「ヌーブラ」大きな試練も勉強に
社員には「売り上げにこだわるよりも、人間を売ってこい」
―粘着性のある素材を使い、通常のブラジャーにあるストラップやベルト、ホックといった要素をほぼ全て取り除いたことで「下着革命」とも言われるヌーブラを販売しているゴールドフラッグ社社長平久保氏にお話を伺った。
―「ヌーブラ」がヒットした理由は?
平久保社長 一番のポイントはやっぱり「楽」。アンダーを締め付けないし、肩がこらないんです。楽で、尚かつどんな洋服も選ばないんですよ。胸にペトッと張り付けて、ホックを止めることで胸を寄せることができ、すごく自然な感じで胸が起き上がる。軽くて、服に響かない。後ろが空いたもの、横が空いたもの何でも着ることができます。だから、ヌーブラによって、日本のファッションはガラッと変わったと思いますね。あと洗濯も楽ですしね。旅行にもこれ1本で大丈夫です。また、雑貨感覚で買える下着であるということも理由のひとつだと思います。日本ではソニープラザなど雑貨関係のお店でも置いておりますので、下着ショップに行く必要がなく、男性でも恥ずかしくなく買っていただくことができるのです。ヌーブラは日本では「下着革命」、つまり新たな21世紀の発明としてテレビの特別番組で取り上げられるほどにまでなりまして、今ではもう必需品として「老若男女」の「男」を除いて、みなさんつけていただけるようになっており、ヌーブラを知らない人がいないくらい成長しました。
―日本では御社を通さないとヌーブラは購入できないのですか?
もちろん。権利を獲得するのにとても努力いたしました。本拠地であるブラジェル社はシリコンを専門で作っている会社だったのですが、それを何かブラジャーとして使えないかと7年かけて一生懸命開発してできたのがこのヌーブラだったのです。当時は出たばかりで、これが本当に売れるかわからない状態だったのですが、それを見つけた弊社のNYスタッフが、これはすごく売れるかもしれないと6、7年前に日本に送ってきたのが(日本に紹介する)きっかけです。
―その時の最初の感覚はいかがでしたか?
当時は、モールドカップの全盛期で、モールドカップ自体を弊社でもずっと研究しておりました。そういった「見せる」ランジェリー感覚もありながらしっかり補正するという2つの要素をもつ下着を研究し続けていて、なかなかうまくできなくて悩んでいたところ、このヌーブラがやってきたんですよ。本当に稲妻のように、考え続けていたものの答えが突然やってきたようだったので、これに社運をかけて全力投球しようと思いましたね。
―現在の売り上げは?
ずっと上り調子です。今はずいぶん落ち着いていますが、年間30万本ずつ売れている状況です。偽物も出てきていますが、やっぱりブラジェル社が作っているものはクオリティーがファーストクラスです。リサイクルシリコンなどのまがい物は一切入っていないので、本当に純度がおそろしく高いシリコンです。医療用でも使われているくらいですからね。
―この5年間で一番苦労したことは?
何でもそうですけど、メガヒットというのはそれなりに大きく、光と影があるんです。見えない所の方の作業が本当に大変。色々な点でもめましたね。普通緩やかに上がっていけば、いろんな問題がさっと解けるのですが、急に上がるといろんなトラブルが出てきてそれを埋めないといけないんですよね。大きな試練がいくつもありましたが、すごくいい勉強になりましたよね。
―社長の経営方針、一番社員に伝えていることはなんですか?
手配り、気配り、心配り。とにかく気が利かないとダメね。結局、自分のことばっかり考えてその相手のことを考えて行動しない。人が今何を欲しているのかを察していくくらい余裕をもっていかないとね。今はものすごく市場原理主義といいますか、生産者中心主義というかプロダクティビティまたは効率化が一番になっていますが、これ以上要らないものを作っていくより、今一番大切なのは何かを考えて、人間として気持ちの通い合いみたいなものを弊社では大切にしていきたい。「売り上げにこだわるよりも、人間を売ってこい」と社員には言っています。自分が世の中に何か還元できるように、提案できるように、自分の存在自体を認めてもらえるような存在になってこいと言っています。そうするとね結果は、自然に付いてくると思うのです。
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〈プロフィル〉平久保晃世(ひらくぼ あきよ) 1959年大阪市出身。短大卒業後、米国留学。帰国後、大阪・ミナミのランジェリー、ファンデーション店「リップル」に勤め、直ぐにカリスマフィッターとして店長に。91年、レディースファンデーション企画製造、輸入卸、販売会社「ゴールドフラッグ株式会社」を設立。2003年2月、ヌーブラを日本総代理店として販売。爆発的な売り上げを続けている。現在50人の社員を持ち、直営店を海外を含め7店舗出店。夫は米国在住の大学教授で自身も米国永住権を持つ。10歳の双子男児の母でもある。
(2008年9月19日号掲載)