マクロビオティック・レストラン(34)
「この店をつづけてゆくことが、ターキーに対する供養になるのではないでしょうか。彼の夢が何であったか、全部を聞いたわけではありませんが、豆腐づくりのほかに有機農業にも興味を持っていたようですから、豆腐はともかく、有機農業はぼくも興味があるので、勉強したいと考えています」Hのメモリアル・パーティを「そうえん」で開いたとき私は立って、そう挨拶しました。パーティには店の従業員や客など、三十人くらいが集まりました。
日本のHの家族には声をかけませんでした。来てもらうには遠すぎたのです。カリフォルニアの教会で行われたメモリアル・サービスにも、日本からの参加者はありませんでした。大分に母親、福岡に兄がいたようですが、経済的事情もあって、こられなかったのでしょう。
Hに限りません。日本人の葬式に、日本から家族が参加することはまれです。結婚式や出産は前もってわかっていることだから日本からでもこられるが、メモリアル・サービスや葬式は突然の場合が多いから、そう簡単にはこられないのです。(Hが亡くなってまもなく、日本から彼の兄が来ました。ニューヨーク滞在中は私のアパートに滞在してもらいました。福岡の病院でレントゲン技師をしているという彼は、脳に腫瘍を抱えているらしく、引きつけを起こさないように、いつも薬を呑んでいました。)
「ターキーは、ほんとうにタフだった。一晩くらい寝なくても平気だった。事故は早朝に起こったらしいから、徹夜で運転していたか、十分に睡眠をとらずに運転していたのだろう。いくらタフでも、相手がトラックでは敵わない。身のほど知らぬやつだ」と笑わせながらスピーチしたアメリカ人もいました。 Hのアメリカ人の友達も駆けつけて、フルートとスチール・ドラムで追悼演奏をしてくれました。 (次回は9月第2週号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。