若田光一

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地球を俯瞰で見るとそのかけがえのなさを感じます

「ガチ!」BOUT.198

 

若田光一

 

宇宙滞在期間347日と8時間―。日本人最長の記録を持ち、日本人初の国際宇宙ステーション(ISS)船長の実績を持つ宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙飛行士の若田光一さん。過去4度にもわたる宇宙での滞在を経て、2014年5月に帰還した後は、世界中での講演会や若手の宇宙飛行士の育成など多忙を極めている。ニューヨーク日本商工会議所主催のアニュアルディナー出席のため、ニューヨークを訪れた際に、お話を伺った。 (聞き手・高橋克明)

 

NY日本商工会議所のアニュアルディナーに出席

朝早く、スミマセン…。

若田 いえいえ、とんでもないです。昨日、日本から着いて、時差ボケはありますけど、もうだいぶ、はい。(にっこり)

宇宙にいた時よりも多忙な感じで…。

若田 (笑)。そうですねえ。日本への出張は多いですね。(ヒューストン在勤なので)今日、またヒューストンに戻りますけれど。

今日ですか! ニューヨーク滞在24時間! 5月に宇宙より帰還されてずっとそんな感じですか。

若田 そうですね。国際宇宙ステーション(ISS)計画関係者への技術的な報告会や、一般の方々への報告会などがありまして。今回、日本に3週間出張しましたが、北海道、富山、沖縄でも帰還報告会をさせていただきました。

…大変ですね…。

若田 多くの方が興味を持って宇宙の話を聞いてくださるので、感謝しています。(にっこり)

宇宙の話だけでなく、子供のころからの夢を実現された方のお話としても皆さん聞かれたいんだと思います。宇宙飛行士という職業は本当に幼少のころからの夢だったとのことですが。

若田 そうですね。私が5歳の時にアポロ11号が月面着陸をして、アームストロングさんとオルドリンさんの2名の宇宙飛行士が人類として初めて月に降り立ったわけですけれども、その時、確かに宇宙飛行への憧れを強く感じました。人間はこんなすごいこともできるんだって。当時、有人宇宙飛行を行っていたのはアメリカとソ連の人たちだけで、自分の知らない言葉をしゃべってる人たちだったこともあり、幼心にも宇宙に行くということが日本人の自分にとって、手の届かない所にある夢のように感じていたように覚えています。

普通の子供が感じることとその時点では大差はなかったんですね。

若田 そうですね。宇宙に行くことは当時の私にとって憧れに過ぎなかったのだと思います。私は生まれは埼玉ですけど、両親が九州の出身だったので、たまに帰省で飛行機に乗ることがあったのですが、そこですごく飛行機に興味を持ち始めて。金属の塊が空を飛ぶのを見て、実際にああいうものを作って飛ばしてみたいなぁと。そこからは飛行機を作ったり飛ばしたりしたいということが私の具体的な目標になりましたね。飛行機の技術者になるための勉強をしようと思ったんです。大学でも航空工学の勉強をして、航空会社の整備技術者として仕事をしていました。その時に新聞に掲載されていた(宇宙開発事業団=NASDA、現JAXA=の)宇宙飛行士の募集を見つけ、5歳のころの宇宙への憧れがよみがえってきたんですね。それで応募してみたら、約9カ月間に渡っていろいろな選抜試験がありましたけれど、幸運なことにこの仕事に就けた。だから、航空機の技術者になるために学んだことや、実際に航空機の技術者として経験したことの延長線上に宇宙飛行士としての仕事が拓(ひら)けたのだと思います。

実際に渡米されたのはおいくつの時ですか。

若田 当時の宇宙開発事業団にISSの「きぼう」日本実験棟組み立て・運用のための宇宙飛行士候補者として1992年6月に採用され、その7月にNASA(米航空宇宙局)の訓練コースに参加するためにヒューストンに派遣されたのが28歳の時ですね。8月から宇宙飛行士候補者としての訓練を始めました。

その道程で挫折しそうになったこともあると思うのですが。

若田 挫折はいろんな局面でありましたね。この仕事に就く前から、例えば勉強だって志望校に入れなかったり、例えば私は高校時代、野球をやってまして、キャッチャーだったんですけれども、日々一生懸命練習をしてもレギュラーになれなかったり。やっぱり自分の限界を感じたことは結構ありましたね。でも、チームが勝てればいい、チームの一員として勝利に貢献するために自分のできることをすればよいと考えるようにしましたね。

宇宙飛行士としての現場でもくじけそうになったことは…。

若田 いっぱいありますよ。まず最初にNASAでの訓練を始めたころはネーティブの人の話す英語が聞き取れませんでした。92年に宇宙飛行士候補者として選ばれて、スペースシャトルのミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)としての訓練を始めたころのことです。スペースシャトルの打ち上げや着陸時の運用は、一瞬の判断を誤ると、シャトルが操縦不能になるようなこともあるんですね。模擬装置による訓練時には操縦室の4人のうち私以外は全員がアメリカのテストパイロット出身の宇宙飛行士だったこともありましたが、クルーの間の会話を100%理解していないと、どのコンピューターが、今どういう状態で、どのエンジンがどう壊れてるか、といった各システムの状況の全体を把握できずに、私のミスでシャトルが墜落してしまうこともありました。つまり、一刻を争う適切な操作が要求される緊迫した運用では、会話が理解できていない乗組員は直ちにその場で「戦力外」の状態になってしまうわけです。訓練を始めたころは英語で本当に苦労しました。どんなに一生懸命マニュアルを読んで、予習して、シムテムを理解して模擬訓練に臨んでも、訓練中、教官やクルーの仲間が何を言ってるのか聞き取れないことが結構ありました。それはつらかったですね。

具体的にどう対処されたのでしょう。

若田 航空機操縦訓練時のコックピットの会話を全部録音して、リスニング能力を高めるために、出勤中に車を運転しながら録音を聞いたりとか、試行錯誤をしながら努力しました。それが最も効果的なやり方かどうかは分からないですよ。訓練時の会話を録音して後で繰り返し聞くことをしてなんとか克服しました。もちろん専門的にはもっと効率的な方法もあったかもしれません。だけど、何かをやるということが大切なんだと思うんです。やっぱり…何か壁にぶち当たって、それを乗り越えようと努力している時が、恐らく人間が一番向上してる瞬間だと思うんです。挫折して、つらいんだけど、頑張ってる時が一番伸びてる時だと思うので、その時にベストだと判断した方法で問題解決のための対策を講じて前に進んでいけばよいのではないかと思います。

なるほど。実際に、宇宙に行かれて、現場で一番印象に残ったことは何でしょう。

若田 これまでスペースシャトルの短期フライトで2回。5年前は4カ月半のISS長期滞在。今回は6カ月をちょっと超えた期間でしたが、閉鎖環境のISS中での長期滞在は精神面でもしんどい時があります。1週間くらいの宇宙飛行ですと、短い海外旅行に行ってる感じであっという間なんですよ。それが半年になると海外への駐在員みたいな感じでホームシックになることもあります。長期滞在していると、「仕事場は宇宙」っていう感じになります。

職場:宇宙。(笑)

若田 ISS内は温度や湿度も快適に保たれていて落ち着いて作業ができますが、閉鎖環境の中で、3人ないし、6人のチームが世界各国の地上管制局とも常にしっかりコミュニケーションをとりながら何カ月にもわたって作業をしていかなければなりません。ISSの中ではクルー同士が顔合わせる時間が多いので円滑なコミュニケーションを維持するのは難しくはありませんが、訓練時に会ったこともない地上管制局のチームとの連携が大変な時もあります。これは宇宙での仕事に限ったことではありませんが、お互いの相手への思いやりが度を過ぎてしまい、結局円滑な意思疎通を妨げていたとか、仕事が効率的に進まなかったということもありました。世界15カ国が協力して進めているISSという国際プロジェクトの成功のためには、いかに円滑にチーム間のコミュニケーションを図り、そして率直に意見交換ができるチーム間の信頼関係を常に維持していくかということが重要かを実感しましたね。

ISSはどれくらいの大きさなんでしょうか。

若田 ISS全体の大きさはサッカー場がすっぽり入ってしまうくらいの広さで、クルーが生活する与圧部分の容積は、大型旅客機の1・5倍くらいあるので結構広いんですよ。ですから、ISSの中が狭いなぁって思ったことはありませんでした。ISSを維持していく上で宇宙飛行士だけでできる仕事は実はかなり少ないんです。ISSの姿勢制御や環境制御などの各システムは、ほとんどが地上管制局がコントロールしています。実験も地上からの支援を受けながら作業を行うことがほとんどです。アメリカだとヒューストン。日本だと、つくば。ドイツはミュンヘン。ロシアはモスクワに地上管制局があります。ISSのシステムの維持や実験運用などのミッションを成功させるためには地上管制局とのコミュニケーションが非常に重要です。

しかも、それが6カ月以上…。宇宙で感じる6カ月と地上で感じる6カ月と体内時計はまた違うものなんでしょうか。

若田 ISSの軌道上運用ではグリニッジ世界標準時(GMT)を使用しています。ISSは一日に地球の回りを16周します。つまり、一日に夜明けと夕暮れが16回あるんですね。人間が感じる時間についてはちょうど先日、1999年に芥川賞を受賞なさった作家の平野啓一郎さんとお話する機会がありました。時間ってフェアですよねって。誰に対しても同じ速さで進んでくれますから。でもわれわれにとって重要なのは、時計のように物理的な時間の進み方ではなくて、その人本人にとってどういう速度で進んでいると感じられるかではないかと。これは宇宙でも地上でも同じですが、やりがいを感じながら仕事をしたり、楽しく充実していると感じながら生活していると、あっという間に時間は経(た)ちますが、何もやることがなかったりすると、時間が経つのは遅いですよね。風邪をひいて寝てる時って時間が経つのが遅く感じるように、その時々に、それぞれの人たちがどういう心境で、何をしているかによって主観的な時間の経ち方は大きく変わってくると思います。いわゆる体内時計もそれに近いものがあると思います。ISSでも仕事が忙しい時は、時間がものすごく早く経つ感じがしますし、逆に仕事が少ない日には、今日はゆっくり時が経つなあと明らかに感じます。5年前にISSに4カ月半長期滞在した時、最初の2カ月半は米露の仲間と私の3人だけで軌道上での作業を行っていました。その時は毎日が慌ただしく、寝ている時間以外はずっと仕事してるような感じでしたが、あっという間に時が過ぎ去り、2カ月半という時間があたかも2週間位しか経っていないような錯覚にも陥りました。それがISS滞在の後半から6人体制に変わりました。掃除や搭載品の在庫管理などの作業を3人でなく、6人で分担できるようになってから時間に余裕が生まれたので、時間が経つのがかなり遅く感じられました(笑)。宇宙でも仕事の忙しさによって体感する時間の進み方っていうのは変わると実感しましたね。

地上と変わらないですね。

若田光一若田 ええ。ISSの飛ぶ軌道上で、私たちが体感できる宇宙の特殊な環境というのは、物がふわふわ浮いてしまう、微小重力です。あとは地上でも体感できる環境です。ISSでのもう一つ特殊な環境としては閉鎖環境があげられると思います。それは南極観測隊の方や潜水艦の搭乗員の方も同じように経験されているものだと思いますね。

多くの人に宇宙から、この美しい地球を眺めてもらいたい

すごく面白いです。それでは地球を外から見た感想はいかがでしょう。見る前と見た後では人生観は変わりましたか。

若田 私たちが宇宙へ行くのは、宇宙を利用して地上の生活をより豊かにし、人類の活動領域を新たなフロンティアである宇宙空間に広げていくための仕事だと思います。高度400キロメートルの軌道上にあるISSから見る地球は、暗黒の宇宙に浮かぶ青いオアシスのような美しさです。地球を俯瞰(ふかん)できる軌道上から見ると、故郷の惑星、地球の存在がいかにちっぽけなものかと感じると同時に、そのかけがえのない地球の環境を守っていかなければならないことを強く感じます。もっともっと多くの方々に、宇宙に行ってもらって、この美しい地球を眺めてもらいたいなあと思いますね。

…いいですね…。(うっとり)

若田 いいですよ…。(にっこり)

実際、民間人が宇宙に行けるツアーも発表されてますが、現実的に私たち民間人が普通に行ける日も来るのでしょうか。

若田 今は超大金持ちじゃないと行けませんね。(あっさり)

ですよね。(がっかり)

若田 何十億も払って実際に宇宙に行ってる方はいます。例えば(英国の)サラ・ブライトマンという歌手も来年ISSに行く予定になってますし、私が宇宙に行った時も、元マイクロソフト社のエクセルというソフトを開発したチャールズ・シモニー氏が、数十億もの費用を支払ってロシアのソユーズでISSに来ています。宇宙旅行者としてISSを訪れた方は8人もいますよ。

でも数十億って庶民はまず無理ですね。

若田 1時間弱の短時間の飛行ではありますが、多くの皆さんが宇宙から青い地球を実際に見られる宇宙飛行にいける時代は、もうすぐのところに来ています。今のところ、まだ金額は高いですけど、豪華客船で世界一周するぐらいの費用で、宇宙から地球を見られる民間宇宙船の開発も最終段階に入っています。

少し希望が持てました(笑)。若田さんご自身はいかがでしょう。また宇宙に戻りたいというお気持ちはありますか。

若田 えぇ、それはいつでも。明日でも行きたいなと思いますし、これまでの4回のフライトでも毎回新しいことに挑戦することができたので、また新しい課題に向かって挑戦していきたいと思います。来年の6月から半年間、ISSに行く油井亀美也(ゆい きみや)宇宙飛行士やその1年後にISSに行く大西卓哉(おおにし たくや)宇宙飛行士の宇宙飛行の成功のための支援をすることが、今の私にとって、非常に重要なミッションです。油井宇宙飛行士は自衛隊のテストパイロット出身で、F15戦闘機のパイロットだった経験を持っています。大西宇宙飛行士も、民間の航空会社出身でボーイング767のパイロットだった人です。日本人でパイロット出身の飛行士の、しかも2回連続での宇宙飛行は初めてなんですね。金井宣茂(かない のりしげ)宇宙飛行士は、海上自衛隊の医師の出身で、彼もいつ宇宙に行ってもいい準備ができてるので、油井さん、大西さん、金井さんの3人の新人の宇宙飛行の支援を確実にしていきたいと思います。去年の11月からこの5月までのISS長期滞在飛行の後半でISSの船長、コマンダーを担当させてもらったのですが、それは私一人の力でできたことではなく、「きぼう」日本実験棟やISSに物資を運ぶ「こうのとり」(ISS補給機)、それから、「はやぶさ2」などを含め、日本が数々の宇宙ミッションを成功させてきており、宇宙開発・探査における日本の技術力への世界各国からの高い信頼があってはじめて実現できたと思います。日本から第2、第3のISS船長が誕生するように、私もこれまでの訓練や宇宙飛行の経験をフィードバックしながら支援していきたいと思ってます。

まだまだ道は続くってことですね。それでは最後に在米の日本人読者に向けてメッセージをお願いします。

若田 明確な目標を持って頑張ってもらいたいなと思います。具体的な目標を持つことで自ずとそこに到達するための道筋が分かってくると思います。その道は、曲がりくねっていて、目標実現に向けた最短の道ではないかもしれませんが、道筋が見えることが肝心だと思います。その中でやはり失敗することもあるとは思いますが、失敗を教訓として、次につなげてもらいたいと思います。壁にぶち当たって、努力している時、つらくて前進していないようにも感じる時が、実は、一番向上している時ではないかなと思います。昨日より今日、今日より明日という気持ちで一歩一歩努力して、夢を掴(つか)んでもらいたいです。ご自分の持つ輝く力に気付いていらっしゃらない方も多いのではないかと思います。ご自分の持つ力を分析して、それを目標につなげていくことを考えながら生活していくことで、夢がより大きく広がると思います。

若田光一

若田光一(わかた・こういち) 職業:宇宙飛行士
1963年8月、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。九州大大学院博士課程修了後、日本航空入社。成田整備工場点検整備部、技術部システム技術室にて機体構造技術を担当。国際宇宙ステーション(ISS)・「きぼう」日本実験棟の組立て・運用に備え、宇宙開発事業団(現JAXA)が募集した宇宙飛行士候補に選ばれる。同年8月、米国航空宇宙局(NASA)が実施する第14期宇宙飛行士訓練コース参加。96年に米スペースシャトルで初飛行し、2000年に日本人で初めて国際宇宙ステーション(ISS)建設に参加。09年3月に日本人初のISS長期滞在を行った。同年7月、「きぼう」日本実験棟の最後の組立ミッションである2J/A(STS-127)ミッションで「きぼう」船外実験プラットフォームを取り付け、「きぼう」を完成。約4カ月半の宇宙滞在を完了し、帰還。宇宙機構の宇宙飛行士グループ長、NASAのISS運用部門長などを歴任し、13年11月から自身2度目となるISS長期滞在ミッションに参加。14年3月から、5月に帰還するまでの約2カ月、船長を務めた。宇宙滞在は347日8時間33分で日本人最長。

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2015年1月1日号掲載)

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