玄米と初めて出会った日(1)
玄米に初めて出会った日のことを、今でも克明に憶えています。欧州を7カ月間放浪した後、さらにお金を貯めて旅行を続けるためにニューヨークに戻ってきた年の翌年(1973年)、102丁目のアパートから69丁目の日本レストランまで、いつものように歩いて行く途中、ある日ふと、90丁目と91丁目の間のブロードウェイで、「SOUEN」という、ちょっと変わった名前のレストランを見つけたのが、今から考えれば私の人生が大きく変わっていくターニングポイントだったのです。
新しいレストランを見つけても中を覗くことはめったにないのですが、その時はなんとなく足が止まって、ふとウインドーのメニューを見ているうちに、“ブラウン・ライス”という文字が私の目に飛びこんできました。ブラウン・ライス? 白米がホワイト・ライスだからブラウン・ライスは玄米? ―その時の感動は、誰も知った人のいるはずのない旅先で昔の友達に偶然出会ったような気持ちでした。
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子供の時から私は死の恐怖に怯えていました。私だけでなく弟たちや両親もいつか必ず死ぬと知った時は、千年も万年も続く真っ暗闇に放り出されるような恐怖で、よく泣いていたものです。
人間は、傷ついた心を少しずつ癒やしてもらえる「時間」という、すばらしい薬を持っています。「慣れ」または「諦観(ていかん)」と言っていいかもしれません。どんなに未曾有の出来事に見舞われても、時間の経過とともに、次第にその状態に慣れ、以前ほどには苦しまなくなるのです。―死ぬことが避けられないなら、その時が来るまで健康な身体を100歳でも120歳まででも維持してやろう、と私は決心しました。それに私に死の恐怖があるのは、おそらく、やりたいことがたくさんあるからで、―もし、それらをほとんど実現できれば、そう恐れなくなるのではないかと想像しました。(余談ですが、死の恐怖は女性より男性の方が強いようです。私の母をはじめ、私が出会った女性たちはみな、死を恐れる私を笑い、死はそう恐くはないと言ったのです。子を産むせいと、やりたいことが男ほど強くないせいでしょうか)
(次回は9月10日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。