日英バイリンガルを目指した子育ての始まり

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在外子女教育に携わって考えること(その1)

親目線・教員目線で語る日英バイリンガル教育

米日教育交流協議会(UJEEC)・代表 丹羽筆人

1999年に妻と娘(当時2歳9か月)とともに来米し、25年目となります。その間、カリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州、ミシガン州にて在外子女教育に携わってきました。補習授業校の教員や学習塾講師を務めるとともに、日本の教育機関の北米担当として帰国生のための学校選びや受験に関するサポートなどを行っています。また、2006年から12年間にわたり日本の里山を活動拠点とする日本語・日本文化体験学習プログラム「サマーキャンプ in ぎふ」の企画・運営も行いました。現在はカリフォルニア州に暮らし、補習授業校の教員と帰国生のサポートを行っています。ここでは、これまで在外子女教育に携わって考えたことを書かせていただきます。

サマーキャンプ in ぎふ

サマーキャンプ in ぎふ

私は在外子女の父親でもあります。娘は2歳9か月でカリフォルニア州に来て、すぐにチャイルドケアセンターに通園し、その後、プレキンダーからからハイスクールまで現地校に通学し、ミシガン州の大学の自然科学部を卒業しました。卒業後はテネシー州の医薬品系企業に就職し、その企業の東京支社を経て、別の外資系医薬品系企業の東京支社に勤務しています。また、娘は幼稚園から補習授業校に通学し高等部を卒業しました。アメリカの大学で専門的な学問(神経科学)を修得し、日英バイリンガルであることが医薬品系企業への就職と日本での勤務につながっています。ここでは、娘の子育てを通じて考えたことも書かせていただきます。

大学の卒業式

大学の卒業式

前置きが長くなりましたが、今回は娘の話題を続けさせていただきます。娘は来米直後に通園したチャイルドケアセンターでは言葉が通じないにもかかわらず、ほどなく馴染むことができ、知らないうちに英語を話せるようになりました。家庭でも時々英語を使うようなこともあり、その発音の良さに驚いたものです。また、アメリカのアニメもよく観ていましたし、休日には現地のお友達ともよく遊んでいました。しかし、両親とは日本語で会話しており、日本語力について何の問題も感じませんでした。また、日本の絵本を読んだり、日本のビデオを観たりしたりするのが大好きでしたので、日本語力について心配することもありませんでした。しかしながら、日英バイリンガルとなるためには補習授業校での学習は重要であり、娘を入学させるのはもちろん、私自身も補習授業校で教えたいと考え、サンフランシスコ補習授業校で教員を務めることにしました。

しかし、家庭の事情により娘が現地校のキンダーの時にニュージャージー州に転居することになり、サンフランシスコ補習校の教員を務めることができなくなりましたが、プリンストン補習授業校に勤務することになり、娘も同校の幼稚園に入園しました。親子ともに、週末は補習授業校という生活が始まったのです。今思うと、その後、補習授業校高等部卒業までの13年間にわたる、このような日英バイリンガルの生活があったからこそ、娘を日英バイリンガルに育てることができたのです。ただし、この生活を継続することは簡単ではありませんでした。

次回は、補習授業校を継続することの難しさについて書かせていただく予定です。

丹羽筆人【執筆者】にわ・ふでひと 河合塾在職後に渡米し、北米の補習校教員・学習塾講師を歴任。「米日教育交流協議会(UJEEC)」を設立し、「サマー・キャンプ in ぎふ」の企画・運営、河合塾海外帰国生コース北米事務所、名古屋国際中学校・高等学校、名古屋商科大学北米担当、サンディエゴ補習授業校指導教諭を務める。
◆米日教育交流協議会(UJEEC)
Website:www.ujeec.org

 

●親目線・教員目線で語る日英バイリンガル教育──過去の掲載●

●「在米親子にアドバイス」日米の教育事情──過去の掲載●

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