〈企業トップインタビュー〉SEIKO Corporation of America 河田芳克社長

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0425-14men-L_seiko3「セイコーブティック ニューヨーク」が好調

NYでの成功、他都市への進出で重要な指針に

ニューヨークに旗艦店をオープンする日系メーカーは数々存在するが、昨年ニューヨークで最も話題となった店舗の一つが日本を代表する時計メーカーSEIKOがオープンした旗艦店「セイコーブティック ニューヨーク」だった。同社にとって米国では初となるこの店舗は、周囲にIWC、オメガなどの高級時計店が林立するマディソンアベニュー(510 Madison Ave, NYC)にオープンした。今回はその米国法人SEIKO Corporation of Americaの河田芳克社長に、今後の展望などを語っていただいた。
◇ ◇ ◇
―河田社長が米国再赴任なさった当時と比べて、時計業界は変わりましたか。
 河田社長 SEIKO自体は米国上陸して50年近くたつのですが、私が米国再赴任した2010年からの5年はちょうどリーマン・ショックによる大打撃からどう回復するか、勝負の時でした。去年のクリスマスなどを見ていても期待したほどには伸びず、世の中の一般消費財のジャンルではまだお金が回っていないのではないかという印象を受けていますが、当時から比べると弊社の売り上げは50〜60%プラスになっています。
―去年8月にオープンしたブティックはいかがですか?
 河田社長 売り上げは期待以上です。弊社は1881年創業の歴史とクラフトマンシップのある時計メーカーで、日本では現在、売り上げの過半数が10万円を超える時計です。米国でも「SEIKO」の認知度はタイメックス、ロレックスと並びとても高いのですが、500ドル以下の「一般向けの時計」という認知のされ方でした。ここから1000ドルを超える高級消費財の領域へと広げていくために、ブランド発信の拠点として3〜4年ほど適切な場所を探し続け、ウオッチの激戦区にこのブティックをオープンしたわけです。つまり、情報発信目的でブティックをオープンしたのですが、ふたを開けてみたら売り上げもついてきた状況です。去年の秋にスイスで賞を獲得した8000ドル前後の時計があっという間に売り切れたり、2500ドル前後のダイバーズウオッチも2〜3週間でほぼ完売という状態で。とてもうれしい誤算です。
―他の競合ブランドと一線を画す、御社の強みを教えてください。
 河田社長 やはり商品のクオリティーです。弊社の時計には、三つの機械体を使っています。トラディショナルなメカニカル、スプリングドライブ、そして、弊社が発明し、1969年に世界で初めて発売したクオーツ。このような高い技術を持ちながらコストパフォーマンスが良いのも特徴です。10万年に1秒しか狂わない世界初のGPS(全地球測位システム)搭載アナログ・ソーラー時計も話題です。GPSは通常、電池を激しく消耗するため、搭載が難しいのですが、そこを弊社の技術で可能にしたわけです。
―御社の今後の展望をお聞かせください。

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(左から)ジム店長、河田芳克社長、メアリアン販売員、ジェイ販売員

河田社長 これまでと同じ路線も進めつつ、ラグジュアリー路線もさらに広めていきたいと考えています。高級店舗開拓の専任チームも去年設立して、プレミアム商品を売れる高級店を開拓していく予定です。米国の中でも特殊で重要なマーケットであるニューヨークでのブティックの成功は本当に心強く、他都市への進出を考える上でも重要な指針となりました。
―最後に、社長の経営理念を教えてください。
 河田社長 常に時代の一歩先を行く、が創業者の経営理念。常に前進。とにかくポジティブに進んでいきたいですね。

〈プロフィル〉河田芳克(かわだ・よしかつ) 岐阜県出身。学習院大学卒業。1985年セイコー入社。米国駐在、香港駐在、海外営業・マーケティング部長などを経て2010年4月に米国に再赴任し、13年4月に社長に就任。理恵子夫人との間に長女。趣味はニューヨークの夏は自転車、冬は劇場通い。
(「WEEKLY Biz」(ニューヨーク)2015年4月25日号掲載)

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