「Kawaii」の定義は自分だけの小宇宙を作ること
「ガチ!」BOUT. 246
世界に“Kawaii”という言葉を広めたアートディレクター兼アーティストの増田セバスチャンさん。きゃりーぱみゅぱみゅのPV美術など、さまざまな形で“Kawaii”文化を発信する。ニューヨークのRonin Gallery(roningallery.com)で開催された作品展の直前にお時間をとっていただいた。(聞き手・高橋克明)
NYで2度目の作品展
一昨年の個展でも初日に1000人以上が来場するという大成功を収めました。今回は2度目のニューヨークでの開催となります。
増田 前回は、まだこの街でのアートをあまり理解しないままやって、それが逆に新鮮だったみたいで、2月の寒い中、どうしてこんなに(人が)来るのかな、(笑)ってくらい来ていただいて。日本のポップカルチャーから影響を受けたと公言してるレディー・ガガや、ケイティ・ペリー、ニッキー・ミナージュといった有名なアーティストのどうやらそのルーツとなる原宿のカルチャーを担ってる一人が来るということで、皆さん来てくださったと思うんですよ。
なるほど。
増田 なので、すごい狭い会場に2000人集まっちゃって入りきれない人が、外で凍え死ぬんじゃないかなって(笑)。でもその時に「Kawaii」という日本のポップカルチャーをちゃんと紹介できたとは思うんです。ただ何も分からず日本から全作品を持ってきて、会場に詰め込んだので、今回はちゃんとしたアートマーケットをやりたいな、と。いつもだと演出を入れるんですけれど、今回はそういうものもなしで、作品のパワーだけで、ニューヨークの人たちを魅せることができるのか、チャレンジしたい感じですね。
従来は、増田さんご自身のキャラクターを前面に打ち出したり、インスタレーション(空間演出)などの仕掛けで驚かせたりと演出面も力を入れられている中。
増田 今回は、作品だけで、このちっちゃなパネルの中に込めた技術とアートのセンスと、そして思いだけで勝負しようと思ってます。自分の世界観の一部を切り取った作品自体を皆さんに楽しんでもらおうと。
ある意味、スタートラインですね。
増田 たぶん、この先、僕はニューヨークに移住してくると思うんです。その時に、ここで、自分がアーティストとして生きていけるか、(演出に頼らず)自分の世界観を切り取って、それだけで勝負する必要があると思ったんですね。なので今回の個展に今後(の活動も)かかってくると思ってます。
今回の個展のテーマは「感情(emotion)です。感情に焦点を当てた理由を教えてください。
増田 “Kawaii”って聞くと、日本人はすぐに漢字の「可愛(かわい)い」に頭の中で変換しちゃうと思うんですけど、その瞬間に、ちっちゃい動物とか、お人形とかを思い浮かべると思うんです。でも、そうじゃなくて、“Kawaii”っていうもっと感情の中に秘めている、こう、爆発的なものを作ってみたいな、と。そう思ってのエモーションシリーズなんです。今、世界中に“Kawaii”という言葉が広がっているからこそ、もっと芯にあるスピリッツみたいなものを伝えたいなと思って。
“Kawaii”って可愛らしいキャラクターだけを指してるわけじゃないんだよ、と。
増田 そう。ただ“可愛い”ものだから世界中に広がったわけじゃなくて、そこに精神みたいなものがあったからこそ、世界に広がったという、そこを僕は絶対、抜け落としたまま(世界に)広げたらいけないっていつも思ってるんです。
2009年から世界5カ国で「Kawaii」を発信してきた活動には、その使命感みたいなものもありますか。
増田 僕が24歳くらいのころに「6%DOKIDOKI」というファッションブランドを原宿で立ち上げたんですが、そのころの原宿には“ホコ天”があって、若い人たちが自分のオリジナルファッションを見せに毎週のように集まってきていた。でも、歩行者天国が封鎖されてから、街にもそういうファッションの人たちがいなくなって。そのころ、ちょうどユニクロやH&Mなどのファストファッションが入ってきて、シンプルブームが来たころに、だんだんと個性的なファッションが消えていったんですね。でも、同時にSNS(インターネット交流サイト)も発達してきて。僕のところに世界各国からいろんな言語のメールがばぁっと来たんですよ。「Harajukuのファッションはどこで買える?」とか「パリに住んでいるけど、ここでも買えるか?」とか。
世界的には廃れるどころか、そこから需要が始まった、と。
増田 原宿では下火になってきたかもしれないけど、このファッションは、このカルチャーは、世界中で求められているんだな、と。そこから世界をワークショップしながら、現地のコたちと一緒に世界を回ったんですね。それが世界に広がるキッカケの一つにはなったと思います。そのころにはまだきゃりー(・ぱみゅぱみゅ)もいないですよ。(笑)
きゃりーさん、お客さんとして通われていたんですよね。
増田 そうですね。高校時代、「6%DOKIDOKI」にお客さんとして通ってくれてました。
増田さんの思う本来の“Kawaii”と外国人の思う“Kawaii”にはギャップを感じますか。
増田 違いはないと思います。もともと外国の方が、アルファベットで“KAWAII”と言うようになったのは、日本のアニメや映画を見ると、日本語分かんないけど、「Kawaii-!!」だけ聞こえるらしいんですよ。
ヘー。(驚)
増田 何回も“Kawaii”を連発しているけど、これは何かの感嘆詞として使われているんだな、と。まぁ、アメリカでいう“awesome”とかのときのような感情表現の一つなんだなと。詳しくは分からないけれど、日本人が何かをリスペクトするときには、“kawaii”“kawaii”と使う。それが転じて、外国の方が、日本の繊細で、緻密なアイデアやクリエーティブなものに対してのリスペクトの言葉として使い出した。それが“Kawaii”という言葉が広がったきっかけなんですね。
それでは増田さんご自身にとっての「Kawaii」の定義は何でしょう。
増田 僕が外国の方に説明をする時に言うのは、“Kawaii”って、自分の中に、自分だけの小宇宙を作ること、自分だけの小さな世界観を作ること、そう説明しています。自分だけの聖域で、そこには誰も踏み込ませない。それが「Kawaii」の定義だと思っています。だから僕の作品はカラフルなものが多いですけれど、それは単純に僕が好きだから(笑)。黒でも白でもなく、それが僕にとっての“Kawaii”だから。自分が“Kawaii”と思うならば、他の誰が何を言っても関係ない。自分だけの小宇宙なんです。
その感性は、やはり「原宿」というエリア性から発生したものでもあるわけでしょうか。
増田 (今日の)この作品群も、世界にもともと存在している色を使って世界に存在しない新しい色を生み出すという試みをやってるんですね。それって、原宿という世界中のカルチャーが集まってくる街で、それぞれの若い世代がそれぞれの文化を自分の中に取り込んでミックスにしてオリジナルにしていくということを表しているんですね。僕の作品っていうのは、世界中の、中国であり、タイであり、アメリカ、ヨーロッパなどのものを集めてミックスして新しいものを作っていくっていう手法なんですけど、それ自身が「原宿」じゃないかって思ってます。
ニューヨークに活動拠点を移されたいというきっかけは何だったのでしょう。
増田 例えば、ロンドンやパリ、ベルリンなどの世界中のアートシーンを見てきて、アートのメジャーリーグってどこだろうって思ったときに、やっぱりニューヨークだなって思ったんですよ。なので、絶対、ここで自分の実力を試したい、ここでやろうって決めたんですね。でも、どうなっていくかは明日のことも分からないですけど(笑)。今回の展覧会で誰がきてどうなるか。そこはいつも考えないようにしています。ゴールを決めて、そこに向かったものをつくって見せられても、みんなつまんないと思うんですよ。なので、そこは、もう、行けるところまで思いっきり、ぶっ飛ばすみたいな。それに2014年にデビューして、まだまだ新人なので、ここからがスタートかなと思ってますね。
ニューヨークという街にどういった印象をお持ちですか。
増田 僕の実感としてはね「夢が転がってる街」―。それは一昨年、まったく無名のいちアーティストである僕の個展に2000人集まってくれて、マイアミの美術館の目に留まって、ミラノに招待されて…。ここに来るまで実感なかったけど、夢っていきなり実現するんだな、と。そのスピードは、日本とは全然違うなと思いましたね。でも、夢は転がってるんだけど、それをつかむのはあくまで自分次第だなとも思います。つかめれば、いい場所だなって思います。
最後に、ニューヨークに住んでいる日本人読者にメッセージをお願いします。
増田 お仲間に入れてくださいって感じですかね(笑)。自分もこれからニューヨークに拠点を構えて活動していくにあたって、同じ日本人が頑張ってるんだなって思えば、自分も負けてられないなって思えるし、皆さんも、この新聞を通して、自分だけが苦しんでいるんじゃないんだなって思えるキッカケになればいいなと思いますね。
★ インタビューの舞台裏 → ameblo.jp/matenrounikki/entry-12228775065.html
増田セバスチャン 職業:アートディレクター/アーティスト/6%DOKIDOKIプロデューサー
1970年生まれ。原宿Kawaii文化をコンテクストとした 活動を行うアートディレクター/アーティスト。演劇・現代美術の世界で活動した後、1995年に”Sensational Kawaii”がコンセプトのショップ「6%DOKIDOKI」を原宿にオープン。2009年より原宿文化を世界に発信するワールドツアー「Harajuku”Kawaii”Experience」を開催。11年きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」PV美術で世界的に注目され、13年には原宿のビル「CUTE CUBE」の屋上モニュメント『Colorful Rebellion -OCTOPUS-』製作、六本木ヒルズ「天空のクリスマス2013」でのクリスマスツリー『Melty go round TREE』製作を手がける。14年に初の個展「Colorful Rebellion -Seventh Nightmare-」をニューヨークで開催。以後も世界を巻き込み、各種イベントを展開している。公式サイト:m-sebas.asobisystem.com/
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2016年12月3号掲載)