目の前で起こった震災を自分たちの目で見てきたそこからやるべきことが見えてきた
「ガチ!」BOUT.134
仙台を拠点に活動するバンド、MONKEY MAJIK。東日本大震災では自らも被災しつつも、それ以降音楽を通じて復興支援をするプロジェクト「SEND愛」を立ち上げる。先月には「盟友」でもある三味線奏者、吉田兄弟と共に北米チャリティーコンサートツアーも決行。ライブ翌日、ニューヨークの聴衆、兄弟とのコラボ、そして復興に対する思いを語ってもらった。
(聞き手・高橋克明)
吉田兄弟とコラボで北米ツアー
ニューヨークでの初ライブを終えて今のお気持ちはいかがですか。
DICK ミュージックシーンの中ではすごく存在感のある街なので、「オレ、今、ニューヨークでやってる!」って思いながら楽しめましたね(笑)。いざ始まったら日本以上に盛り上がってくれて、スグにでもまたここでやりたいな、って思いました。
Maynard もぉう、期待以上ですね。ウェブスター・ホールでソールドアウトって夢にも思ってなかった。12年前から考えると日本でもイメージなかったのに、それをたくさんのミックスなオーディエンスの前でね。みんな一緒に日本語で、英語で歌ってくれて、ホントに気持ち良かった。ホント感謝してマス。
Blaise 日本でライブする時は、みんな日本語の(歌詞の)部分はすごく上手に(一緒に)歌ってくれるけど、英語の部分は♪んー、んー、んー♪って(笑)。そんなに強く(こっちに)聴こえないから。昨日はね、みんな英語も上手で、上手すぎて感動しました。(笑)
日本だと英語の部分は一緒に歌ってくれないんですか。
Blaise (こっちと)比べればね。英語は静かになって、日本語になったら急にワーって。♪旅立つけれど、ンー、ンー、ンー、ンー♪って。(笑)
tax 昨日は真逆だったね。
一同 ♪ン、ン、ン、ンンン、looking in the rear view mirror ♪。(笑)
(笑)。本番では隣のライブハウスからガンガン音が漏れてましたよね(笑)。日本ではありえない環境にやりづらさはなかったですか。
Maynard 特にデスメタルだったからね。(笑)
tax そういった意味でも今回のライブではいろんなことを学ばせてもらえましたね(笑)。でも、それだけ音楽を愛してる街なんだなって感じました。それにうちはバンドだからあの音よりデカイ音を出せばいいだけだけど…。
DICK (共演した吉田兄弟の)三味線はきついよなー。
Maynard 三味線はダイナミックな音もあるけど、静かな音もあるからねー。
ただ、先ほどお話聞いた兄弟は「僕たちは平気だったけど4人は動揺してた」みたいなこと言ってましたが(笑)。バラすようですけど。(笑)
tax 確かに(昨夜のライブハウス自体)建てられた時代が違うサウンドシステムだったので、システム上、音が合いにくいから、ある意味(バンドである限り)兄弟よりやりづらい部分もあったかもしれないですね。でも、それもリハの時くらいまでで、実際ライブがスタートしたら、全く気にならないくらい、みんなすごく盛り上がってくれたので。
Maynard もう自分の声が聴こえないくらい(笑)。いや、ホントに分かんなかったもん、今、自分がどこ演奏してるか。(笑)
Blaise 歌ってる自分の声より、お客さんの声の方がデカくて(笑)。ドラムもギターも聴こえない。みんな興奮しすぎて、ノリまくろーぜって。すごい嬉しかった。
Maynard 日本の何千人のホールだと、盛り上がってても、やっぱり距離あるんですよ。昨日みたいにあんなに近い距離だと、演奏してる僕たちにすごく伝わってきますね。VIPライブのよう(笑)。(それは)僕たちにしても、すごくうれしいこと。すごく楽しいこと。
DICK でも懐かしかった部分もあるんだよね。あれくらいの(サイズの)ホールでやると。なんか懐かしいなあって。
吉田兄弟とのコラボレーションはいかがでしたか。
Blaise 彼らと一緒にやるのは、僕たちにとってもすごいスペシャルイベントなんですね。一番楽しいライブは吉田兄弟(とのライブ)ですよ。だからね、ちょっとね、今回、初のニューヨークライブなんで、お客さんにも、すごくスペシャルなライブを見せたくて、すごい、すごい、楽しい…なんていうのかな、It’s amazing feeling for us to perform with Yoshida Brothers. So they got us really special a side of MONKEY MAJIK ! ね。
DICK 日本でも貴重なんですよ。一緒にやるのは年に1回もないくらい。
彼らにオファーした理由はなんでしょう。
Maynard 単純に彼らのファンでしたよ。コラボレーションシリーズを考えた時に、最初に浮かんだアーティストが彼らでした。でも彼らは忙しいから無理だろうと思ってたんですね。で、ニューヨークとLAの合間に一日だけ日本に帰ってくるよって聞いて、その日にご一緒して。初対面で、すぐに友達になって、そこからメール交換して。すぐに“フレンズ”になりましたね。
三味線とロックの融合は新鮮でした。
Maynard 三味線って、最初ヒップポップに合いそうって思ったのね。でも、そうじゃなくて、あえて、ロックで合わそうぜ! って。1回目の音合わせで「あ! いいね」って。お互いがバック・グラウンド・ミュージックとしてやりたくないし、お互いがメーンとしてフィーチャーしたい。そうじゃなかったら、一緒にやる意味がないねって。考え方がすごく僕たちと似てる。イメージを聞いてもらったら「いいじゃん、いいじゃん、いいじゃんっ」って(笑)。一発で決まったもんね。
今回は「SEND愛」という「震災復興支援」のチャリティーイベントだったわけですが、東北を拠点に活動している4人は被災者側でもあったわけですよね。
DICK (震災の)その直後って当然バンドなんてやってる場合じゃないというか、生活することだけでいっぱいいっぱいだったんですよね。皆さん、水も電気もないって状況がもう何カ月って続いたんで。でもそんな苦しい日常の中で、人にはそれぞれやるべきことがあるってことが見えてくるわけですよ。自分たちが本来やるべきことは音楽を通して心の癒やしを与えることはもちろんだけど、直接的な金銭面での支援もできるんじゃないかなって。
tax 僕たちは自分たちの目で起こったこと全てを見てるんで。「SEND愛」ってものを立ち上げることによって、そこに賛同しているアーティストやスタッフやたくさんの人たちに支えてもらって、たくさんのお金を集めて、被災者の人たちに渡したいって、思ったんですね。音楽を通して直接的な支援をしたいって。
なるほど。最後に4人それぞれにニューヨークの印象をお聞きしたいのですが。
tax まだ、こうニューヨークのニューヨークらしい場所あんま行けてないんで、テレビや映画で見たニューヨークをこれからちょっと見ていきたいですね。
Maynard ニューヨーク=ニューヨーク“ピープル”かなぁと。ニューヨークの人たちってほんとキャラクターユニークで、親しみやすくって、ちょっとエキサイティングな部分もあって。ただ街自体は大きくなればなるほど、どこも似てくると思うんですよ。東京も、香港も…。でもニューヨークの人たちはどこの人たちとも似てない。ニューヨークにはニューヨークのプライドがあって。すごく印象深くて大好きです。
Blaise 一番好きな場所。どこ行ってもカッコいいですよね。どこでもいい写真、撮れる。面白いのはね、例えば、バーやパブ行くと、すぐ隣もカッコいいバー。なんていうの、ライブハウスの隣もカッコいいライブハウス。次の店も、次の店も。すごい面白いし、すごい好き。バラエティーが多くて最高ですね。どこ行っても遊べる(笑)。日本だと次の店に行くのにタクシー乗んなきゃいけない。
ということは、東京よりニューヨークの方が好きってことですね。(笑)
Blaise いや、そういうわけじゃ…。(笑)
tax 誘導尋問じゃん、それ!(笑)
Maynard どこより好きって答えちゃマズイ。(笑)
分かりました(笑)。では、DICKさん、仙台と東京とニューヨークとトロント、どこが一番好きですか。
一同 (笑)
DICK いや、いや、でもね、どこも好きですよ。ほんと、ほんと(笑)。いろいろな都市でやらせていただいても基本、僕ら田舎モノなんで。仙台でもちょっと郊外の心休める場所で生活してるんで。仕事の時に大きな街に行くのはどこであっても刺激を受けます。で、また田舎にその気持ちを持って帰って、興奮を忘れないまま作品に落としていくっていう。
ということは皆さん、またニューヨークに戻ってきていただけますね。
Maynard もちろん!
tax また来ます。
DICK 必ず。
Blaise 絶対ね!
MONKEY MAJIK カナダ出身のMaynard(ボーカル&ギター)、Blaise(同)兄弟と日本人のリズム隊tax(ドラム)、DICK(ベース)からなるハイブリッドバンド。2000年に結成し、今もなお仙台を拠点に活動している。00年フジテレビ系ドラマ「西遊記」の主題歌「Around The World」(セカンドシングル)が爆発的ヒットを記録。結成10周年となる10年にはベストアルバムを、11年にはアルバム「westview」をリリース。同年東日本大震災後は〝SEND 愛〟プロジェクトを立ち上げチャリティーイベントを実施。「東北観光親善大使」「震災復興支援活動アーティスト」としての顔も持ち、活躍している。公式サイト:www.monkeymajik.com/
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2012年12月8日号掲載)