代理出産の歴史(4)インド政府の規制に情報不足、日本人依頼者にトラブル多数

0

代理出産9

「米国最先端臨床現場から」海外治療コンサルティングリポート 第81回

代理出産医療コンサルタントである弊社にいただくお問い合わせ件数でトップ5に入る代理出産について、そして、数回前のリポートから代理出産の歴史に焦点を置いて説明しています。

前回、“赤ちゃん工場”と言われるほど、世界中からの依頼者が目指す代理出産の中心地であったインドが、2013年に全ての依頼者に対してメディカルビザ(医療査証)の取得を課すことにより代理出産にブレーキをかけたことをお伝えしました。このころから、世界中で、代理出産のニュースが一般人の耳にも多く入ってくるようになり始めました。主に多くの代理出産に関わるスキャンダルといった悪い側面からのニュースで、代理出産によってのみ赤ちゃんを授かることができない患者さまにとっては、最後の価値ある手段である代理出産に規制が開始され、依頼できる国が年々難しくなり、依頼料金も徐々に上がり始めたのはこのころからです。インドが代理出産依頼にはメディカルビザを要件として導入したことにより、当ビザ取得のためには、依頼者の自国の政府から書簡が必要だったことから、日本人依頼者にとっては、当ビザの取得は不可、したがってインドでの代理出産依頼は不可能となりました。こうして、弊社の多くの日本人クライアントに赤ちゃんを授けてくれたインドの代理出産の幕を閉じました。

しかし、それでも英語のニュースや代理出産情報が欠けている日本では、この情報不足の環境を利用した悪質な斡旋(あっせん)会社が、藁(わら)にもすがる思いでいる日本人依頼者をだまし、その結果、メディカルビザを持たずに不法に代理出産を行っているとされ日本人依頼者がインドの警察に拘束されたり、メディカルビザが施行される前の依頼から代理母が妊娠中であった場合は、政府にその旨を登録する必要があったものを行っていなかったために赤ちゃんがインドから出国できなかったりとトラブルが続きました。

このインドの動きで多くの斡旋会社が、当時、法的に曖昧であったタイへと移行し、依頼者もインドから大移動を果たしました。次回からタイでの代理出産について説明を開始します。

(さくらライフセイブアソシエイツ代表・清水直子)

さくらライフセイブアソシエイツ代表・清水直子【執筆者】清水直子しみず なおこ) 学習院大学法学部卒業、コロンビア大学で数学を学び、ニューヨーク大学スターンスクールオブビジネスでMBAを取得。マウントサイナイ医科大学短期医学スクール修了。メリルリンチの株式部で活躍し、2003年さくらライフセイブ・アソシエイツを設立。

コラム一覧

Share.