僕のステージを観て温かいもん感じてもらえたら、それだけでええんです
「ガチ!」BOUT.158
JaNet会館で講演
「おさむちゃんで~す」などのギャグで1980年代前半の漫才ブームの頂点を極めた漫才コンビ「ザ・ぼんち」のぼんちおさむさん。娘の長瀬磨美さんがニューヨークで画家として活躍している縁で、先月初めにJaNet主催で開催された月例ニューヨーク異業種交流会にゲストで招かれ、講演を行った。芸人、俳優のほかにジャズボーカリストとして活動する一面をもつおさむさんに、お話を伺った。
(聞き手・高橋克明)
◇ ◇ ◇
娘さんはお父さんが、当時、日本を席巻したスーパースターだってことは…。
おさむ 知らないんです。娘は生まれてませんから、はい。
娘さん 83年生まれなんで。(冷静に)
社会現象になるくらいスゴかったんですよっ。(興奮気味)
娘さん 噂(うわさ)には聞いてます。(冷静に)
噂には。(笑)
おさむ 人ごとかいな。(笑)
娘さん 家族の中で噂には。(冷静に)
おさむ せっまい噂やなぁ。(笑)
その娘さんが今住んでいるニューヨークにはどういったイメージをお持ちでしたか。
おさむ (いきなり)ニューヨーク♪ 〜ニューヨーク♪(フランク・シナトラ風)って感じで、オシャレな街っていうかね、なんか、なんか、なんか、生き生きしてるイメージですよ。いつも人が動いてる感じです。ちょっとせわしないとこなんか大阪に似てるような感じ。ニューヨークの人もちょっと早足のような気がするんです。大阪の人と一緒で早足ですね、ええ。
だいたいこの街で、聞こえるくらいの大声の日本語は関西弁が多いですよね。実際に来られたことは…。
おさむ 5回くらいありますよ。娘がこっち来てもう10年ですから。でも、本当に初めて来たのは30年近く前ですね。ロサンゼルスでテレビの仕事があって、収録終わりにスケジュール空いたから、ニューヨークにいた友達に会いに。その時感じたのは、もうアメリカいうのはごっつい広いなぁ思うて。LAから6時間くらいかかったんやねぇ? 日本やったら沖縄から北海道通り越して、もいっかい往復したろか、くらいなもんで。せやからアメリカって、デカイなってイメージでしたねえ。その中でもニューヨークはやっぱり特に好きな街でした、はい。
その街で昨夜、実際に歌われました。いかがでしたか。
おさむ まぁ、緊張しましたけど、緊張せんでもおんなじですから、だいたい。へっへっへっへっ(笑)。いやいやいや、もう、なんか、喋(しゃべ)ろう思ても、ぱっとねぇ…。
娘さん 何言うてるか分からん。(冷静に)
おさむ 娘がまず、ニューヨークでジャズライブやる言うから。それも全部、娘が企画してくれたんですよね、ほんまに。「ニューヨークおいでや、おいでや」言われて。去年はちょうど仕事でスケジュール取れなかったもんで。今年は1週間くらい(オフが)取れたんで。(航空)チケットもうまいこと取れたんで。毎年でも来たいことは来たいんですけど、なかなかスケジュールが合わないんで、はい。
娘さん 4年前のアポロは良かった。(冷静に)
えっ! アポロシアターにも出演されたんですか。
おさむ そう! 出たんですよ。出たというか飛び入りで。
アマチュアナイトですか。
娘さん いや、勝手にです。(冷静に)
おさむ ちゃいますねん(笑)。僕ら夫婦の25年の銀婚式で、どこか旅行行こーかぁ言うて、娘がニューヨークおったから、2人だけの旅行もしゃあないから。いや、しゃあないことはないねんけど。娘に会いに行こうってなって。そこで、娘がこの街をいろいろと案内してくれたんです。で、アポロシアター行こうってなって。でも、僕、アマチュアナイトって何か知りませんやん。行ったらまず、ドアマンが2メートルくらいの黒人でヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイっ、てこう(制止しようと)するから、偉そうやなぁって思いながら。なんでそんな偉そうに言われなアカンねんって。チケット買うて入ってるだけやないかって。で、ドアくぐって中入ったら、今度はチケット切る女の人が、ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイって。オレが邪魔なんかい!って。(笑)
お客なのに。(笑)
おさむ で、ショーが始まって、しばらくしたら途中から音楽と照明が変わったんです。ほいだら司会者が何かワーワー言うとったら、人がみんな立ち上がって、ステージに上がって。僕、英語分かれへんからぼーっとしてたら、娘がいきなり「お父さん、早く!」って。「なになになに?」「ステージ上がって!」って。何言うてんねん。無理やぞ、上がらん上がらん!「上がって上がって!」「上がって何すればええねん!」「上がって踊ればええねん!」で、無理矢理上がらされた瞬間、向こうの司会者が「ユー、ジャパニーズ?」って。「イエス! ジャパニーズ」。そしたら、カモンっ! って、誰がカモンやねん言うてね(笑)。周りはみんなアメリカ人さんばっか。もちろん日本人は僕一人ですよ。で、いきなりマイクスタンドの前でうぁーうぁー踊ったら、司会者が今度は僕の腕を引っ張って舞台から引きずり降ろそうとするんですよ。「ええっ! 何すんねん」って、また振りほどいて踊って。
(笑)。多分、順番を待てって意味ですよね。
おさむ それも分からんから、腕を引っ張られて、振りほどいて踊って、また引きずり降ろされそうになって。それを5、6回やったんですよ。
一同 (笑)
おさむ で、順番待って、4番目くらいかな。聞いたこともない曲がかかってダンスをバーンってウァーウァー踊ったったんですよ。テキトーに。で、終わったら1人ずつにインタビューで。
英語で。(笑)
おさむ アメリカ人同士ならそら、分かりますよ。「オレ、インタビューされたら、どないしよ、分かれへん、分かれへん」って。で、向こうが僕のとこ来たから、いきなり、「マイネーム、イズ…マイ、ネーム、イズ…マイ、ネーム、イズ…」
はい。(ワクワク)
おさむ 「ぅお、おっ、おっ、んっお、おっ、おさむちゃん でぇえええす!!」って。
ありがとうございます。(感動)
おさむ そしたら、会場全員スタンディングオベーション。
わははははは。
おさむ ぐわーってウケて。みんな「イエーい!」「アメージング!」って爆笑してるんですよ。うわ、オレどないしょ。なんか分からんけど、ウケてるやん思うて。司会者無視して。また、「マイ、ネーム、イズ……マイ、ネーム、イズ……ぅお、おっ、おっ、んっお、おっ、おさむちゃん でぇえええす!!」
あははっは。
おさむ で、またそれが大ウケで。で、僕も気持ちよなって。で、また「マイ、ネーム、イズ……」
娘さん もうええ。(冷静に)
通用したってことですよね。
おさむ 何がうれしかったって、帰りに、例のドアマンが「プリーズ」って扉開けてくれたんですよ。うわっ、態度(最初と)全然違うやんか! って。最初からそうしてくれよって。(笑)
テレビカメラが入っていなかったのがもったいなかったですね。
おさむ そう! 僕らだけやから、誰も証明してくれる人おれへんわって。でも、何年か後に僕が浅草で食事した時に、声掛けてくれた女の人が「あの時アポロ(シアター)にいたんですー」って。「えー!? いてはったんですかー!?」って。まさか浅草で僕のニューヨークのステージ見てた人に会うとは思ってませんでしたもん。
なるほど(笑)。それではおさむさんの今後の夢を教えてください。
おさむ 去年、還暦になって、今年もう、61(歳)ですけどね。僕はやっぱり漫才師ですから。相方(里見)まさとと「ザ・ぼんち」でやってますんで、僕たちの漫才を見ておられるお客さんが「あ、良かったなぁ、楽しかったなぁ、おもろかったなぁ」って思ってもらえるような舞台をいつまでもやりたい。ジャズに関しても同じですねん。うまいとか下手とか、どおでもええんです。帰り道にスグ忘れてもろてええんです。それより、お客さんにその瞬間だけでも「楽しい時間やったやーん」って思ってもらって、その一瞬だけでも嫌なこと忘れてもらえたら、ありがたいですね。それが僕のポリシーです。それが全てですねん。なんか、わけわからんけど、温かいもん感じてもらえたら、それだけでええんです。そんなステージを、これからもどんどんどんどん続けるのが僕の夢です、はい。
最後にニューヨーク在住の日本人にメッセージを。
おさむ 結果はどうであれ、ニューヨークに来て頑張ってるだけで、チャレンジしてるだけで、僕は偉いなって思う。なぜかって言うと、娘がね、ニューヨークに行きたいって言うた時に嫁さんは反対したんです。怖いからって。でも僕は高校を卒業した時に、ジェリー・ルイスさんの、あの人の弟子になりたいって思って、ニューヨーク行きたいって思ってたんですよ。ジェリーさんがニューヨークにおるとか知りませんよ。とりあえず、アメリカとかそっちの方に行きたい思うて。でもよう行かんかったんです。行かれへんかったんです。それがまだちょっと心残りなんですね。あの時、なんで行かへんかったんやろって。で、娘が短大卒業して、ニューヨークに絵の勉強をしに行きたい言うからね。それを止めたらあかんやろって思たんです。行きたい気持ちがあるんやから。今、娘が隣におるけれども、本人にはこんなこと言うたことないんですけれども、チャレンジしたい思うて、それで今ここに来てることが、それだけでもう、ええと思てるんです。結果はどうなるか、それは本人の努力次第やけれど、一番難しい一歩はもう踏み出してるわけですから。あとは…ま、適当に頑張ったらええと思いますけどね。はっはっはっ。(笑)
ぼんちおさむ 職業:芸人
1952年生まれ。大阪市出身。73年漫才コンビ「ザ・ぼんち」を結成。「そーなんですよ川崎さん」、「おさむちゃんで〜す」などのギャグで80年代前半の漫才ブームの頂点を極める。81年「恋のぼんちシート」でレコードデビューを果たし、オリコン最高位第2位という、漫才師が出したレコードとしては最大のヒット曲となった。現在、芸人、俳優のほかにジャズボーカリストとして活動する一面を持つ。
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2013年11月9日号掲載)