マクロビオティック・レストラン(13)
「ヨーロッパまで、いくらするの?」
何か月にもわたる旅だから着く場所はヨーロッパのどこでもいい。着く場所にこだわらなければ、ロンドンより安い料金があるかもしれないという思いからでした。
「ロンドンまで七十五ドル」赤茶色の髪をした男が、ぶっきらぼうに言った。
このあいだまでヒッピーをしていたのでしょう。男から数十センチの距離の私の鼻腔は、敏感に汗と土のにおいを嗅ぎとった。この男だけではない。後ろのふたりも、ヒッピー上がりなのは間違いない。三人揃って、ぼさぼさの長い髪とひげだらけの顔。Woodstock Music and Art Festivalにも行ったと思われます。
「このあいだ見たときは五十五ドルで、昨年暮は、四十九ドルで広告を出していた」
私は、ずっと新聞を見ていました。
「ああ、よく憶えているな」男は感心したように言った。「ドルが下がるから、仕方がない。来週あたりは、七十九ドルにしようかと考えている」
「また上げるの? 七十五ドルでも高いと思っているのに。ほかに行く方法はないだろうか?」私は真面目に言ったつもりでしたが、
「漕いででも行くんだな」そう言って男は、ボートを漕ぐ真似をした。
「たしかに」苦笑しながら私は七十五ドルを出しました。
「今度の日曜日は、どうだい?」男はノートを見ながら言った。
「いや、日曜日はちと早すぎる」
また急である。あと三日しかない。
「三月二日は?」男は、ぱらぱらとノートをめくってから言った。
「まあ、いいでしょう」
こうして私の出発は三月二日午後十時に決まったのです。
「祝いだ。ウイスキーでも飲むか?」かたわらで雑誌を読んでいた、もうひとりの男が言った。
「えっ?」こんなところでと面食らったが、「航空券代に含まれているの?」と冗談を言うと、みんな笑った。「せっかくだから、ちょっとだけ」
ウイスキーが飲みたかったわけではありません。航空券を買いに行ったさきで男たちと酒を飲んだ、という話のタネまでいっしょに買ったというわけだ。
「あんたら昼間から飲んでいるの?」
「ああ。別に仕事には差し支えない」そう言って、ふたりは笑った。
やっこさんたち、大丈夫かいな。酒なんか出して調子いいが、ほんとに飛行機に乗せてくれるんだろうか? あした来たら部屋は空っぽだった、ということにでもならなければいいが。――ニューヨークに来てから私は疑い深くなっていました。男は私にウイスキーを注ぎ、自分のグラスにも四分の一ほど入れた。アメリカは自由な国だから、自分の会社を、どう経営しようと勝手なのでしょう。
(次回は11月3日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。