな時間が流れますから。(笑)

〈注〉(※1)小山(薫堂)君 コラム・小説の執筆のほか、脚本家、ラジオパーソナリティー、企業の顧問やブランドアドバイザーなどとしても活躍。初めて手掛けた映画脚本「おくりびと」では、読売文学賞戯曲・シナリオ賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞したほか、モントリオール世界映画祭グランプリ、米アカデミー賞外国語映画賞など国内外で数多くの賞を受賞している。
(※2)「沈まぬ太陽」 作家・山崎豊子による同名長編小説の映画化。高度経済成長期の日本を背景に、巨大な組織の中で翻弄(ほんろう)される一人の男の生きざまを描き、人の生命に関わる航空会社の社会倫理を表現している。「物質的豊かさ」への批判とも受け取られる作品。2009年公開。

ニューヨークのクリスティーズで行われたチャリティー・オークションで宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の朗読する渡辺謙さん=11月9日

ニューヨークのクリスティーズで行われたチャリティー・オークションで宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の朗読する渡辺謙さん=11月9日

渡辺謙(わたなべ けん) 職業:俳優
1959年、新潟県生まれ。演劇集団円の参加し、蜷川幸雄演出の「下谷万年町物語」で主演を務め、注目を浴びる。伊丹十三監督の映画「タンポポ」(85年)で人気を得て、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(87年)で日本中にその名を知られる。2003年の「ラストサムライ」の出演を機に海外へ活躍の場を広げ、日本が世界に誇るハリウッドスターとして注目を浴びる。主な映画出演作に「バットマン ビギンズ』(05年)、「硫黄島からの手紙」、「明日の記憶」(06年)、「沈まぬ太陽」(09年)、「インセプション」(10年)、「シャンハイ」(11年)などがある。

 

謙さんに聞いてみた! 過去に繋がりの深いハリウッドスターらの印象

★トム・クルーズ
映画「ラスト・サムライ」(03)にて共演

彼はワーカホリックですよ。典型的なね。自分の信念を持って仕事をしている。トムの仕事に対する姿勢にはすごいものがあります。見倣うべきものがあるといつも思わされますね。

★クリント・イーストウッド
監督した映画「硫黄島からの手紙」(05)にて主演

全てにおいてやっぱり尊敬できる大先輩ですよね、クリントの場合はね。俳優としてもディレクターとしても、そして一つのチームを引っ張っていくリーダーとしても尊敬できる人だと思います。

★レオナルド・ディカプリオ
映画「インセプション」(10)にて共演

まだまだ伸びていく、伸びしろのある人だと思いますね。ただ「ムービースター」として(周囲に)過剰に背負わされているところがあって、彼はホントは「アクター」になりたいんだと思うんですよ。「ムービースター」と「アクター」ってまた違うと思うんですね。彼がもっとのびのびとやれる環境が整うとすごい俳優になるだろうなって。それだけのものを彼は持っていると思いますね。

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2012年1月1日号掲載)

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