【連載】おばあちゃま、世界を翔ぶ-6 子供のための「3つのC」の教育

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龍村ヒリヤー和子〜情熱とコンパッションの半生記〜

私が作るまではバラックのキッチンと簡素な作りの孤児院でした

私が作るまではバラックのキッチンと簡素な作りの孤児院でした

第6回 マンジュシュリの孤児院立ち上げから、世界平和を願う集いまで

去年新たに一つ表彰をいただきまして、新聞などでも取り上げていただきました。ダライ・ラマ14世の財団「The Tibet Fund」(tibetfund.org)の年次総会でチベット人民に貢献した人が3人表彰され、米民主党議員のナンシー・ペロシさんらと並んで私が表彰を受けたのです。40年以上チベット人民のために尽くしてきたというのが表彰理由ですが、中でもヒマラヤ奥地の村、マンジュシュリにある孤児院での働きに着目していただきました。

インドに近いチベット最後の村

この場所は、インドの国境にある昔のチベット最後の村です。1959年にインド軍がこのエリアを守ってくれて中国の占領から逃れることができました。今でもインドと中国が領地争いをしているエリアです。チベット教育がなくなった中国から、子供たちが親と別れてでも勉強のできるところに逃亡してきました。そこでラマ・トプテンという坊さまがここで路上で暮らす孤児の子供たちのために孤児院を作ったのです。そのあと、日本から、そしてアメリカから基金を集めて、新しい校舎を私が作りました。

ダライ・ラマ様からこのタワンの孤児院のことを初めて聞いたのは2008年。そこには結核や病気の子が多いと聞きました。私は例のごとく「行ってみよう!」と思って、ヒマラヤ山脈の奥地の村まで3日間かかって行きました。実はその2週間前に、原志免太郎(はら・しめたろう)という日本の鍼灸医がワクチンの治療がない時にすでに日本でお灸で1920年代に結核を治したという話を南アフリカの鍼灸師から聞いたところでした。

私は原先生のことを勉強して先生のお灸理論と、私が発明した温熱治療には共通点がある気がしました。孤児院には11人の結核の子たちがいまして、私が温熱治療を始めると、なんと全員、10日で治ってしまって。このことで、そこにペルー人がいて、私の温熱治療と温熱器のことが、結核の多い南米に一気に伝わりました。

当初、この場所には水道もなく、年上の子供が年下の子供に山の湧き水を使って歯磨きを教えていました。皆で協力し合って生きている子供たちの中に本当の自然の慈悲を感じ、人間の美しさをみました。今ではインドネシアのバリ島、米国のサウスダコタ、アフリカなどでも、孤児院を支援しています。

彼らは、自分のことではなく、まず最初に他を思いやるのです。そういう心があれば、戦争も起こらないはず。生まれ持った人間の特徴である“思いやり”を忘れず生きればよいのです。私の信念は「3つのC」に基づいて、Compassion(慈悲の心)、Courage(勇気を持って、自分の考えを人に話せること)、そしてCommunication(英語の教育)を持つ子供を育てて、大人まで続くように、そういう児童施設を世界中に作りたいと思っています。

立派な孤児院ができ、今では子供たちはここですくすく、3Cの元で成長しています

立派な孤児院ができ、今では子供たちはここですくすく、3Cの元で成長しています

マンハッタンでダライ・ラマ14世の誕生会

1975年に、チベットの民族オペラを始めてアメリカに紹介してから、私の人生の中でチベット民族は特別な位置を占めています。今年の7月6日には、マンハッタンのマリオット・エセックス・ハウスで、世界平和を願い、ダライ・ラマ14世の80歳のお誕生日以来、国のない国であるチベットのために毎年祝賀会を開いています。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・ネイティブアメリカンの宗教・ヒンデュー教からそれぞれの代表者が壇上にあがり、平和を願う祈りを捧げる式典で、197の世界各国と地域の旗を振りながら、それぞれの国と地域の平和を祈るセレモニーで行います。本当に国境や宗教などの違いや壁を越えて参列者の皆さんの世界平和を願う思いが一つになって、大成功でした。このお誕生日会は毎年続きます。

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次回は中国の話をしましょうか。1972年2月、ニクソン大統領が中国に行きました。その1カ月後に、中国政府が米国の有力な人物を12人選んで中国に招待をすることになりましたが、そのときの一人になったのが私だったのです。

(次回は12月2日号掲載)

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龍村ヒリヤー和子(たつむら・ひりやー・かずこ) 東洋医学医師、人道活動家、Gaia Holistic Inc代表。
兵庫県宝塚市生まれ。音楽家にあこがれ幼少時よりピアノに親しみ、桐朋学園大学を卒業するが、1961年に渡米しボストン大学・ニューヨーク大学を卒業後、音楽家ではなく国際興行主としての活動を開始、グローバルな舞台芸術と文化交流の先駆者なる。世界各国の首脳やセレブリティーが関わる歴史的記念イベントの制作・演出などにも関わり、公式な外交関係のない国家間の文化交流促進にも寄与するなど多大な貢献を重ねてきた。世界中で毎年1年2000回のプロデュースを手掛け、148カ国以上を訪れ、何度も表彰されている。
2000年より東洋医学の医師に転身、01年ガイア・ホリスティック・サークルを設立し代表に就任、07年には出版社「心出版」を立ち上げる。世界各地の避難民、戦争犠牲者、ホームレスや家庭内暴力の犠牲者などの救済を行うなど人道的活動においても多大な貢献を続けており、世界各地での慈善事業に従事する他、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と共にチベット孤児の教育活動に従事している。遠赤外線温熱療法にテラヘルツを組み合せた独自なホリスティック療法は世界的に評価されている。今は世界の会議から招待され、発表、教育をしている。
01年、9・11の米同時多発テロ悲劇のすぐ後にガイア・ホリスティック基金を創設。「212-799-9711まで、お電話ください。感謝合掌 和子」

(2017年11月18日号掲載)

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