加山雄三(1)〜加山雄三ファミリー〜

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5歳の孫にはWiiで全部負けてるよ
「人生の三〝かん〟王」に、それはどこの国ででも通じる最高の生き方

「ガチ!」BOUT.35.34.33

8月某日、ニュージャージー州某所。雑踏ひしめくマンハッタンから車でわずか1時間もかからない閑静な高級住宅地。多忙な日本でのスケジュールから離れ、昨夜JFKに到着したばかりの加山雄三さんにお会いするため別邸にお邪魔した。かつてメディアは一度も入れた事がないという加山さんの邸宅はそのスターのイメージからでてくる絢爛たる豪邸というより、白を基調としたこの上ない上品な理想の隠れ家といった感じ。先日アポロシアターでのコンサートの記憶も新しい和田アキ子さんもよくお見えになるとか。家族が揃う貴重なオフの日。マネージャーさん抜き、完全プライベートな空間で4時間にもわたりお話をしていただいた。(聞き手・高橋克明)

加山雄三

 

NJの別宅で家族でくつろぐ完全プライベートに密着

時差の方は大丈夫ですか?

加山 慣れてるから、全然。今(飛行機の)サービスも変わったじゃない、自分の好きな時に好きな物も食べられるし、和食の方もうまくなったしね。今のサービスは最高じゃない。

奥さま 私たち家族は飛行機長いの平気なんです、中途半端に目が覚めなくて。ロスやハワイだと逆に寝る間もなく着いちゃうでしょ。だからこれくらい(NY─東京間)長いとハイ、お休みなさいって感じで。

ご家族皆さんで日本-アメリカ間を行ったり来たりの生活ですがそんなに苦痛じゃない感じですね。

加山 全然。時差うんぬんというより日本にいたとしても子供たちの面倒で死にそうなスケジュールを(普段から)この子(真悠子)はこなしてるから。子供は朝、はっやいからねえ。夜遅くまで手つながれて。それでも彼女はどんな事があっても5時半には起きる。よく世の中お母さんが手抜きしてるって聞くけど、この子はね、例えば亭主がどんなに夜遅くても朝は5時半起床。

加山さんもお子さんがまだ子供のころは一緒に起きられていましたか。

加山 俺はね、えみが中学に行ってからもう起きなくなった(笑)。それまではどんなに朝早くても一緒に朝ご飯をね、

奥さま 朝ご飯だけはぜったい一緒に食べてたんです。

加山 それが年とともにだんだん疲れが顔に出てきたからもう、遅くまで寝ていようと決めたんだけどこの人(奥さま)の場合それがずーーっと永遠に続いてるわけだ。やっぱりその背中を見てるから彼女(真悠子)も頑張ってるんじゃないかな。

奥さま でもそれは当たり前だと思ってるんです。親だったら当然でしょ。それをわかってくれているので子供たちは思いやりをもってくれていると思うんです。

 

加山さんは今回こっちでもお孫さんに会いたかったんじゃないですか。

加山 でも、日本では毎週末うちに連れてきては置いてっちゃって、そのまま(真悠子は)仕事行っちゃうから。われわれが孫の面倒をみる。2階が保育園で1階が老人ホームだ。(笑)

ここの別邸には定期的にいらしてるんですか。

奥さま 私は夏、冬それぞれ2、3カ月いて、主人はその間、日本から通ってもらってます(笑)。で、残りの8カ月くらいは日本にいて成城で妻をやっています。(主人は)毎回忙しくてこちらに1週間ほどしか滞在できないんですけど今年の冬は2週間くらいは滞在してほしくってね。

加山 それはなぜでしょう? タヒチに行くんですね。タヒチ行くためにスケジュールを合わせてくださいって(笑)。タヒチはね、結婚した直後に「最高だから俺が必ず連れて行ってあげるよ」って言って、で38年間まだ一度も連れて行ってない(笑)。(今回は)ハネムーンならぬフルムーンで行こうよって。

38年越しのタヒチ、すてきですね。

奥さま ツライものありますよー。だって当時は水着、全然平気だったのにねぇ。

加山 タヒチったって、誰も見てないんだから。

2人っきりですか? お孫さんは…。

奥さま まさか! 来るな、来るなって言います。(笑)

加山 だって(日本にいると)いきなり電話で(真悠子が)「今日行くからさ」って。誰が? って聞いたら「決まってんじゃん」って。(笑)

奥さま で、リュック背負った孫がピンポーンって。

(笑)。お孫さんおいくつですか?

奥さま もうすぐ8歳。で下が5歳。

加山 孫はかわいいのはかわいいけど大変すぎてね。だってずーっとゲームでしょ。俺にも一緒にやってくれって、ずーっとだよ。最近はWii(ウィー)って体使ってやるやつ。それがまた(孫は)強いんだ。

奥さま その孫と一緒になってやるゲームで負けるのが嫌なのよね。ムキになっちゃって。

真悠子 ボーリングもやるんですよ、そのWiiで。やりすぎて肩が痛いって。(笑)

加山 肩を痛めたのはボーリングじゃないの! 野球だよ。(ムキになって)

えっと、相手は8歳のお孫さんですよね。(笑)

奥さま・真悠子・えみ (同時に)5歳の方!

加山 だって、ものすごく強いんだよ。上(の子)も下(の子)も! どうしてお前たちそんなに強いのって。みんなして俺をね。だから覚えるのは子供の方が早いんだよね。

でも加山さんご自身もゲームでは有名で、いろいろなレコード持ってらっしゃいますよね。ほかにもWiiには、テニスとかゴルフとかありますけど、負けないのもありますか?

加山 全部負けてるよ。

(笑)。

加山 でもいざとなったら俺は勝てると思うよ、本当はね。で、こっちが勝ちそうになるともうケンカになるからさ。だから多分レベル的には今はすでに俺の方が上なんだと思うんだよ。

えっと、もう一度お聞きしますが、相手は8歳のお孫さんですよね。

奥さま・真悠子・えみ (また同時に)(だから)5歳の方!!

加山 でもね、その一方で海なんかにもボートで連れて行ったりするよ。それは普通ではなかなか体験できないよな。あとは一緒に絵も描く。俺がアトリエで油絵描いてる時に横で一生懸命描いてるよ。「よく描けてるな」って、やっぱりね褒めると子供は自分でやる気を起こしてくれるね。自信を持たせるというのは子供にはとってもいい事なんだよ。

お孫さんだけでなくお子さんにも加山さんがいつも言っていた事ってありますか。

加山 子供のころからね、物は大切にって事はいつも教えてます。無駄遣いするなってこともね。だから節目事、たとえば誕生日とかクリスマス、お正月には必ず自分たちでカードを作らせるんですよ。それをみんなで交換する。こういうのはお金じゃないんだよ。お金に替えられないんだよ、プレゼントっていうのは愛をプレゼントするんだよってね。だから紙切れ1つなんだけどそれを大事にとっておいてね。家族みんなの記録的なものにもなってる。

奥さま それがね、今は孫も作るようになって母の日のくれたのよね。

加山 そうやってみんな作っていくわけだよ。これも伝統だな。(笑)

では父としてお子さんたちに期待する事ってありますか。

加山 期待する事なんか何もないよ。特に女性の場合はちゃんとした伴侶がいて充実した家庭なり充実した人生を歩めるようにしてくれればそれだけでいいんだから。人に迷惑をかけないような人生であれば親として言う事ないですよ。ただね、せがれたちにはやっぱり有名人になるってことを選んだとしたなら、だったらブレイクしなきゃ駄目だとは思うよね。成功するためにはどれだけの努力が必要か、そんな話をした事はあるよ。世に出た以上はやっぱりメジャーになってもらいたいとは思うね。

なるほど。それでは加山さんご自身にとってアメリカとは何でしょうか。

加山 こだわりの地だね。それはやっぱり音楽へのあこがれから始まって、この地で生まれた音楽に囲まれながら現在に至るというかね。その音楽というものを今自分の仕事にできて、その仕事を通じてアメリカにおける変化っていうか、進化を感じていきたい。あとははっきりしているところが好きなんだよ。アメリカっていうところはすごいところはすごい、やばいところはやばい、はっきりしている。周りに合わせてどうのこうのっていうのは性に合わないから。

加山さんには合っているわけですね。

加山 そう。あとはやっぱり日本と違ってここは(自分の事を)知らない人ばっかりだから今は普通の人になれるっていうのが一番うれしいね。学生時代に戻った気になれる。マンハッタンは日本人も多いけどここだと知らない人がほとんどだから顔出して短パンで歩ける。うん、やっぱり学生気分のまんまだね。

日本だと出来ない事もこの近所だとできたりしますよね。

加山 ジャクソンホール行って、ハンバーガー食うベぇとかね、自由だよ。でっかいショッピングモールも行くし、ホームデポにもいくしね。何を買うかっつったら船の中の備品を買ったりね。あとは(船の中の)白いカーペットとかね。

日本では売ってないんですか。

加山 ないんだよ。日本ではあまり実用的ではないから、汚れの目立つものは(売ってない)。アメリカはインテリアを楽しむというかさ。船の寝室とか痛みの激しいところはすぐにとりかえられるように掃除したり、日本では絶対やらない事もできたりする。それも俺にとっては代え難い楽しみかな。

在NYの読者にメッセージをいただけますでしょうか。

加山 僕が自分自身にいつも言っている言葉は「人生の三“かん”王」という言葉です。1つ目はまずはあらゆるものに関心を持つという「関」。そして感動する心を持つという「感」。そして感謝する気持ちをなくしてはいけないという「感」。その3つはいつも大切にしようと思っています。自分がいくつになっても物事に関心を持っていたい、そしてそれに関する本を読みたいと思う心。たとえば引退した人でも趣味を持ち、ああこれ面白そうだなって思う事が絶対大事。いくつになってもね。そしていろいろな出来事の中で感動するという事。その感動する心を失ったらもう駄目だ。年齢に関係なく感動して涙を流せるっていうのが一番大事だよ。そして感謝する心を持たない人間は絶対に駄目。どこの世界に生きていくにしても人のせいにするのではなく全部自分で受けとめるという事。受け止める事ができたら、辛い事を乗り越える力ってものが心に授かるんだよ。そういう生き方ができればそれがたとえどこの国であれ僕は最高だと思う。特に若い人たちはそれを心にとどめておいてほしいな、と思うね。

NJの別宅で家族でくつろぐ完全プライベートに密着

「加山雄三ブランド」使わず自身でつかむのが〝加山流〟

 

ここからはお2人の娘さん、料理研究家として活躍する長女・梓真悠子さんと、ニューヨーク在住で女優として活躍する次女・池端えみさんを中心にお話を伺った。そして話題はその場にいらっしゃらなかったお2人の息子さん、作曲家、映像作家の池端信宏さん、俳優の山下徹大さんまで及んでいった。
◇ ◇ ◇

真悠子さんのブログ拝見しました。えみさんと一緒にマンハッタンにショッピングに行かれた事をすごく楽しそうに書かれていらっしゃいましたよね。

真悠子 はい。2人一緒っていうのは最近あまりチャンスがなくて。

えみ 日本だと姉は子供がいるのでなかなかショッピングには行けないんです。だから今回は久々に一緒に行く事ができたのでうれしかったですね。

真悠子さんはお料理研究家として日本のテレビでも活躍されていらっしゃいますが、やはりこちらに滞在されている間の時間は日本の仕事にとっていい刺激になりますか。

真悠子 そうですね。ウインドーショッピングするときでも、やっぱり家具1つ、食器1つとっても全然日本と違うセンスだったりするのでそういった物を見て回るだけで楽しいですね。日本に持ち帰ると(料理教室の)生徒さんにこれどこで買ったんですかって聞かれたりして。いろいろ刺激になるみたいです。

なるほど。今後はどのような料理研究家になりたいでしょう。

真悠子 今後はお料理の本とかも出していきたいですね。でもお料理だけでなく結婚前にやっていた女優業にも力を入れていきたいなとは思っているんです。思ってはいるんですが子育てもまだまだ真っ最中なので、母としても成長していきたいなって、そんな感じですね。

お料理の道に進まれた最初のきっかけはやはりお母さまの影響もありましたか。

真悠子 そうですね。もちろんありましたね。

加山 (さえぎって)いや、もともと僕が好きなんで僕のね、影響なんだよ。創作料理とか、アイデア料理を考えるのがすごく好きでね。でも彼女(真悠子)は普通、家庭では味わえないようなアイデア料理を(家庭で作れるように)教室で教えているから大したもんだよな。

真悠子 教室では最初にデモンストレーションして分からなかったら質問をしてもらって、って感じです。包丁はこう持たせてとか、切り方はこうじゃなきゃ駄目とかじゃないんです。あくまで会話を楽しんでもらって、リラックスして、出来た料理も食べてもらって、でついでに料理も覚えてもらって帰っていただく、そんな料理教室なんです。

食べるのが専門で料理教室なんて自分の人生に全く関係ないと思ってましたが、今の話を聞くと通いたくなりますね。

真悠子 男性の方もたくさんいらっしゃいますね。

昨年の10月にえみさんの舞台を拝見させていただきました。「アイ アンド、ユー、あんど、ヒーあんど…」。

えみ 「I and Me & You and I」です。(笑)

本当に素晴らしかったです。(タイトル忘れてたくせに)

加山 そうなの?

で(共演の)山村美智さんにインタビューさせていただいた時に山村さんも絶賛されていらっしゃたんですよ、えみさんの事。

加山 俺1回も見てない。

舞台の途中から中身の違う人間になる設定だったんですが、本当に全くの別人になってました。

加山 へー、そうなんだ。

でもアレだけの長セリフの2人芝居って今まで経験された事は…。

えみ 全くないです。全くないまま2週間で8公演。

長いですよね。大変だったと思いますが。

えみ そうですね、でももっとやってもよかったかなって。(笑)

山村さんも同じ事おっしゃってました。真悠子さんは観に行かれましたか。

真悠子 行きました。良かったです。演技をする妹を見ていなかったのでこんなに成長してるとは思っていなくて。会うたびに英語も上達していますしね。

お母さまから女優としてのアドバイスみたいなのはありましたか。

えみ 頑張れってことだけです。声を大きくねってそれくらいですね。

うーん、それくらいなんですね。何か、ご両親の威光を借りてないというか…。あの、真悠子さんもこの世界入られたきっかけは街でスカウトされたからですよね。

真悠子 はい、そうです。

えっと、えみさんも舞台の時に加山雄三の娘だって事はプロフィールに一言も入ってませんでしたよね。

えみ 別に隠してませんけど、特に表には出してませんね。

お2人とも「加山雄三ブランド」には頼られてないんですよね。今回、お話を聞いてて非常にそれを感じたんです。だけど世間では親の七光り的に思われた事だって今まであったと思うんですよ。

加山 協力なんか全然してない。自分でオーディション受けろ、自分で事務所見つけろ、やりたかったら自分でやれ、ってね。私の娘ですからよろしくお願いします、なんて言った事今まで一度だってない。考えた事もなかったよ(笑)。せがれたちにも同じ。もちろん、あとでね、「あれ、加山雄三の娘だってよ」って事で懇意にしてもらう事はあるにせよ、だよ。

そっちの方が本物って感じがします。

加山 今は長男がね花火師として力をつけてきた。本当は映像作家でCM製作とか、NHKのアニメ番組とかをしていたんだけど今回、長岡花火大会で来年の大河ドラマの「天地人」が地元なんでそのコーナーを作りたいと。そのプロデュースを市長から直々に頼まれてね。日本一の花火大会の、だよ。その「天地人」のイメージで作曲もした上で、その曲に合わせて花火を上げていく。で、やったんですよ。もんのすごかった! 日本中の花火師がみんな集まってこんな花火見た事ないって、どうしてこんな花火が上げられるんだって言うくらい。全員がうわーって立ち上がったと思ったら、60万人から拍手と叫びがね、あの黒柳徹子さんまでね、まあきれい、まあきれいって興奮状態になってね(笑)。今までの中で一番すごい、世界一の花火大会だってみんな感動して、涙流してたよ。

お話を聞くだけで観に行きたくなります。

加山 来年もそのまんまやろうって、市長がね。やる気満々なんだよ(笑)。やつ(長男)は子供のころから花火が好きで好きで、アメリカに行って免許を取って日本でも免許を取って、世界中の花火大会を実際に見て回り、どうやったらどんな花火が出来るか研究して、業者と綿密な打ち合わせをしてさ。そこまで自分でして、それでも個人でやってるからみんな俺のせがれだって知らないよ。新聞に取り上げられたり、人気が出てきて、でそのうちに「加山雄三の息子だってよ」ってなるんだよ。それまで、いやそこからも何もしてやったりした事ないよ。だからとにかく自分でやんなさい、俺は知らないよって、ね。

自分たちの力だけでやってられるんですね。でも息子さんたちとは違ってお2人は女の子なんで「ちょっとお父さんなんとかしてよ」みたいな事って言われたりしないんですか。(笑)

加山 全くないね。頼まれるのは孫の面倒くらいなもんだよ。(笑)

あの、使えるモンは使った方が…(笑)。「あたしを誰だと思ってんのよ。加山雄三の娘なんだから!」みたいな…。

真悠子・えみ アハハハ。ないです。ないです。

加山 でもこの子たちは世間からはうらやましいと思われる事もあったと思うよ。加山雄三の子供だから何不自由なく暮らせて、とかさ。まあ、実際に子供のころは世間で言う温室育ちだった時期もあるしね。

でも僕は、おそらく息子さんたちと同世代なので想像がつくんです。多分いい事ばかりだったわけじゃないんだろうなと。父親が加山雄三であるからこそのプレッシャーも、特に男の子には相当あったと思うんですよ。もっといえば嫌だった時期もあるんじゃないかなって。

加山 そうそう、そうそう。あいつら(息子)2人ともに言われた事あるよ。どこにいっても(話題の中で)おやじが先に出て来る。正直、おやじの事が邪魔だって、ね。

だからこそ、本物の実力を身につけていかれた。

加山 そう。俺自身がそうだったから。スタートした時に親の名前を使って当人が売れだしたら、その後の不安感っていうのはね、大変なものなんですよ。自分はどこかで修行したわけではない。実力でどこかの劇場に立ってきたわけじゃない。だけど、もう大スターとしてにっちもさっちもいかないくらい売れちゃった。そうするとね、なにか細ーい竹ざおのてっぺんに座らされてる、いつポッキリいくか分かんないっていうそういった不安感が常につきまとうんですよ。

はい。

加山 それが自分自身の実力で下積みからやってきたら、そこまでやってきた自信が出来てくる。その時こそが本物だよ、と。最初から大変だってことが分かった上で苦労する。そうやって生きていく中でつかんだ自信があれば不動の自分が確立できるんだ、と。そういう生活を味わえるならその方がずっといい。学校を卒業したら、そっから先は自分で苦労しろと、親の力を借りたら充実した人生というのは送れなくなる。それじゃあ駄目なんだよと。そう言い続けてきたからね。

それが伝わってるから皆さん、加山さんに最初から頼らないんですね。

加山 そうだと思うね。…でも、孫の面倒は頼んでくるんだよなあ。

グランドピアノの前で加山雄三さん(中央)を囲んで。(後方左から)次女の池端えみさん、長女の梓真悠子さんと奥さま

グランドピアノの前で加山雄三さん(中央)を囲んで。(後方左から)次女の池端えみさん、長女の梓真悠子さんと奥さま

◎インタビューを終えて

インタビュー終了後の撮影時、フレーム越しにのぞく「絵に描いたような幸せな家族写真」。一朝一夕ではこんなに絵にならない、という事をすべてのお話を聞いた後、僕たちは知りました。この魅力のあるご家族に、同行したスタッフ一同はその日、本当の意味で加山雄三ファンになった気がしました。

加山雄三(かやま ゆうぞう) 

職業:俳優・シンガーソングライター・作曲家・タレント・ギタリスト・ピアニスト・画家

1960年東宝に入社に「男対男」でデビュー。61年から「若大将シリーズ」が大ヒットする。同年作者協会新人賞、翌年NHK映画祭最優秀新人賞受賞。一方、歌手としても「大学の若大将/夜の太陽」でデビュー。その後も弾厚作のペンネームで作詞作曲をし、「君といつまでも」や「お嫁においで」など大ヒットを飛ばす。他にも画家として個展の開催、作品集発売など、幅広く活躍している。2005年にはカーネギーホールでコンサートをするなど、ニューヨークに縁がある。

梓真悠子(あずさ まゆこ)

職業:料理研究家、女優、タレント、モデル

1976年生まれ。東京都生まれで神奈川県出身。料理研究家として活躍し、同世代の主婦たちから注目されるセレブなヤングミセス。高校在学中にスカウトされ、21歳のときにNHKの大河ドラマ「毛利元就」で芸能界デビュー。98年にはNHKの「ハイビジョンフラッシュ」などに出演していたが、慶應義塾大学卒業後に結婚し、2人の男の子の母として子育てをする傍ら、自宅で両親から受け継いだ料理の腕と食のこだわりを発揮したクッキングサロンを主宰。「やんちゃくれ」(NHK)、「らせん」(フジテレビ)、「踊るさんま御殿」、テレビ東京「ソロモン流」(テレビ東京)、「徹子の部屋」(テレビ朝日)、その他CM、報道番組、ファッション誌など多角的に活躍し、雑誌「Saita」(セブン&アイ出版)などでエッセー執筆活動も行っている。「梓真悠子スタイリッシュサロン」主宰。ブログ:http://ameblo.jp/azusa-mayuko/

池端えみ(いけはた えみ)

職業:女優

1978年生まれ。東京都生まれで神奈川県出身。2000年女優デビューし、ドラマ「月曜ミステリー劇場」(TBS)、「火曜サスペンス劇場」(NTV)、「涙をふいて」(CX)、映画「SF/ホイップクリーム」(瀬々敬久監督)などに出演。03年に女優修行をするためにニューヨークへ渡る。ACME Acting Lab、Acting Studio, Inc.、New York Film Academy、で映画から舞台まで幅広い演技のスキルを学ぶ。映画「Wake Up and Waltz」(DJ Mendel監督)、昨年はオフブロードウェイ公演2人芝居「I and Me & You and I」(Mahayana Landowne監督)などに出演。準主役に抜擢されたハリウッド映画「The Grudge 3」のDVDが来年発売予定。現在ユニクロやVerizonの広告に登場し、ニューヨークでの女優活動を続けている。ブログ:http://emiko.weblogs.jp/blog/

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2008年10月4・11日号掲載)

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