【連載】おばあちゃま、世界を翔ぶ-9 ビーコン・シアターを復活させた話

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龍村ヒリヤー和子〜情熱とコンパッションの半生記〜

第9回 ビーコン・シアターを復活させた話(2)

年間200種の公演、劇場に寝泊まりして、ほぼ寝ずに興行

ビーコン・シアターのお話、続きをしますね。急遽基金を作り、たくさんの著名人が寄付してくださったお陰でお金が集まり、偽オーナーが失踪してから驚くほどの短い期間でオープニングイベントを迎えることができたのですが、今でも思い出して笑ってしまうくらいドタバタでね。そのとき私は30代後半でした。

天井が破れ黒い水が流れ落ち

とにかく建物が古いから、ふとした時に部分的に天井が破れて、上から黒い水がドバッと溢れ出てきてしまうんですよ。その大掃除が大変で! 歌舞伎の猿之助さんが美しい衣装を来てリハーサルをしていたら、その真上が破れてドッと真っ黒い水がかかってしまったこともあって。彼は「水もしたたるいい男でしょう?」と冗談で笑い飛ばしてくださいましたね。あの方は凄い方ですよ。

オープニングにはグレース・ケリーもステージに

オープニング・レセプションには、モナコ公妃のグレース・ケリーさんが本当に来てくださいました。当時12歳のアルベール王子も連れてね。でもね、お二人が到着した、とスタッフが知らせてくれた時、まだカーペットを敷き終わっていなくて。もう後ろに迫ってきているのに私とスタッフと3人で滝のように汗を書きながらカーペットを敷いてね。きれいな着物を来て、実家の龍村の帯をせっかく締めているのに汗だくでね、あれは一生忘れないわ。(笑)

ケリーさんは引退後全くステージに復帰しなかったのですが、唯一この時だけステージにあがって詩の朗読をしてくださったのですよ。彼女のおかげで、この日はニューヨークの社交界の方々が本当にたくさん来てくださいましてね。そのお陰で、更に多くの資金が、私達の基金に集まったんですよ。それで再オープンできて本当にありがたかったです、上から黒い水が落ちてくるのだけが、大変でしたが。(笑)

オープニング・レセプションにはグレース・ケリーさんも(右)

最初の公演は猿之助歌舞伎

9月にオープニングして、そのすぐ後の最初の公演が猿之助歌舞伎でした。劇場のバックに十分なスペースがないので、アムステルダム・アベニューに、大道具なんかをビニールで被せてバーっと並べましてね。24時間の警備にポリスをつけて何とかしましたが、よくあんなところでやってくださったわ。猿之助さんは偉いわと思いますね。この公演は大成功。公演後、五番街にお買い物にお付き合いしたら、道端で街の人達から「ENNOSUKE-!!!」って叫ばれるくらい有名になっちゃったのですから。この時から、猿之助さんが思いついて、ロビーでメイクアップをしてみんなに見せることを始めました。

地下に私が仕事するためのオフィスを作りましてね。本当にそこにずっと寝泊まりして、ずっと仕事していましたね。ほとんど寝ていなかったですよ、毎日2時間くらいかな? 1年間に200種類くらいの公演をやっていましたからね。ロックンロールだけは私はわからないからやらなかったですが、それ以外はほぼ全て何でもやりましたよ。

契約してしまった1カ月1万5000ドルというレント、最初は払えたのですが、だんだん払えなくなってきて。そうすると1週間支払いが送れるだけで退出勧告書が届くのですよ。届く度に私は「また来ちゃったー」と泣き顔で、オーナーのヘンリー・モスコビッツさんのところに持っていくんです。そうすると、目の前でビリビリ…ってやぶってくれて…。彼も凄い方でしたね。

私はある時、このビーコン・シアターをずっと守っていくために「文化遺産にする」ことを思いつきます。文化遺産としての肩書きがつくことはとても良いことだと思ったのですよ。応募しましたら、ニューヨークの文化財保護委員会は検討対象にしますと返事をくださって。すると、応募した途端に、モスコビッツさんと共同オーナーをしている、その意地悪なパートナーの一人が、私を訴えて訴訟を起こしました。

文化財になってしまうと、建物に思うように手を入れられなくなりますから、建物としての資産価値が落ちるって言うんです。でも結局無事に文化資産になりましてね。その人はずっと私のやることに反対でしたが、もう亡くなられてね。子孫の方たちは私が文化財にして保護対象としたことを、とても感謝してくださっていますよ。

(次回は1月20日号掲載)

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●ビーコン・シアター(Beacon Theatre) ●
アッパーウェスト地区に1929年に創立されたアールデコ調建築の2900席のシアターで、映画の上映から、コンサートや演劇等の上演にまで幅広く使用される。77年、オーナーが劇場を潰して、新規事業を始めようとしていたところ、龍村さんがその危機を救い、劇場存続の立役者となった。79年にニューヨーク市の歴史的建物保存委員会(NYC Landmarks Preservation Committee)から保存対象の指定を受ける。現在はマディソン・スクエア・ガーデン社が管理しており、2009年に2回目の大規模な改築工事を行った。

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龍村ヒリヤー和子(たつむら・ひりやー・かずこ) 東洋医学医師、人道活動家、Gaia Holistic Inc代表。
兵庫県宝塚市生まれ。音楽家にあこがれ幼少時よりピアノに親しみ、桐朋学園大学を卒業するが、1961年に渡米しボストン大学・ニューヨーク大学を卒業後、音楽家ではなく国際興行主としての活動を開始、グローバルな舞台芸術と文化交流の先駆者なる。世界各国の首脳やセレブリティーが関わる歴史的記念イベントの制作・演出などにも関わり、公式な外交関係のない国家間の文化交流促進にも寄与するなど多大な貢献を重ねてきた。世界中で毎年1年2000回のプロデュースを手掛け、148カ国以上を訪れ、何度も表彰されている。
2000年より東洋医学の医師に転身、01年ガイア・ホリスティック・サークルを設立し代表に就任、07年には出版社「心出版」を立ち上げる。世界各地の避難民、戦争犠牲者、ホームレスや家庭内暴力の犠牲者などの救済を行うなど人道的活動においても多大な貢献を続けており、世界各地での慈善事業に従事する他、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と共にチベット孤児の教育活動に従事している。遠赤外線温熱療法にテラヘルツを組み合せた独自なホリスティック療法は世界的に評価されている。今は世界の会議から招待され、発表、教育をしている。
01年、9・11の米同時多発テロ悲劇のすぐ後にガイア・ホリスティック基金を創設。「212-799-9711まで、お電話ください。感謝合掌 和子」

(2018年1月13日号掲載)

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