m.c.A・T

0

音楽に限らず、何かを新しく生み出すことが好きなんです

「ガチ!」BOUT. 255

 

m.c.A・T

 

日本中を熱狂したデビュー曲『Bomb A Head!』から20年。数々のヒット曲をリリースし、音楽プロデューサーとしての顔をもち、今も活躍するm.c.A・Tさん。ポップスとしてのヒップホップにおいて、日本におけるパイオニアと称され、手掛けた楽曲は500曲。m.c.A・Tでのトータルセールスは600万枚を超える。移り変わりの激しい音楽業界のことや、世界に通用するアーティストを生み出すことなど、お話を伺った。 (聞き手・高橋克明)

20年以上、日本の音楽シーンで活躍

浮き沈みが激しい音楽業界の中で、m.c.A・Tさんは、もう20年以上、一線で活躍するアーティストたちに曲提供をし続けています。一番聞きたかったのは、その耐久年数というか、クオリティーを保ったままの継続力なんですね。

A・T そうですねー、そっか、そっか。鮮度を保ち続けるっていうのは、自分でもどこか、人ごとのように考えているところもあるかもしれないですね(笑)。結局、自分には二面性がすごくあって、デビューしたころの人前で歌う自分自身のパフォーマンスと、あとは提供する制作ですよね。で、どちらかというと「作る」、制作の方がものすごく好きなわけですよ。自分が裏方のように制作活動している時は、音楽に対して毎回、新鮮でいられるんですね。というのは、いろんな方に提供するということは、その人のことも研究しなきゃいけない、本当の意味で知らなきゃいけない。

その都度ゼロからの気持ちになれる、と。

A・T なので、おかげさまで、いろんなアーティストのプロデュースとか、ステージ音楽とか、宣伝PRとかのお仕事を頂けるんだと思います。あとは古いブラックミュージックも昔から好きだし、最近のアップデートされたものも大好きなんで、古いものも、新しいものも全部にアンテナを張っているのがいいのかもしれませんね。

大御所になれば、なるほど自分のスタイルに固執される方もいらっしゃいますよね。

A・T 確かに(笑)。例えば、m.c.A・Tがヒットチャートに出ていたころに、当時、僕のファンだった方が、今、偉くなってディレクターさんになってらっしゃることもあるんですよ。で、「(一緒に仕事をすることが)夢だったんです」とおっしゃってくれて、で、「今、こういうのが流行(はや)ってるから、こういうアプローチで、こういう曲で」ってアイデアを出すと「いや、そうじゃなくてA・Tさんの当時の何々のような曲をお願いします」って言われちゃったり。(笑)

それだけ長く日本の音楽シーンの真ん中を走られてきたということですね。

A・T 長いことやってると、今こんな新しいことを考えているのに、m.c.A・T節というか、m.c.A・Tスタイルでやってくれって言われることは多々ありますね

さまざまな方のインタビューをして、音楽業界に限らず、どの業界でもトップを走っている方は、ご自身のスタイルを持ったまま、新しいものにも挑戦していく、という意味で共通されている気がします。

A・T そうかもしれないですね。でも、「しなきゃいけない」と思うとしたくなくなるじゃないですか。勉強が嫌いだと思ったら受験勉強は苦痛ですよね。でも、最近、ディレクターさんとかで東大出身の方にも会うことが多いんですが、意外にみんなガリ勉(タイプ)じゃないんですよね。好きで勉強してた人が多い。(笑)

なるほど、苦痛じゃない。

A・T なので、僕も「好き」なんだと思います。新しいことを取り入れることが。例えば、ソフトシンセ(サイザー)の会社が主催する(音楽)セミナーがあるんですけれど、僕もそこの会員なので、よく行くんですよ、そのセミナーに。

m.c.A・Tだと名乗らず?

A・T 全然、名乗らず。まず(招待の)メールが僕と知らないで来ますから。で、行くと講師の皆さん、いろいろと教えてくれます。

(笑)A・Tさんとは知らずに、A・Tさんに音楽を教える。

A・T そうですよ。ここはどうなってるの?とすごく若い子に聞いたりします。先日はニューヨークで成功している24歳くらいの日本人の2人組に教えてもらいました。グライムっていうジャンルの曲なんですけれど、実は、直接僕には関係のないジャンルなんですが、音の作り方にどんな秘密があるのかなって。まぁ、結局、彼らは僕のことを知っていて、一緒に写真撮ってくれってなりましたけど、最後まで(僕と)知らない(認識していない)人がほとんどですね。

実績を残された大御所の方は人から教えを請うのは、なかなか難しいと思われる方もいると思うんですよ。でも、A・Tさんは楽しそうに話されますね…。

A・T だって楽しいじゃないですか。知らない世界を知れるわけだし、新しい出会いがあったりするわけだし。

音楽を作ること、携わることが本当にお好きなんですね。

A・T 好きですねー。いや、音楽に限らず、何かを作り、生み出すこと自体が好きなのかもしれない。結局、若いころ、北海道から出てきて、当時は独学だけで音楽をやってたんですね。でも周りを見ると本格的なミュージシャンがいっぱいいるわけですよ。なのでクラシックにも通用する本格的なピアノを練習しようかなとか考えたんですが、憧れのYMOの方とか、それこそ大御所の方々に「今のままでいい。音楽を勉強しちゃったら、今のような尖(とが)った音楽は作れなくなっちゃうよ」って言われたんですね。それでも、ピアノうまくなりたいんです! って言ったら「その時は、スタジオにピアノうまい人呼べばいいじゃないか」って言われて。そりゃそうだなって思ったんですけど。(笑)

先ほど、ご自身の中に二面性がある、とおっしゃいました。ご自身がパフォーマンスされる時と、制作者として楽曲を提供する時と、やはり全然違うものですか。

A・T 違いますね。性格的にも前に、前にというタイプではないので、どちらかというと、やっぱり作る方が好きですね。…ただ、中学時代から歌ってはいるので、 自分の作品を一番うまくプレーしてくれるのは自分だとも思ってはいますね、はい。

なるほど…。最初にアーティストに依頼されて、曲を提供する際に、実際にその人と話して、その人のイメージを考えながら作られると思うのですが、実際に歌われるのを聞いて、イメージ通りだった時が一番うれしいのでしょうか。

A・T 最初のデモテープはね、(先方が)男性でも女性でも、まず僕が全部歌うんです。で、最初は、まずはこれを全部覚えてほしい。で、その後は、彼ら彼女たちが自分のものにして、どう化学変化を起こしてくれるのかが、楽しみになってきます。実際にスタジオで彼らが歌ってみて、どう変わるんだろうかという期待感はありますね。だいたい想像の範疇(はんちゅう)に 入る場合も多いんですけど、やっぱりこう、化学変化がいきなり起こることもありますから。そういう時はもう非常にうれしいですね。想像できるものじゃないものが出来る時はうれしいです。

なるほど。それではA・Tさんが曲を提供されてきた中で、一番ご自身の曲を想像を超えてプレーしてくれたアーティストは誰だったでしょう。

A・T うーん…。たくさんやらせていただいたので、一番、というのを決めるのはなかなか難しいですが、びっくりしたのは甲斐さんですね。

甲斐バンドの甲斐よしひろさん。

A・T そう。(曲の)イメージを超えられました。僕のアルバムに1曲入っていただいたんですが、甲斐さんが歌うパート、僕がハモるパートをいろいろアレンジして作ったんですが、実際、歌ってもらったら、もう甲斐節というか、甲斐さんの歌い方でしかダメなものに出来上がっちゃたんですね。それは驚きましたね。いいとか、ダメとかの問題を超越しているというか。ロックだから、ロックじゃないとかですらないんです。甲斐さんだから、というスゴいアーティストパワーを感じましたね。

(感動して)…はぁ…。

A・T なんていうんですかね。自分節というものを確立されてらっしゃる方は、結局、どんなものも、自分のモノにしちゃえるんだなって思いましたね。

なるほど…。逆に全く化学変化を起こさないアーティストさんもいらっしゃるわけですよね。

A・T そうですね。いい意味でも、悪い意味でも。でも悪い意味の時は予想通りなので、そうなった場合も対処法を考えながらやってるので意外と大丈夫だったりします。例えば、メインのボーカルの方が倍音が少なくあまり肉感的じゃない声の場合は、僕が自分の声でハモるよりも、ボコーダーやシンセで加工したら、逆に大成功したりとか。そういうことはいつも考えてますね。

いい曲だから、全ての人に合うわけじゃないんですね…。

A・T 当然ですね。だーから、難しい(苦笑)。例えば、DA PUMPの場合は本当に相性が良かったですね。最初、ISSAにデモテープ渡した時は「もうちょっと考えて、こんな感じで歌ってくれ」というのがあったんですが、彼はそこにどうしても自分が入る。ボーカルとしての癖というか。でも、それを出した時はもう彼のもの、なんですね。僕はそこは違うとは言わないですね。その時に、DA PUMP版の、m.c.A・T作、だけどDA PUMPの曲というものが完成するわけで。

非常に面白いです。これまで数えきれないアーティストの育成もされてきたA・Tさんですが、この先、日本のアーティストが世界に通用するためには何が一番必要だと思われますか。

A・T 遠い未来だとは思っていないんですね。まずは言葉の壁はあるかもしれない。仮に英語の上手な方だとしても、それは海外の方が日本に来て日本の歌を日本語で歌っているニュアンスだとは思うんです。だったらネーティブじゃなきゃいけないかというと、もう日本語でやってもいいと思うんですよ。僕は日本人だということをちゃんと言いたい。なんて言うんだろう…。媚(こ)びたくないんですね。日本の文化のまま体当たりしていいと思うんですよ。もちろんベーシックにある力、ミュージシャンとしての力量は、どこの国にいたとしても音楽人として必要だとは思います。でも、世界のモノマネをする必要なんてどこにもないわけですから。だってここ1~2年、アメリカを席巻してるブルーノ・マーズなんて、日本人と変わらない体形じゃないですか。ハワイ出身と聞いて親近感湧いたんですけど、アメリカ本土じゃない方が全米で、世界で大人気になってる。なので、音楽的な体力さえあれば、日本人だってできるんですよ。もっと自信を持っていいと思いますね。

それではA・Tさんご自身の今後の目標は。

A・T 自分は日本にまだラップという音楽のヒット曲がなかった時に、どうやったらお茶の間にラップというものが入っていけるのかなと考えてやってきた男なので。当初、m.c.A・Tのm. c. はマスターオブセレモニー、MCのm. c. だったんですね。でも、15年くらい前に、ラッパーのm. c. だけでなく、曲も作るし、詞も作る、歌も歌うということを考えると、ミュージックコンダクターということになるんじゃないか、というのが僕の結論だったんですね。音楽全体のコンダクトだと名前(の意味)を変えました。なのでこの先は、いかに自分の体と対決していくことか、ということですね。今年で25年目なんですけど、まだ同じキーで「Bomb A Head !」を歌ってるわけですから。踊りながらね。果たして、例えば、もう10年経って、還暦とかも超えちゃって、でも多分求められるものはそこなのかなと思うんですよ。例えば、ジェームス・ブラウンは来日のたびに、だんだんジャンプする高さが下がってきたけれども、しっかり踊ってくれたわけですから。そう考えると、パフォーマンスでも皆さんが思っているような僕でいたいなというところはありますね。

制作の方ではいかがでしょう。

A・T やっぱり、人には作ったことはあるんですけど、自分名義でバラードでヒット曲を出してみたいというのはありますね。ブラックミュージックのシンガーに、負けないくらいのバラードを作って歌ってみたい気はしますね。

最後に、ニューヨークに住む日本人にメッセージを頂けますか。

A・T 僕も何度も行ってる街ですし、友達も多く住んでいますけど、なんていうのかな…どのジャンルであれ、これだ!と思える自分になれたら、一度、日本に帰ってきて自分の力を試してみてもいいと思うんですよ。逆にニューヨークでは通用しても、日本で通用しない場合もあるんですよね。なので、それを体感しに1回、戻ってきてもいいかもしれないと思いますね。

 

★ インタビューの舞台裏 → https://ameblo.jp/matenrounikki/entry-12327949524.html

 

m.c.A・T(エムシーエーティー)
職業:ミュージシャン、音楽プロデューサー

1961年生まれ。北海道札幌市出身。1988年、久保田利伸・AMAZONS・GWINKO・バブルガムブラザーズらと共に「NEW BLOOD」に参加、音楽プロデュース活動を開始。93年、m.c.A・Tとして『Bomb A Head!』でデビュー、30万枚を越えるスマッシュヒットとなる。その後も、『Oh! My Precious!』『SUPER HAPPY』とヒット曲を連発。97年には、ヒップホップダンスボーカルユニットDA PUMPの『Feelin’ Good 〜It’s PARADISE〜』を手掛け、音楽プロデューサーとしての活動の場を広げる。現在も自身のアーティスト活動のほか、作詞・作曲・編曲・プロデュースなど多岐に渡る音楽活動を精力的に続けている。公式サイト:http://avex.jp/mcat/index.html

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2017年11月11日号発行)

Share.