マクロビオティック・レストラン(27)
アメリカに戻ってまもなく母親から手紙がきました。
〈早く知らせたかったけど、どこにいるかわからないから今日になってしまいました。黒崎の店が火事で焼けてしまったのです。あたり一帯が焼ける大きな火事で、逃げ出すだけで、みな精一杯でした。火事に遭うのもはじめてではないけれど、今度がいちばん恐ろしかった。地主は、この機会を捉えて追い出そうとしているので、お父さんも弁護士を雇って戦っています。あなたがそばにいてくれたら、お父さんの手助けになれたでしょうけど〉
新聞の切り抜きも入っていました。航空機から撮った大きな写真には、店があったあたりを赤鉛筆で囲んでありました。黒崎の店は私たち家族が長年暮らしていた場所で、そこから私は小中高、予備校と通ったのです。歩いて十五分の住宅地に引っ越してからは他人に貸していました。
旅行中はパリとウィーンの日本航空を郵便物の宛先にしていたから、何かあったときには連絡があるはずでした。しかし東欧圏に入ってからは連絡の手段を持たず、ユーゴスラビアから一度、送金を依頼するはがきを私のほうから送っただけで、行方知れずのような状態になっていました
アメリカに戻ってからも、しばらく連絡しませんでした。もし依頼したお金が送られていたらポーランドとルーマニアにも行けたのに、と半ば恨みに思っていたという部分もありますが私がアメリカに戻ってきた理由を上手に書く自信がなかったから。――どんなに上手に書いたところで両親を悲しませるのには変わりありません。来年には帰るから、もうすこしわがままを許してほしい、という文面も浮かんだのですが、もし帰れなかったらという気持ちに邪魔されて、やはり書けませんでした。(ところで送金を依頼するはがきは日本の家族に届いていませんでした。そのことがわかるのは、それから一年半後に帰国したときです。)
火事を知らせる手紙がきたのは、ニューヨークの住所を知らせてまもなくのことでした。後ろから走ってきた自転車に思いきりぶつけられたような衝撃でした。 (次回は6月8日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。