代理出産の歴史(20)メキシコを代理出産の行き先として発掘

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代理出産25

「米国最先端臨床現場から」海外治療コンサルティングリポート 第97回

代理出産医療コンサルタントである弊社にいただくお問い合わせ件数でトップ5に入る代理出産について説明しています。2013年のインド代理出産の外国人依頼に対する取り締まりによる実質的な閉鎖、14年の秋のタイでの商業代理出産、卵子提供、男女産み分けなどの着床前診断などの先進生殖医療の禁止、この時期から世界中の代理出産依頼が難しい状況へと世界全般が変化したこと、15年の1月に弊社を含む世界の代理出産に関わる法務専門家による初の視察が行われたことをお伝えしました。

前回=11月7日号掲載=もお伝えしたように、1997年にタバスコ州の民法が変更されたことから、同州は32州あるメキシコにおいて商業代理出産が唯一合法であった州であったにも関わらず、実際は、2015年1月に我々がメキシコにおける代理出産を開拓するまでは、同国での代理出産は眠っていたようなものでした。代理母による出産に関わる病院も確立しておらず、ノウハウもなく、代理出産には欠かせない専門弁護士もいなかったのが事実です。つまり、我々、すでに世界で代理出産に関わっていたプロフェッショナルたちが、チームとインフラストラクチャーを確立することにより、同国での代理出産を可能としました。まさに15年からメキシコが代理出産の行き先として我々の手によって発掘されたのです。

現在も代理出産に関してアクティブに運動を続けているのが、弊社も15年にパートナーシップを確立したタバスコ州の若き優秀な弁護士、ご家族も代々弁護士である家庭で育ったレオン・アルタミラノ弁護士です。我々が視察のためにタバスコ州を初めて訪れ、彼を同州でトップホテルと言われているホテル・キンタ・レアルのレストランで、筆者を含めた当プロジェクト幹部により、彼を当プロジェクトの法務担当とするかのインタビューを行った時は、彼は生殖医療、代理出産についての知識は皆無でした。しかし世界中で代理出産依頼が難しくなっている状況下、いかに需要があるかを感知し、代理出産に関する法務を一気に引き受けることとなり、名をはせるようになりました。メキシコの代理出産が真っ盛りであった15年から数年は、筆者もアルタミラノ弁護士とは毎日にように仕事をしましたが、非常に臨機応変で頭が切れるおおらかな優秀な弁護士です。世界の代理出産に関わる法務専門家による初の視察が行われた15年1月には、代理出産マーケットは何も確立していない状態だったのが、急に世界中からこのタバスコ州に依頼者が殺到することになり、アルタミラノ弁護士も大きな収入を得るようになりました。このことも、メキシコのタバスコ州政府が代理出産の規制の乗り出した一つの理由である、とも言われています。

(次回は1月9日号掲載)

さくらライフセイブアソシエイツ代表・清水直子【執筆者】清水直子しみず なおこ) 学習院大学法学部卒業、コロンビア大学で数学を学び、ニューヨーク大学スターンスクールオブビジネスでMBAを取得。マウントサイナイ医科大学短期医学スクール修了。メリルリンチの株式部で活躍し、2003年さくらライフセイブ・アソシエイツを設立。

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