人前で弾けなくなっても犬猫の前で
「ガチ!」BOUT.68
2009年もさまざまなアーティストがニューヨークでパフォーマンスを行った。その中でも、印象深い一つが9月に行われた、国際的に活躍するピアニスト、フジコ・へミングさんのリンカーンセンターでのコンサートである。スタンディングオベーションで幕を閉じたコンサートの翌日、インタビューを遂行した。(聞き手・高橋克明)
昨年8年ぶりのNY公演で絶賛
コンサートではステージ上で風邪をひいたとおっしゃってましたが、もう大丈夫ですか。
フジコ もう方々(ほうぼう)がいかれてきていてね(笑)。昨夜も(ピアノを)弾きながら「今日はもうダメだ」って思って。いつもは風邪なんてほとんどひかないんですけどね。今回ばかりはあまりにもスケジュールが大変だったので、疲れた分、風邪につかまってしまったんでしょうね。
演奏はそれを微塵(みじん)も感じさせない迫力でした。
フジコ 耳も聞こえないから、自分が弾いてる音はあんまり聞こえなくてね。ただやり遂げる事ができて本当に良かった。(観客には)軽蔑されて、(プログラムの)休憩の後、帰られちゃうと思ってましたから。ニューヨークもこれが最後だって。
演奏後はスタンディングオベーションでした。
フジコ あんなに頂けるなんて想像つかなかったですし、(座席も)いっぱいだったからうれしかったです。アメリカは(在住の)日本人もいっぱいいるし、もう何度か(コンサートを)やってるから、少しは知ってもらえるようになったのかな。
ドイツでのコンサートとは会場の雰囲気は違っていましたか。
フジコ こないだのドイツでの演奏会でもスタンディングオベーションは頂いたんですけどね。珍しいんですよ、ドイツ人は融通利かなくて、冷たいから。
(笑)。前回、インタビューさせていただいた時にフジコさんはドイツ人よりアメリカ人の方が好きだとおっしゃってました。
フジコ なぜでしょうかね。なにかアメリカ人って格好いいじゃない。(笑)
えっと、見た目が、ということですか。
フジコ 私が子どものころね、アメリカの兵隊がちょうど(日本に)入って来て、(東京・)銀座の真ん中で交通整理をしていたのね。その時の物腰が日本人と違って柔らかいのよ。すごいスマートで。タイロン・パワーって俳優知ってる?
名前だけですけど。
フジコ 当時、彼も兵隊で銀座の真ん中で交通整理してたんですって。それでみんなもう、びっくりしたって。日本人はね、なんていうか、やり方がカチカチなのよ。それに比べてアメリカ人は融通が利くというか。もっと自由でリラックスしてる。日本人は杓子(しゃくし)定規なのよね。機械を作るのはうまいけど。
ニューヨークの街並みにはどんな印象をお持ちですか。
フジコ 古い建物をどんどん壊しちゃってるわね。それがすごく嫌。だってここから(ホテルの窓から)見える風景も日本と全然変わらないじゃない。昔のもっとレンガ建てで(張り出しの)階段がいっぱいあるニューヨークの方が好きだわね。
ヨーロッパの建物は古いですもんね。
フジコ 向こうはね、自分のうちでも壊しちゃダメなんですよ。自分の家に立っている木1本だって切る時に市のお伺いを立てないといけない。それくらい徹底しているから素晴らしいと思う。何で日本も(そう)やらないのか不思議ですよ。京都だってどんどん壊されちゃって。
フジコさんにとってアメリカという国はどんな国でしょう。
フジコ やっぱり世界一ですよ。オリンピックを見たって分かる。いろんな意味で一番優れてる。昔ドイツに留学してる時にアメリカのFM放送を聞いてたの。あか抜けててジャズもポップもクラッシックも流すのね。ドイツはマーチ音楽なのよ。すごい田舎っぺで全然キッチェじゃない。何で私、ドイツなんか来ちゃったんだろうって。
(笑)。
フジコ それでアメリカに留学し直したくて何度も大使館に行ったのよ。そうしたらまず「お金いくら持ってんだ」って聞かれて。当時は通帳も何も無いから相手にされなくて、それであきらめたの。
アメリカに行きたくてそこまでされていたのは、日本人もドイツ人も知らない過去だと思います。
フジコ でも、さっきも言ったけど、街並みは全然ダメよね。やっぱりパリやローマとは比べものにならない。
(コンサートで)アメリカ人のファンの反応はスゴかったです。
フジコ 私は最近は人間に失望しちゃって、犬猫の方が好きだから。アメリカに夢中だった時代は過ぎちゃった。今はパリに住んでますけど、犬猫と一緒に暮らしてて、生きてて良かったって、そういう気持ちです。
演奏中、フジコさんは頭の中で何を考えているのでしょうか。
フジコ ステージ上はいつも次の音、次の音を考えています。それはあまりよく知らない道を歩くのと一緒。どこで曲がってどこに行くのか。楽譜を全部暗記してるんだから。集中しなきゃいけないから、すごく大変ですよ。
それでも、演奏中は何かピアノと一体化されているような印象を受けました。
フジコ 私はいろんな人からお手紙を頂くんです。「ものすごく悲しい時にあなたのピアノを聞くと生きてて良かったって思います」ってお手紙をたくさん頂きます。あるモデルさんが、首が回らない(症状)で、お医者さんも治せなくて、ある日、私のコンサートにいらして「(ラ・)カンパネラ」を聞いたら回らなかった首が動くようになったんですって。私はそんなふうに考えて弾いたことなんて1度も無いのに。
フジコさんのピアノならではのエピソードですね。
フジコ よくそういう話を聞きます。演奏会の最前列にたまに、今にも死にそうな子を胸に抱いたお母さんが座ってることもあるんですよ。あぁ、また来たなぁ、治るかなぁって思いますよ。お友達のお母さまで癌(がん)を患ってる人が、演奏会の翌週に退院したっていう話もありました。
各国で演奏会を待たれている方も多いですね。
フジコ たくさん予定は入ってますね。あっちからもこっちからも頼まれて。でも1番困るのはね、外国の方が私と日本に行けば(チケットが)完売になるからってやろう、やろうって来るんですよ。断るのも悪いし、それは、もう困っちゃいますね。
これからもファンのためにピアノを弾き続けてください。
フジコ 人前で弾けなくなっても犬や猫の前でね、うっとり弾くのもいいかもしれないですね。
最後に読者にメッセージをいただけますか。
フジコ 私は若いころ、アメリカのファンでしたし、あこがれもしました。皆さんはここにいられるだけで幸せなことだと思うので、嫌な事もたくさんあると思うけどしっかりやってください。いられるだけで幸福なことだと思うので。
■インタビューを終えて
コンサート翌日、風邪をひかれている中、お時間を取っていただきました。宿泊されているホテルの一室で1時間ほどお話をしていただきました。ピアニストとしては伝説にまでなっている方なので緊張しましたが、お会いするフジコさんはとても優しく穏やかな方でした。直筆のサイン付きのCDや生写真など「お土産」もたくさん頂きました。ついでに風邪菌まで頂きました。光栄でした。
Fuzjko Hemming(フジコ・ヘミング) 職業:ピアニスト
日本人ピアニストの母と、スウェーデン人建築家の父のもと、ベルリンで生まれ、幼少の頃日本へ。母の手ほどきでピアノを始め、レオニード・クロイツァーに師事。17歳でコンサートデビューを果たし、東京音楽学校を経て、NHK毎日コンクールで入賞。28歳でベルリンへ留学。バーンスタインに認められリサイタルのチャンスを得るが、風邪による高熱で聴力を失う。失意の中、スウェーデンへ移住した後ドイツへ。その後聴力は40%ほど回復。1995年、帰国。日本で大ブレイクし、デビューアルバムは200万枚を売り上げる。ゴールデンディスク大賞を4度受賞。日本国内を始め、世界各地で積極的に公演している。2009年、米国デビューを果たす。
公式サイト:http://fuzjko.net/
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2010年1月1日号掲載)