「発明」とは「愛」。世の中の役に立たない物は「発明」じゃない
「ガチ!」BOUT. 224
世界第1位のギネス記録発明件数を誇る「発明家」サー中松博士。日本ではタレントとしての印象も強いが、米国では「人々を笑わせ、そして考えさせる研究」に対して与えられる「イグ・ノーベル賞」受賞者であり、同賞創立者は公式ホームページで「おそらく地球上で最も偉大な人」と紹介されている存在。ニューヨークの日本クラブでの講演会「打ち破る力」を終えた翌日の2015年9月25日、中松博士の発明人生についてお話を伺った。 (聞き手・高橋克明)
NY、日本クラブで講演会「打ち破る力」
いきなりですが、博士にとっての「発明」とはどういったものでしょう。
中松 私にとっての発明は「愛」なんです。発明によっていかに人を幸せにできるか。お金儲(もう)けではなく「発明の心は愛の心である」というのが私の基本なんですよ。14歳の時に灯油ポンプを発明したのも、寒い日に母の家事がもっと楽になるようにという親孝行の気持ちからなんです。
発明は、社会貢献のためにある、と。
中松 当然、そのためにやってますから。人の役に立たない物は発明じゃない。僕が発明すればするほど、世の中が良くなっていく。だから「発明」には一生をかける価値があるんです。
毎回、どういったタイミングで「発明」を思いつくのでしょう。
中松 東京大学やハーバード大学、MIT(マサチューセッツ工科大学)での講義でも言っていますが、発明というのは「アイデア」ではないんですね。人はよく、「思いつく」とか「ひらめく」とか言いますけれど、それは発明じゃない。発明とは理論なんですよ。「思いついた!」とか「ひらめいた!」って言ってるうちはまだアイデアの段階なんですね。発明には三つの要素があります。「一スジ、二ピカ、三イキ」。「一スジ(一筋)」というのは、まず理論が通ってなきゃいけない。その上にまた新しい理論を組み立ていくのが発明なわけですから。それから「にぴか(二ピカ)」。それこそひらめきですね。芸術はヒラメキですが、ヒラメキの前に理論でなければ発明なんてできない。そして「三イキ(三活き)」。つまり、世の中に活きる。皆さまに喜んでもらって、その発明が活きていないと意味がない。この三つの要素、全てがそろってないと発明とは言えません。
天才や、芸術家より、上に位置している、と。
中松 例えば、東京大学100周年の記念パンフレットの表紙は僕だったんですよ。100年間の卒業生の中で、発明家になったのが僕だけだったから。いかに天才で、いかに勉強がよくできても、発明はできないんです。それに、例えば、どこかの主婦がスリッパのかかとを取り除いた、洗濯機のごみ取りを楽にした、っていうけれど、あれは「アイデア」ですね。発明じゃない。例えば、トヨタが新しい車を作ったとする。あれは「開発」なんです。これも「発明」ではない。発明とはこの世になかったものを生み出すことなんです。この三つは区別する必要がある。
なるほど。現在も博士の発明件数(3500以上件)はギネス記録を更新中ですが、最初の発明はおいくつの時だったのでしょう。
中松 5歳の時が最初ですね。自動重心安定装置といって、飛行機の重心と揚力中心を自動的に合致するというモノで、今ではJAL(日本航空)や全日空など全ての航空機でこの発明を使っています。こういったモノが本物の発明なんですよ。それを5歳の時にやった。しかも誰にも教わらずに発明したわけで、そこから今でもずっと積み重ねで発明をやってきているわけです。
5歳…(絶句)。そこから発明人生が始まるわけですが、3500以上の発明をするためには、僕たちのような凡人とは違う日々の生活があると思うのですが。
中松 当然あります(きっぱり)。普通のことをやっていては発明はできないわけです。普通の人と差を付けていかなきゃいけない。例を言うとね、普通の人は深夜寝ますよね。私は深夜寝ないんですよ。なぜなら深夜の12時から4時というのが発明のゴールデンタイムなんですよ。この間が一番アイデアが出る。だから、起きているわけね。4時から8時まで寝るんです。4時間で十分なんですね。食事も、3食食べないんですよ。一日1食しか食べない。理由は二つ。一つは、時間を節約する。一日24時間しかないわけで、それ以上広げることができないんですから。そうすると何かを削らなきゃいけない。睡眠時間を削ることと、食べる時間を削ること。これらは無駄なことですから。それを1食にすれば2食分、時間が浮くわけですから、その間に発明ができる。二つ目は食事の質が改善でき、体も頭も悪くならない。
(笑)。頭が悪くなる食べ物って、例えばなんでしょう。
中松 ほとんどそうでしょ(あっさり)。例えば、あらゆる料理で使ってる、玉ねぎ。あれは頭悪くなりますよ(きっぱり)。もちろん添加物なんてもってのほか。たばこ、アルコールはどんどん頭を悪くします。あと、僕、さっきコーヒーを注文しなかったでしょ。
(注文した目の前のコーヒーを見て)え! ダメなんですか。
中松 コーヒーはバカになります。
(注文した目の前のコーヒーを見て)だからだ、オレ…。
中松 そういった小さなことの毎日の積み重ねで、差が出てきますね。
(ショックを受けつつ)先日の講演会で非常に印象に残ったのが「もしeasyとdifficult二つの道があったら、difficultの道を選びなさい」という言葉でした。
中松 世の中にはなんでも、難しい道と易しい道の二つがあるんです。例えば、学校に入学するのも、難しい学校を選ぶのか、易しい学校を選ぶのか。仕事でも、これは非常に難しい仕事、こっちは易しい仕事。必ず二つの道がある。その場合、ほとんどの方が易しい道を選びたがるんです。私の場合は、必ず難しい道を選びます。しかも「嫌だな、嫌だな」と、しかめっ面で行くのではなく、楽しく喜んで幸せな気持ちで感謝しながら行く。特に発明というのは、非常に難しい道。今まで誰も歩いてない道ですから。それを苦しみながらではなく、楽しみながらやっていく。
博士はなかなか生み出されない発明の時も楽しいですか。
中松 楽しまなきゃダメなんです。結局ね、最高のインテリジェンスというものは楽しくなくちゃいけない。あるいは人を楽しませなきゃいけない。ハーバード(大)の「イグ・ノーベル賞」は、みんなが楽しいなっていうものに(賞を)あげる。スウェーデンのノーベル賞は「これが量子論」とか「やれマクロの世界」とか「やれ分子の世界」とかね。人が分かんないものに賞が出るでしょ。面白くないでしょ。全然面白くない。分かんないんだから。分かんないから、なにか、偉いんだろうって賞をあげてる感じに見えなくもない。以前ね(アルフレッド・)ノーベルの遺書を見たんですが「難しくて分かんないものに賞をあげなさい」って、そんなこと一言も書いてないよ。
あはは。そりゃ書いてないですよね。
中松 「世の中の役に立つ発明に対して、研究に対して、賞をあげなさい」って書いてある。面白くないものはインテリジェンスではないんですよ。要するにね、難しいことをいうのは、頭が悪いからなんですよ。難しいことを易しく説明するのが、頭がいい人。簡単なことなのに、難しく、特別な用語を使って、わざと難しいことをいう、これは頭が悪い人。世間では、逆に思っているわけ。
なるほど。とっても説得力があります。(コーヒーのおかわりを注ぎに来たウエートレスを手で制して)
中松 面白くて、楽しいものがインテリジェンス。そして、同時にそれはとっても深いものなんです。
博士はよくアメリカに仕事で来られますが、この国にはどういった印象をお持ちですか。日本との違いはありますか。
中松 まずね、日本との大きな違いは憲法ですね。ご覧になると分かりますが、アメリカの憲法には「発明を持って立国とする」とある。新しい国だから、まだ何もない。だから、発明が一番偉大なんだと。だから大統領は歴代みんな発明家なんです。リンカーンもフランクリンも発明家です。発明家じゃないと指導者にはなれない。アメリカの科学学会で、歴史上の5大科学者に、アルキメデス、キュリー夫人、(ニコラ・)テスラ、(マイケル・)ファラデー、と並んで、ドクター中松を選んでいただいたわけです。なにしろこの国では発明家がいちばん偉いんだからね。
その中でご存命は博士だけですね。(笑)
中松 (グラハム・)ベルだって、(ヘンリー・)フォードだって、歴史上に評価されている人はみんな発明家。この国自体が発明に向かってる。憲法が発明憲法なんですね。それに対して、日本はどうだ。占領軍(連合国軍総司令部)が作った日本を弱体化するための憲法でしょう。全て日本を弱くするための憲法になってる。「戦争しちゃいけませんよ」「軍を持っちゃいけませんよ」。ましてや、新しい物を発明しよう、なんて発想すらない。
日本が発明に優れた国だと、アメリカにとっても都合が悪かったわけですね。
中松 かつての日本は、第二次世界大戦までアメリカ以上のものを発明してきた。例えば戦艦大和なんてアメリカの軍艦が比べ物にならないくらいすごいし、零戦もアメリカのF4FとかP40よりはるかに進んでいたわけ。イ400という世界で初めて飛行機を運ぶ潜水艦を作ったのも日本。(アメリカの)ポラリス(潜水艦)なんてそれの真似(まね)ですよ。世界で初めて酸素魚雷を作ったのも日本。泡が立って逃げられちゃうアメリカの空気魚雷に比べて、日本の酸素魚雷は泡が出ないから逃げられないわけ。つまり、日本の方が(発明においても)ずっと優れていたんです。優れた技術者を生んだ東京帝国大学は占領軍が全部潰しちゃった。教育もめちゃめちゃにした。アメリカに歯向かわないよう、日本を弱体化するためにね。
では、日本とアメリカ、それぞれの講演会で、博士から見て観客の反応に違いも出てきますか。
中松 だから、日本で講演会すると、今はみんな弱々しい顔してますよ。表情が沈んでるよね。基本的にそれは憲法から来ていると思う。ナイーブな教育を受けさせられてね。10年前はね、ハーバードやコロンビア(大)に来ている日本人留学生は数十人見ました。今、ハーバードはわずか2人。MITは1人。これだけ減ってるのは世界に出て勝負しようって気がもうないんですよ、今の日本人は。昔は国のためにみんな必死で勉強していた。われわれのころは、とにかく、なんでも「世界一」のものを作ろうとした。新幹線だってそう。ところが最近の日本の若い人は戦後の教育を受けているから、勉強しない、留学しない、世界を意識しない、上昇志向がない。だから、この10年間鳴かず飛ばずでしょう。
にもかかわらず、アメリカの方が博士の講演会依頼が多いのは皮肉ですね。
中松 ハーバードやMITで教えているのは僕の学問。「創造学」というものを僕は作ったんだけれども、これはアメリカにもなかった。だから依頼が来る。他の日本人は外国の誰々さんがやった研究の真似をしてきましたって発表しにくる。それじゃダメなんですよ。僕の場合は外国人がやっていない学問を教えに来てるわけだから。87年という歳月を費やして、勉強して、努力して、積み上げた物を教えにきている。海外はね、人のモノマネをしたら絶対にダメ。発明というものはマネをしないというものだから。だから、僕は(日本より)世界スタンダードの方に合ってるね。
がんになった時に天に感謝した。
誰にもできなかった治療法を発明するチャンスを与えられたから
非常に聞きづらい質問ですが、博士は1年半前に、がんにより余命2年の宣告を受けました。計算上だと今年末ということになりますが…。
中松 私がかかった導管がんというものは「全ての治療法が効かない」と言われました。そして(2年前に)「あなたはあと2年で死にますよ」と。なので、今年(2015年)の年末に僕は死にます(あっさり)。最初は当然、そんなことないだろうと。これだけ健康に注意して、お酒もたばこも飲まないしね。それで全ての病院を回ったんですよ。あらゆるデータをもらっても、やっぱり、今年末に死ぬというデータが出てくる。本来ならば、そこで、普通の人は高い車買っちゃったり、お金を使いまくるわけ。自暴自棄になっちゃうんだな。しかし僕は治療法の発明をしようと考えたんです。治療というものは、まず心の問題から解決しないといけないって。さっきも言ったように易しい道と難しい道。死ぬのが一番嫌な道、難しい道でしょ。だから、僕はまさに難しい道を楽しんで選ぶ。その道をまさに今歩こうと思う。
…………。言葉がありません。
中松 でもね、僕は導管がんになった時に、天に感謝しました。胃がんとか、大腸がんとか、誰でも治るようながんなら、僕は天に怒りますよ。だけども導管がんという、世界中の全ての医者が治せないがんを僕に与えてくれたというのは、誰にもできなかった治療法を発明するチャンスを僕にくれたんだ、と。誰もできなかった発明を、僕が独占してできる。自分が患者で、自分が治療法を発明できる。だから、僕は天に感謝する。非常に感謝の毎日を今、送っています。
…………。
中松 僕は世界中の誰も考えなかった治療法を発明します。その治療法は、1~10まであるんですね。ドクター中松セラピー1から10まで。10の発明をすると僕は生き残れるんだけども、できなかったら、死ぬわけです。
…………現在は…。
中松 どこまでいっているかというと、10のうち5ぐらいまで発明完了しているの。あとを12月までに完成しないと、僕は死ぬわけ。つまり、どういうことかというと、12月31日にテープが張ってあって、がんのランナーが先に走っているわけですね。それで僕の発明する治療のランナーが後ろから走っているわけ。がんのランナーが先にテープを切っちゃうと、僕は死ぬ。だけれども、ある時、治療のランナーが追い越して、先にテープを切れば、僕は、生きることになる。このレースを今、やっています。
ある意味、これだけ幸せそうに話す博士に「お体、気をつけて」というのは意味がないセリフかもしれませんね。
中松 気をつけたってしょうがないだろうってね(笑)。だって気をつけていて、がんになったんだから(笑)。だからと言って「発明を頑張ってくれ」って言われたって、発明できるわけではなくて、日夜時間を割き、努力を続けないと発明はできない。だから、みんなね、頑張ってほしいんです。特に日本人には。今の日本人はみんな自信を失っているんじゃないかと思うんです。もっと自信を持ってね。(1922年に)アインシュタインが日本に来た時に、「今後も戦争は絶えないでしょう。でも戦争に飽きて、戦争がなくなった時、世界中で一つの国が指導者になるべきだがその国は日本だ」と言っている。日本は、世界の指導者になるんだということをアインシュタインが予言しているわけです。なのに、肝心の今の日本人は、だらけちゃって、世界の模範になるようなことをやっていない。戦前の日本人は、勤勉ということで世界で有名だった。世界一真面目で、親孝行で、お友達思いの国民だったわけですよ。今や、日本の生産性つまり勤勉さというのは、世界でも最低です。要するにだらけている。休日も多いし、効率も悪いし、自覚もない。だから、外国に行くと、目を下に向ける。今、日本のGDP(国内総生産)はこれ以上ないほど下がってます。その問題を解決するには、やっぱり頑張って勉強して、仕事して、努力する以外ないと思います。私は小学校から東京大学まで一日も休まず、遅刻もせず、真面目に勉強に努力しました。だから、皆さんに一生懸命努力していただくということを切に願う。人生は努力して、努力して、努力するものだから。
★インタビューの舞台裏★ → ameblo.jp/matenrounikki/entry-12082254925.html
サー中松博士(Sir. Dr. NakaMats)
職業:国際創造学者、工学・法学・医学・科学・人文学博士
東京大学卒業。5歳で最初の発明をし、灯油ポンプ(14歳)、フロッピーディスク(19歳)、カラオケ、ファクシミリ、カテーテル、無線消化器体内検査装置、人工心臓、燃料電池など、発明件数3445件以上で、エジソンの1093件を抜き、世界第1位。米国科学学会で「世界一の偉大な科学者」に選定される。ブッシュ大統領招待晩餐会において米国発明最高賞「発明先駆者賞」受賞。IBM社に16の特許をライセンスしている世界唯一の個人。これまで、ペンシルバニア大学ウォルトンスクール、コロンビア大学、スタンフォード大学、セントルイス大学、ワシントン大学、シカゴ医科大学、南カリフォルニア大学、アリゾナ大学、ドレクセル大学、サンディエゴ大学、サンノゼ大学、フィラデルフィア大学、メキシコ・セディス大学、ニューオルリンズ大学、カーネギーメロン大学、ピッツバーグ大学、アナハイム大学、モスクワ国立工科大学、東京大学、ハーバード大学、MITなどで、教授、上級教授として講義を行った。
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2016年1月1日号掲載)