マクロビオティック(1)
「そうえん」に毎日食べに行っているうちに、「そんなに好きだったら、そちらに移れば」と誰かに言われて移ることにしたのです。当時のオーナーのH氏に仕事はないかと訊くと、皿洗いが3月いっぱいで辞めると言われて、まだだいぶ先の話でしたが、その後をさせてほしいと頼みました。日本レストランでは天ぷらを揚げていましたから給料も大幅に下がってしまいます。しかし、そういう問題ではありません。身体にいい玄米が毎日食べれるのです。
コロンビア大学付属の英語学校にも行きました。授業は午前九時から午後3時までです。皿洗いの仕事を終えてアパートに戻るのは11時過ぎですから、宿題も毎日はできません。授業中、居眠りをすることもありました。しかし先生は私を非難するどころか、政治家、医者、弁護士などの師弟の多いクラスで、一人だけ働きながら学校に来る私を逆に励ましてくれ、ほかの生徒が誰も答えられないときに限って、「あなたは、どう?」などと振ってくるのです。先生の期待に応えたい私は、間違っているとわかっていても、いちおうの答えを出すと、「あなたたちが知らないから、私も教師をしている意味があります」と顔を立ててくれます。?マリオンという名の二十四、五歳の美しい先生でした。
◇ ◇ ◇
「そうえん」がマクロビオティック・レストランと知ったのは、もう少し経ってからです。皿洗いを始めたころは、玄米を毎日食べられるだけでうれしく、栄養を摂らなければと卵はよく食べていました。肉はアメリカに来た当初、働いていたファスト・フード・レストランのバスボーイをしているころから食べていませんでした。ランチ時にバーガー担当者に私がつくってもらうのは肉抜きバーガー、?肉の代わりに野菜をたっぷり入れてもらうのです。ヘンなやつだと思われていたのは間違いなく、頼みに行くたびに笑っていました。(おそらく私が野菜バーガーの元祖でしょう)
マクロビオティックを誰に教わったのかと考えてみるのですが、特に思い当たる人はいないし、本を読んだ記憶もないので、H氏や店で働くアメリカ人ウエートレスなどの口から、少しずつ教わっていったのではないでしょうか。
(次回は11月12日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。