【独占インタビュー】村本大輔

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BOUT. 323

芸人 村本大輔に聞く

単身ニューヨークで、コメディーシーンに挑戦

面白い奴だと認識させていく作業が楽しい

コメディーって安定よりも不安定で、ちょっとアート

「THE MANZAI」「NHK上方漫才コンテスト」など、数々のお笑いコンテストで優勝。お笑い芸人として輝かしい実績を持つウーマンラッシュアワーの村本大輔さん。今年初め、単身ニューヨークにやってきた。英語でスタンダップコメディアンとしてニューヨークのステージに立つため。なぜ米国だったのか。なぜスタンダップコメディーだったのか。名声を捨て新たな挑戦に臨む村本さんにお話を伺った。 (聞き手・高橋克明)

渡米して3カ月経ちました。ニューヨーク生活はいかがですか。

村本 正直…ホームシックの波が今ごろ…(笑)。だからといって日本人ばかりと遊んでいると言葉を全然覚えられないし。コメディークラブ(の出演)がない日で、学校もない日は、1日中カフェでネタを考えて、何も思いつかなくて、家帰ってー…ただ単に何もないまま、「あっ、もう(外が)暗くなってる」みたいな…。何かね、チャンスの神様の後ろ髪をつかむ、みたいな言葉あるじゃないですか。神様、ウサイン・ボルトくらい早いんですよ。

あははは。

村本 常にブーンって。あ、また何もしないまま夜になった!って。え? もう月曜日? 何もない1週間だった、みたいな。

焦りの日もある、と。

村本 キツイことは多いですね。毎週火、木、土とコメディークラブのオープンマイクがあるんですけれど、出番は5分なんです。1日24時間のうちの5分ですよ。それまで日中ネタを作って、ネタを覚えて、毎日毎日。その夜の5分に現れて、バーンと笑いをとった瞬間に自分がすっとそこに存在する。その瞬間にね、俺は芸人として存在するんだって。笑い声があってそこにいる。その5分のために生きるている、みたいな。

しびれますね。

村本 でも、それ以外は地味。ずっと独りで生活してブツブツネタを考えてるだけですから。誰とも目が合わないし、ホームレスの人だけが ” Give me money. ” って言ってくるぐらいのもんで。透明人間みたいな。

わははは。日本の街を歩いている時はサインください!と言われ、こっちだと5ドルくれ!と言われる。

村本 この街では何者でもないし、舞台でもアジア人(である僕が)上がった瞬間、急に席を立って帰る客もいますから。そんな時は、日本だと、ちょっとは名前を知ってもらっているわけだから、観てはもらえるんだろうなぁくらいは考えます。

日本とは、入り口からすべてが違うわけですね。

村本 こっちはもう「退屈な、カタコトの奴(やつ)が出てきた」からスタートなので。それだけならまだしも、なにかかわいそうな奴、みたいな目で見られたり。(笑)

まず言葉の壁が大変ですよね。

村本 お店に行った際も、パクチーいらないって何回言ってもパクチー入れられたり。(メニューの)写真見せ(て説明し)たら、僕は負けと思ってるんで。言語の諦めだと思ってるんで。写真に頼らず「No, cilantro、No,cilantro、No,cilantro」…。これをずっと言い続けて、やっと「OK」って言ってもらえたのに、やっぱり入ってて。何を言ったところで、向こうはOK、OKって言いますから。それで(パクチーは)入ってますから。

(笑)。僕も、四半世紀この街で暮らしてますが、cilantroは本当に通じにくいです。

村本 あー、やっぱり…あと24年以上、パクチー入れられ続けるのか…キツイなそりゃ。でも、そんな僕がステージで最後にバーンってウケて、みんなが「いや、君が一番面白かったよ」って言われた時はヤバイくらいうれしいですね。

日本でウケた時以上にうれしいですか。

村本 そりゃあ、もう何倍も……、ま、全くウケないまま、終わる日も多々ありますが(笑)。でも、誰も知らないところからのスタートで、面白い奴だと認識させていく作業は…やっぱ楽しいっすよね。

無名の若手時代から有名になっていく作業に似ていますか

村本 僕、福井県のすごい田舎の生まれで、そこから大阪の吉本(興業ホールディングス)行ったわけじゃないですか。福井の奴だと面白くねえだろうっていう関西人(の先入観)と戦ってきて、今もアジア人のジョークなんてって(偏見)のと戦ってる。一緒ちゃあ、一緒ですね。

ニューヨークのコメディアンたちとセッションをする村本大輔さん

ニューヨークのコメディアンたちとセッションをする村本大輔さん

村本さんの芸歴はずっと戦ってきた歴史、ですね。

村本 そうかもしれないですね、そうですね。今もまさに戦ってます(笑)。ウケたら平等に仲間ができる。こっちは(舞台が)終わった時の反応が分かりやすいで。この間も、コメディークラブに売り込みに行って、ここに出たいんですけどって言ったら、マネジャーに「いやいや、まあ、お前の腕見てからな、、今はちょっと忙しいから…」みたいな感じで、他の芸人も含め、全員あしらわれたんですよ。

はい。

村本 で「ザ・スタンド(THE STAND)」って有名なコメディークラブがあって、そこに出してもらった時にですね、俺をあしらったマネジャーがその日の大トリ、最後の出番で出たんすよ。で、たまたま僕の出番を見て、終わった後「Hilarious !(笑える!)」っていって、「おまえ、26日空いてるか!? 10時からショーがあるんだけど出てくれないか」って言われて、10分の出番もらったんですよ。

ガッツポーズですね!

村本 そう! ネタでアジア人を超えていく…っていうか。こいつはアジア人の前に、面白い奴だって思わせたい。

日米間でのお笑いの違いって何でしょう。

村本 まず観客が違いますね。例えば、こっちだと時事ネタ、イスラエルやパレスチナのこと、ちょっとイジったりする芸人がいるとするじゃないですか。そしたら、客席にいたおじさんと若い女の子が「おまえは今すぐマイクを置いて出てけ」って怒鳴るんですよ。芸人もすごい言い返すんですけど、こんなお客さん、日本ではおらんなって思って。

いないですね。(笑)

村本 ねえ。いたとしても、後でツイッター(現X)で「とても不快でした」。

(笑)! 何百回も聞かれた質問だと思いますが、売れっ子芸人だった村本さんが、すべて捨ててまで、なぜゼロから挑戦したのでしょう。

村本 うーーーん………(熟考)…やっぱり…、僕はコメディアンなので。ネタを作りたい。ネタで笑わせたい。日本だと…なんて言うんすかね。ネタで勝負っていうより…みんな30(歳)、40(歳)、年とっていっていくと、笑いを取るための安定の技術の話になってくるんですね。

なるほど。

村本 僕が面白くなれたのは、多分、環境を変え続けてきたからだと思うんです。福井から大阪に出て、そこで初めて出会ったキングコングだったり、南海キャンディーズ山里だったり、千鳥さんだったり…いろんな芸人のスタイルを見て(磨かれていった)。で、それから東京に行ったら、例えばダウンタウン松本さんとか、(明石家)さんまさんとかの中でスタイルを勉強させてもらった。やっぱり同じ場所にとどまっていくと、センスや中身よりも技術ばかりに走ってしまうんです。うまく笑いをとる、みたいな。東京にずっとこのままいたら「技術の安定」を目指すようになってしまうと思ったんです。「ベテランなると安定して見てられる」とか言うじゃないですか。じゃなくて、僕はコメディーって、安定よりも不安定で、ちょっとアートだとも思ってるんですね。

安定よりも挑戦を選ばれた。

村本 現状キープって、絶対下に落ちてくと思うんすよね。常に上がっていかないと、常に同じ場所から出ないとダメになると思う。若手時代のルミネtheよしもと(吉本の劇場)にずっと出演し続ける芸人はいないです。やっぱり、みんなどっかで新しい所に行かないと。そもそもが僕自身が、高校もやめて芸人の世界に飛び込んできた。安心に飛び込むっていうよりも、不安に飛び込んで、そこから安心を手に入れてきた。常に回転して、常に飛び込んでいく。安定のために芸人になる奴なんていないじゃないすか。

今はいるかもしれないです。(笑)

村本 確かに(笑)。でもね、無名だった時に劇場で、当時、M1を獲ったばかりのチュートリアルさんやブラックマヨネーズさんが舞台に立つと客席がキャーってなってたんですよ。で、僕らウーマンラッシュアワーが登場してもシーンとなる。その状況からスタートして、彼らよりも笑いをとった時の喜びっていうのはね……うん、今の感じに近いかも分かんないですね。無名のオレが英語でバーンって笑いを取る。みんな集まってきて「君が面白かったよ」とかって言われて。で、「いや、もっとやばい奴、アメリカにいっぱいいるぜ」とかって言われたら、「おー、じゃ、次どんなネタ作ろうかな」みたいになるじゃないですか…。たまんないです。だって文化も違うし、言葉も違うし、肌の色も違う人たちが僕のジョークで同じところで笑ったりするのってなんかちょっと感動モノでしょ。

安定だけでは手に入らない、それこそ、芸人ならではのカタルシスですね。

村本 結局、言葉の速さとかうまさとかよりも納得いくネタ作れたらいいな、と思います。いい芸歴の良い時間の重ね方をしたい。社会っていう土があって、その土からいろんなものを吸収して、僕は40(歳)には40(歳)の会話、50(歳)には50(歳)のジョークってあると思うんですね。自分がこのアメリカの大地に根っこ生やして吸収した時の自分のネタっていうのがちゃんと存在する。「あっ、俺はいい時間の使い方してたな」というネタをやりたいっすね。

村本さん、今…すごく楽しそうですね。

村本 うん……楽しいですね。ネタ作って、ネタ考えて、これが芸人なんだなって。実際にこっちに来ないと分からない感覚だったかもしれないです。結局、自分次第なんですよ、すべて。1人で銀行行ってみて、全然伝わらずに泣きながら帰ったことも、何回言ってもパクチー入れられることも。

(笑)! 最後に在米の読者に向かって何かメッセージをお願いします。

村本 なんかね、大阪にいる時、当時30歳くらいだったんですけど、先輩に「お前、ええなぁ、東京行くんか。俺はもう、この年やからな」って言われたんですよ。そういう人って、一生そういうこと言いながら、やらない理由をずっと作り続けるんですよね。「石橋叩くだけ叩いて、まあ明日もう1回叩いてみよ」って、結局渡らないまま。今回も「英語も分からないのに大丈夫?」って言われまくったんですけど、別にお母さんのおなかの中で日本語学校を通ってから出てきたわけじゃないですもんね。大人になればなるほど、不安の要素ばっかり探してしまう。ニュース見て、やれアジアンヘイトだ、やれ円安だ、やれコロナが終わってから…次は、年取ってるから、子供が大きくなってるから……そう言い続けて、動かないまま死んでいく。多分その人も若い時には「わーっ」と飛び込んだ時ってあると思うんですよ。あの時の自分が、今の自分を見たらすごく悲しい顔をしてるんじゃないかな。飛び込んでみたら、何とかなるって思うんです。僕、福井出た時も、大阪出た時も、今回、日本を出た時も後悔なんか1個もしないですもんね。お母さんの中からこの世界に冒険しに飛び出てきたから、これからもどんどん冒険して、ドキドキしていきたいです。うん、ドキドキすることは、いいっすよ。

ニューヨークのコメディークラブでステージに立つ村本さん

ニューヨークのコメディークラブでステージに立つ村本さん

村本大輔(むらもと・だいすけ) 職業:芸人
福井県おおい町出身。2008年に中川パラダイスとお笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーを結成。漫才コンクール、NHK上方漫才コンテスト、THE MANZAIなどで優勝。AbemaTVのMCとして、ニュース報道に関わったことをきっかけに、政治・社会問題を取り上げた漫才をする。しかし”政治的発言”をタブー視して避けようとするテレビ局の姿勢に疑問を持ち自由な表現の活動を求め、漫才からスタイルをスタンダップコメディに変え、スタンドアップコメディの本場アメリカへ渡ることを決意し2024年2月からニューヨークで活動中。

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ライブ情報

NYでのライブ情報は各種SNSで発信
X:@WRHMURAMOTO
Instagram:
@comediandaisuke
@muramotodaisuke1125
メルマガ:https://shorturl.at/23ldq

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ドキュメンタリー映画『アイアム・ア・コメディアン』テレビから、消えた男。

アイアム・ア・コメディアン

過激な発言をきっかけに炎上し、テレビから消えたウーマンラッシュアワー村本大輔。世間から忘れ去られた芸人の真実に新鋭ドキュメンタリスト日向史有が迫った3年間の記録。『アイアム・ア・コメディアン』の公式Xは(@IAM_A_COMEDIAN)。7月6日(土)からユーロスペース他で全国順次公開。
配給:SPACE SHOWER FILMS
公式サイト:https://iamacomedian.jp

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〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「ニューヨーク Biz!」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、1000人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

2024年7月6日号掲載)

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