大江千里(1)

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だからライブはやめられない

「ガチ!」BOUT.120

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2007年秋、20年以上にわたる日本での音楽活動に突如終止符を打ち、ニューヨークへ移住した歌手の大江千里さん。10代のころから憧れて続けたジャズを本格的に学ぶため、The New School for Jazz and Contemporaryに進学、この5月に卒業した。7月には集大成ともいえるCDを全米リリース、それに先駆けて今月21日にはジンク・バーでのライブも控えている。ライブを目前にジャズにかける思い、今後の夢を語ってもらった。(聞き手・高橋克明)

 

5月21日 NY「ジンク・バー」でライブ

まずは卒業おめでとうございます。

大江 ありがとうございます。まぁ、長かったようで短かったようで、それなりの時間かかりましたねー。4年半くらいかな。

振り返られまして、学生生活はいかがでしたか。

大江 もう周りが20歳くらいの子と一緒でしょう。そんな若い子たちと競争して。こっちは老眼も始まっちゃってるくらいなのに。(笑)

最初は言葉でも苦労されますよね。

大江 僕、クラシックピアノをちっちゃいころやってたんですけど、その時の音楽用語ってヨーロッパから来ているものがメインだったわけですよ。だからクラス(で使われる用語)の8割9割がいきなり分かんなかったですね。毎回授業が終わる度先生のところに残って、いちいち意味を聞いて。次のクラスの学生が入ってきてるのに、「これって、どういう意味ですか」って。

そこからのスタートだった、と。

大江 もう、どうしたらいいんだーって(笑)。先生に相談しても「まぁ一応ジャズのコンサバトリー(音楽学校)だから最低限の事は分かって来てくれないと困るんだよねー」みたいな感じで。クラスメートの18歳の男の子にも「(コードの)F7教えて」って聞いたりしました。買ったばかりのiPhoneで指の使い方を写真撮らせてもらって、家に帰ってそれを見ながら「あー、こんなふうにやるんだぁ」って。(日本にいたころ)ポップスの世界にいながら、見よう見まねでジャズ風なことをやってたんだけど、あー、もう全っ然、違うなっていう、そこがスタート地点でしたね。

それって日本のスター「大江千里」がする必要のない苦労な気もします。

大江 確かにキーボード一つとっても日本では自分だけ弾いていたものが、順番待ちで、結局最後まで触ることすらできなかったり(笑)。もう、学校に行く足取りが重いっていうか、住んでいたアパートからほんの数ブロックなんだけど、「よしっ」て、いちいち気合入れないと学校に行けなかったですね。多分、47人のクラスで47番目で「あの人だけは卒業できないよ、」みたいな感じだったと思うんですよ。

それでも来て良かった、と。

大江 そういう経験は買ってでもしろじゃないですけど、できないですから。人生1回きりだから。60歳になった時に赤いちゃんちゃんこ着て(持ち歌の)「GLORY DAYS」歌うのか、それはそれで僕の一つの夢だったけど、やっぱり何か新しい扉を開けて、どうなるか分かんなくてもこっちに賭けてみたかったんですね。それに50(歳)を越えて新たに学べることに出合えたのはすごくラッキーだなって思うんです。周りが厳しいことも、言いづらいことも、傷つくことも(笑)言ってくれる。日本にいたころは多分、本人の耳に入れないよう守ってくれていて、僕のテンションが落ちないようにね(笑)。あぁ、小川(マネジャー)が守ってくれてたんだなぁ、と。そういうことに気付けたこともうれしいですよね。

嫌というほどされてきた質問だと思うのですが、2007年、あのタイミングで日本の音楽活動を一切休止して、こちらに留学された理由は何だったのでしょう。

大江 ジャズピアノを本格的に学びたいっていう思いは10代のころからずーっとあって。でもまぁ難しいし、俺には無理かなあって諦めてたんですよね。それでも、ちょっとジャジーなアルバムにトライしてみたり、事有るごとに「やりたいな」って気持ちはあったと思うんです。で、07年の秋くらいかな、ニュースクールにデモテープを送ったらアクセプトしていただけることになって、すぐに「TOEFL」とってくれみたいな話になって。そこから急に視界が開けましたね。実はその年の年末まで入ってた仕事もあったんですけど、東京のスタッフも僕の気持ちをよく知ってくれてたんで「千里さん、もう行った方がいいよ」って言ってくれて。申し訳なかったですけど、仕事はキャンセルさせていただいて。

日本での知名度を捨ててゼロから挑戦することに、勇気も必要だったと思うのですが。

大江 今考えると、よく決断したなって思う時もありますよね。当初はそんなこと考える余裕すらなかったけど、卒業が近づいてくると、あ、稼いでいかなきゃいけない。家賃も払っていかなきゃいけない、もう学生じゃない。よく来たなー、無謀だったなーって(笑)。でもそうやって後先考えないような力に突き動かされなかったら来られなかったと思うし、「今」はなかったと思うんですよ。確かに大事なモノでごっそりなくなったものもあるけど、逆に新しい出会いや見えてきたものも確実にありますね。以前(日本)だとマネジャーやスタッフが常に周りにいる状態だったんですけど、こっちだと(仕事の依頼も)直接ケータイにかかってきて「ダンスイベントがあるんで、タダで出てください!」みたいな(笑)。最初はそういうのにほいほい行っちゃっていいのかなってオロオロしてましたけど、でも楽しそうだから、ま、いっかーって。慣れてきましたね。身軽になったっていうか。

もう大丈夫だって思えるようになったのは、いつくらいからでしたか。

大江 うーん、いまだにイケてるとは思ってないんですけど、だけど、ようやく楽しいなって思えてきたのはここ1年くらいですね。で、今回のアルバム=下記参照=を作り終えたことによってだいぶ肩の荷が下りました。そこからまたちょっと楽しくなったかな。まぁ「“千里”の道も一歩から」で言うとまだ1歩目にも達していないのかもしれないけど…。でも、音楽、好きなんでね。で、作ることも大好きなんで、自分らしい自分の音楽を臆せず作っていこうって感じですね。ジャズはもう、一生のテーマとしてこつこつやり続けるしかないです。

そのアルバムが7月にリリースされます。タイトルが「boys mature slow」ですが。

大江 「男子成熟するには時間がかかる」っていう、まぁちょっと自分を俯瞰(ふかん)して笑っている部分もあるんですけど、いまだに頭を打ちながらやってて、でもそうやっている時が実は一番夢を生きている時間かもしれないし、これからどこに行くのか分からなくても、今はその夢を勝ち得るために生きているんだっていう、そういう実感を味わいつくしたいっていう思いを込めてつけました。

そして今月21日はいよいよジンクバーでのライブも控えています。

大江 ジンクバーには(他の)アーティスト(のライブ)を聞きに行ったことはありますけど、そこで自分がやるんだってことになると、考えただけで右手と右足が一緒に出ちゃいそうなほど緊張しますね(笑)。でも、なかなかやれる場所じゃないんで精一杯楽しもうと思ってます。

どんなコンサートにされたいでしょう。

大江 今、話してて思ったんですけど、あぁそうだなあって…、音楽の原点に戻って、気負わず、あまり良い格好をしようと思わず、普段どおりに演奏しようと。一生懸命練習して、クオリティーを上げて、皆さんをガッカリさせない演奏を心掛けるっていうのももちろん大切なんですけど…。でも、それだけじゃなく、やってる方もすごく楽しくて、皆とゲラゲラ笑ったり、皆が帰りに「いやぁ、良かったねえ」って「なんか、もう一杯のんで帰りたいね」って翌日までニヤニヤしちゃうような、そんな楽しいライブにしたいですよね。

日本の時と同じように。

大江 英語でMCするときはジャズなんでちょっと無愛想にしゃべった方が格好イイかなとか考えたりするんですけど(笑)。やっぱり1曲目をまず、お客さんに向かって投げて、それを受け止めてもらって。で、またそれを投げ返してもらって。だんだん、徐々に徐々に、ウオーミングアップしていって、こう、“来たなー”って、“お、変化球投げてきたやんけー”ってそうやっていつしか一つになる瞬間があるんですよ。だからライブを成功させる秘けつってほんとに1曲目から丁寧にお客さんの心を直視して、逃げずに向き合うってことだけなんですね。目の前にいるお客さんが少しでも心を開いてくれるように努力をする。それだけなんですよ。だから場所とか大きさは関係ないんですよね。スタジアムでやっても小さなライブハウスでやっても終わったらいつもヘロヘロです(笑)。だってそこにいる人と対話するような感覚なので、、うーん、深いですよライブって。だからやめられない。(笑)

この4年半の間、日本のポップスとアメリカのジャズとの違いはご自身の中でどうやって消化されていきましたか。

大江 (その人の持っている)知識とか実技のレベル、幅、深さによって聞こえ方、見え方って全然違うと思うんですよ。僕は4年半前に比べると1ミリくらいかもしれないけど、ちょっと見えるようにはなったんです。でもまた違うアングルから見る人が見ると、僕のやっていることがジャズなのか(そうじゃない)って思う人もいるかもしれない。ただね、これは不思議なことにジャズだろうと、どういうジャンルだろうと、“お客さんが一番知っている”って思うんです。僕はある人が言った「音楽にジャンルはない。あるのは良い音楽か、そうでないかだけだ」って言葉がすごく好きで。自分がこれが美しい、これが楽しい、これが切ないと思うところに向かっている限り、ブレる事はないんですね。以前、震災の復興コンサートをビターエンドでやらせてもらった時も久々に音楽を皆さんと共有できて、演奏している僕たちが逆に癒やされて、すごく拍手をもらって、感動して泣いてる方もいらっしゃって、「あぁ、そうかジャズができないから人前で演奏しちゃいけないんだって今まで思ってたけど、この拍手は音楽が素晴らしいってことでいただけてるわけなんだなー。音楽が素晴らしいってこと、俺、知ってはずなんだけど長いこと忘れてたなー」って思い出させてもらったんです。

ではご自身の音楽性も変わることなく。

大江 本質的には変わってないです。今でも(ポップスのような)スコーンと心の真ん中に飛び込んでくるものは好きだし。ただ、引き出しが増えたっていう感じですかね。今まではクレヨンでいえば12色しかなかったものが、もっと微妙な色が増えて24色になった。でもクレヨンは増えたけどあえて7色だけで描くとか、白と黒だけで描くとかそんな感覚です。でもそれ(使わなくても増えたクレヨン)はもっとキーボードに貼り付くように(自分を)近くしている感じがします。不安が消えて、先読みできるようになったというか、今、自分がどこにいるのか分かる状態ですね。東西南北すら分からない状態から少しだけ脱出できた気がします。(笑)

千里さんにとってニューヨークはどんな街でしょう。

大江 好きですねー、はい。アメリカで他の所に住んだことがないので比べようもないんですけど。でも、いるだけでエネルギーをもらえる街ですよね。時々ここのパワーに押しつぶされそうになる時もありますけど(笑)。心の濃淡ってやっぱりコントラストだと思うんですよ。これだけの人工的なスカイスクレイパー(超高層ビル)の街でなおかつ自然もいっぱいあって。今日みたいな新緑のシーズンだと、薄ーい葉っぱの緑に太陽の光が透けて見えて、それだけで涙が出てくるような瞬間にも出くわすし、いろんな人種がいるから、触れ合うことで「人は見かけによらないなぁ」「こんな優しい人がいるんだ」とか、田舎だけで暮らしていたら僕なんかでは気付くことができないことに気付くことができる街ですね。(渡米前の)自分の中の勝手な思い込みが、こうパカッとピスタチオみたいに割れて、またこの街を好きになれる。その繰り返しですね。

最後に読者にメッセージをいただけますか。

大江 異国に住んでいるってだけで、慣れない部分、癒やされない部分、困難な部分ってあると思うんですよ。だからこそお互い助け合っていくことが必要だと思うんですよね。なおかつ日本が大変な時期にたまたまかもしれないけれど、今、海外にいる。ここから逆に日本に発信できることっていうのもまたあると思うんですね。僕がニューヨークにいることができるのは何かに「ニューヨークにいなさい」と言われているんじゃないかなって思う時もあるんです。自分が勇気づけることができる人が少しでもいるのであれば、精一杯やりたい。だから、みんなで力を合わせて、日本にエネルギーを届けられるよう、踏ん張りましょうって言いたいですね。

大江千里(おおえ せんり) 職業:ジャズピアニスト

1960年9月6日大阪生まれ。3歳のときにクラシックピアノを始め、習っていた先生の勧めで即興演奏を始める。関西学院大学経済学部4年時の83年5月21日、大村憲司氏プロデュースによるデビュー・アルバム「WAKUWAKU」をエピック・ソニー・ジャパンからリリース。3枚目の「未成年」をはじめ、「AVEC」「OLYMPIC」「1234」などゴールド・デイスクを受賞したアルバムは数知れず。作家としては、光ゲンジ「太陽がいっぱい」(FNS歌謡祭最優秀作曲賞受賞)、松田聖子「パールホワイト・イブ」、渡辺美里「10 years」、安田姉妹「この星のどこかで」(映画ドラえもん・エンドテーマ)など。www.facebook.com/senri.oe2

 

最新アルバム7/31リリース

7月31日に自ら興したPNDレーベルから「boys mature slow(男の成熟には時間がかかる)」をリリース予定。このアルバムはポップスを書き続けてきた経験と、米国で学んだジャズとが融合した大江千里さんならではの作品集。

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2012年5月12日号掲載)

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