〈コラム〉国家は誰のものか

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歴史力を磨く 第4回
NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕

三島由紀夫が戦後25年目の、まさに彼が亡くなった年に遺した有名な言葉がある。昭和45年7月7日付の『産経新聞』に掲載されたものだ。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままに行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」(「私の中の25年」)

三島が文中カギ括弧で囲った『日本』というのは、勿論地理的な名称ではない。歴史的な文化的な存在としての「日本」、共同体としての「日本」という意味であろう。建国以来、2600年以上の長い時間を経て今日に至っている「日本」、それがなくなってしまい、世界のどこにでもあるような特徴のない、それでいて金儲けだけ上手い人間の集団が、地理的な意味での日本列島に存在することになるだろう|。三島はこのような感慨を残したのである。

日本人であれば誰もが、三島と同じく「日本」がなくなってはならないと思うだろうが、そのためには何より、「日本」を歴史的・文化的な存在、共同体だと理解することが必要である。祖国日本は一朝一夕で発展を遂げたわけではない。長い時間を経て、数多の祖先の血と汗の滲むような努力があって今日に至っている。従って、祖先から受け継いだこの国の文化を、今を生きる私達が正確に継承しなければ、「日本」は変質してしまう。「日本」を正確に継承し、更に発展させて、次の世代に受け渡さなければ、「日本」はなくなってしまうのだ。

国家は今生きている私達だけの世代で構成されているのではない。保守主義の始祖と言われる英の思想家エドマンド・バークは、国家を、既に亡くなった祖先と現在生きている私たち、そしてまだ生まれていない子孫、これら過去・現在・未来の三世代からなる共同事業であると述べている(『フランス革命についての省察』)が、同様の理解は既に日本にもあった。

例えば、江戸時代後期に米沢藩を立て直した上杉鷹山は、次の藩主に藩政を譲るに際し、「国家は、先祖より子孫へ伝へ候国家にして、我私すべき物にはこれ無く候」(「伝国の辞」)という言葉を残している。

今を生きる私達は過去(祖先)と未来(子孫)の中間点に存在するに過ぎないというこの認識があれば、大衆的興奮や現代の理性という名の下に、伝統的なしきたりや慣習、文化を改廃することの危うさや傲慢さにも思いが及ぶのではないだろうか。

髙崎 康裕〈筆者プロフィル〉髙崎 康裕(たかさき・やすひろ)
ニューヨーク歴史問題研究会会⻑。YTリゾリューションサービス社⻑として、日系顧客を中心とした事業開発コンサルティング、各種施設の開発企画・設計・エンジニアリング・施⼯管理業務等を⼿掛けている。シミズディベロップメント社⻑、Dillingham Construction代表取締役、東北大学特任教授歴任。現東北大学総⻑特別顧問。著作に「建設業21世紀戦略」(日本能率協会)、「海外業務ハンドブック」(丸善)、 「海外プロジェクトリスクへの対応」(エンジニアリング振興協会)など多数。

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