秋吉敏子

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アメリカが一番いい時代に来られたことが私の財産

「ガチ!」BOUT.217

 

秋吉敏子

 

ニューヨーク倫理友の会(理事長・リンゼイ芥川笑子)の年次総会では、毎年、社団法人・倫理研究所理事長の丸山敏秋氏の講演とともに豪華なゲストを迎える。11月5日に開催される「第15回年次総会」では、世界的ジャズピアニストの秋吉敏子さんが登場し、特別ライブを行う。来年デビュー70周年を迎える秋吉さんの自宅を訪れ、ジャズの魅力やその近年の変化、ピアノにかける思いなどを伺った。 (聞き手・高橋克明)

 

来月5日の「倫理友の会:年次総会」での特別ライブ

アメリカに渡られてどのくらい経ちますか。

秋吉 ボストンの学校で奨学金を頂いて、そこで初めてアメリカに渡ってきたんですけれど、それが1956年。そこからずっとアメリカだから、来年でちょうど(渡米)60周年ですね。ピアニストとしては1946年からスタートしたわけですから、70周年になります。

来年が渡米60年で、プロとして70周年。スゴいですね。

秋吉 きりがよくて覚えやすい(笑)。この間、ビレッジの小さなクラブに頼まれて演(や)った時に、お客さんが昔のLPを持ってきて「ファンです、サインしてください」って言ってきてくれても皆さん30代や40代で、私がアメリカ来た時には、皆さんまだ生まれてないわけでしょ。(笑)

60年間、アメリカで活動されてきたわけですが、やはりジャズの発祥の国の第一線でやることに意味があったわけですか。

秋吉 私は満州で生まれて中国で15(歳)まで育ちました。 中国は私の故郷ですね。日本は私の国です。アメリカは仕事場ね。結局、ミュージシャンとして一番いいプレーヤーがここに集まってきますから。特にニューヨークはミュージシャンが500人いたら仕事は50あるかないかの街ですよね。特にジャズの世界はね。

この60年間を振り返ってみて…。

秋吉 (さえぎって)あ! でも、もし結婚してなかったら日本に帰ってますね。最近のアメリカの政治や社会は好きじゃないから。結婚してなかったら日本に今すぐでも帰っちゃう(笑)。残念ながらそうはいかない。

なるほど(笑)。この60年でこの国のジャズシーンの移り変わりを全て体感されてきました。ずいぶん変わってきましたか。

秋吉 ジャズという物はオーガニックなモノですから。ニューオリンズ時代とベニー・グッドマン時代は全然違う。スウィング時代と今のビバップエラというものも全く違う。特にこの20年、ジャズの言葉はだんだんなくなってヨーロッパの言葉に近くなってきてますね。(今となっては)ヨーロッパミュージックと言ってもいいくらい。例えばオルタナティブ・ミュージック、フュージョンなんてのも全部ジャズと言われてるけれど、私から言わせればジャズとは関係ないんですよ。本来、ヨーロッパの言葉はクラシックの言葉なんですね。クラシックとジャズは違う。例えばジュリアード(音楽院の卒業生)の一番上になっちゃったウィントン・マルサス。彼はうまいし、なんとかジャズの言葉をキープしようと努力をしているんですけれど、あそこの生徒の演奏を聴いちゃうと、そのうちにジャズ特有の言語ってなくなるような気がしますね。

寂しいですね…。素人の僕にはなんのことかサッパリなんですけれど。(笑)

秋吉 私が生きている間になくなるかもしれないし、生きている間はかろうじてあるのかもしれない。だいたいジャズを聴く人はそんなにたくさんいないしね。

そうなんですか!? 多い印象がありますが。

秋吉 多くはないの。みんなが好きになれる音楽じゃないかもしれないけれど、好きな人は世界中にいるわけです。そう考えると特別な音楽よね、ジャズは。

クラシックとも、また違う。

秋吉 クラシックとの一番の違いはね、例えばレコード屋さんに行って「(ベートーベンの)ナンバー5はありますか」って買い方ができるわけね。ところがジャズの場合だと「オーバー・ザ・レインボーありますか」なんて買い方はしない。「オスカー・ピーターソンありますか」ってなります。プレーヤー(の名前)で買いますよね。「チャーリー・パーカーのCDありますか」って。

確かに「モーツァルトのCDありますか」とは言わないですね。

秋吉 よっぽど詳しい人は「ベルリン・フィルハーモニック(管弦楽団)の演奏するベートーベンナンバー5ありますか」って方もいらっしゃるかもしれないけれど、普通は「ショパンのノクターンありますか」って買いますよね。ジャズはそれとは正反対。曲は関係ないわけです。大切なのは誰が演奏してるか。全く同じ曲でもオスカー・ピーターソンと、アート・テイタムと、私が演奏するのと全部違うわけなんです。これはクラシックにない。クラシックは曲を堪能する。ジャズはプレーヤーの演奏の仕方を堪能するわけですね。同じ曲でも演奏者によって全然違う。これってジャズ(というジャンル)しかない。これがクラシックとの根本的な違いなんです。

面白いです。ジャズはプレーヤーありき、なんですね。

秋吉 なので、本来、ジャズにはセットリストってないんですよ。プログラムにも、誰が演奏するかだけが書かれてあって曲目は書かれない。その時の会場やお客さまの雰囲気で、その都度、演奏するわけですから。でも今(の時代)は「このグループがこの曲を演奏します」って(発表してる)プレゼンテーションになっちゃって。(本来は)たとえ“この人”が何の曲を演奏したとしても、“この人”の演奏を聴きに来ているわけだから問題ないんです。デート、みたいなものなんですね。

なるほど。観客とプレーヤーのデート。

秋吉 こっちの演奏者の方がテクニック的にはうまいかもしれない。でも、個人的にはあっちのプレーヤーのクセが好み、だとか。レコードだとこの人が好きだけど、実際ライブに行くと案外失望しちゃった、みたいなね。(笑)

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上だとステキだけど、ごはん食べに行ったら面白くなかった、みたいな。

秋吉 (無視して)なので、生の演奏を聞きに行くことはすっごく大切なことだと思うんです。じゃないと、レコードで好きだったけど、ライブではガッカリだとか、結構あるんですよ。

お見合い写真と、実物があまりに違うじゃないか! みたいな。

秋吉 (無視して)ジャズって非常に個人的なものですから、プレーヤーそれぞれにクセが出るんですね。私なんて「さっきミスしたから、次また(挑戦)しよう」って(演奏最中に)思ったりする(笑)。昔のプレーヤーなんて、音を聴くだけでそれを誰が演奏したか分かった。その人それぞれの音がある。それがジャズミュージシャンのバリューなんですね。それが一番面白かったりするんだけど、今のプレーヤーはいくら聴いても分からない。

個性がなくなったというか。

秋吉 技術はスゴいんですよ。とってもテクニカルで、一つもミスしない。でもある意味ではつまんない。

CD聴くのと変わらないですね。

秋吉 プロフェッショナルってそうじゃなきゃいけないかもしれないですけれどね。だからこそ、私は生涯アマチュアでいいと思ってるんです(笑)。プロって職業家ってことですから、例えば、映画やドラマの音楽も注文されたら書かなきゃいけない。私はそれをしませんから、アマチュアなんです。(笑)

このご経歴でご自身で「アマチュア」って宣言されるのはすてきです。あのマイルス・デイヴィスやチャーリー・パーカーという伝説上のプレーヤーともセッションされているにもかかわらず。

秋吉 私の一番の財産はね、そういう人たちみんなとセッションをやれたということ。アメリカが一番いい時代に来れたんですね。昔はオープンだった。曲さえ知ってれば一緒に演奏させてもらえたんです。すぐ座って、すぐ演奏して。デューク(・エリントン)のバンドの時は彼が「弾けよ、弾けよ」って。一度ね、マイルス(・デイヴィス)が私のところに来てピアノに肘立てて見てるんですよ。私はブルブル(震えて)で、「You are nervous.」っていうんですよ。だから、「Yes, nervous.」って言ったら、「Don’t be.」って。マイルス曰(いわ)く「僕も同じように、チャーリー・パーカーと演奏する時は、nervousだったよ」って。彼がそう言ったということが、みんな驚いちゃうんですよ。マイルス・デイヴィスは傲慢(ごうまん)だっていうことで、知られているんですよ。実際彼には、両方の面があって、そういうところもあった。

音楽の教科書に出てくるような歴史的な名前ばかりなのでピンとこないです(笑)。その中でも尊敬している人を一人挙げるとするならば誰ですか。

秋吉 そうねー、そのほとんどの人から影響受けてますから。でも、誰か一人、挙げるなら……。(夫の)ルー(・タバキン)ですね。とにかく努力家。猛烈な努力家ですね。自宅の前を通って音楽が聞こえない日がないほどに、毎日練習をしています。私もあれくらい努力したら、ちょっとはうまくなってるのにっていつも思うんです。(笑)

「ちょっとは」って、世界トップレベルじゃないですか。(笑)

秋吉 私、若い時にはとにかくピアノから離れることができないくらいずっと弾いてました。もう一日中。今はダメね(笑)。お尻にむち打ってなんとか毎日座るようにしてます。

今でも毎日弾かれるんですか。

秋吉 ジャズは言ってみれば即興演奏だから、毎日寝てばっかりいてもできるわけがない(笑)。私は努力家です。天才なんかじゃないです。もともとの能力なんて、みんなだいたい同じじゃないかと思うんです。どれだけ頭を絞るかにかかっている。努力しないと前には進まない。寝てばっかりいて、前に行く人は誰もいません。前に行くには、どれだけ努力するかということにかかっている。そうしないと、自分がどこまで行けるか分からないじゃないですか。それは自分に対して不親切だと思うんです。“Be kind yourself(自分に親切に)”っていうのは、つまりは努力しなさいってこと。じゃないとどこまで行けるか分からないままなんて、自分に親切じゃないですよね。

努力することが、自分にやさしくすることだ、と。

秋吉 昔、私がアメリカに来た時はジャズクラブって夜の10時から朝4時までの6時間(演奏)だったんです。だいたい5セット。今みたいに2セットってことはないです。それだからこそ、チャーリー・パーカーのような天才が出てきたわけ。今みたいな2セットですごいプレーヤーが出てくるはずがないんです。

……すごい話ですね。

秋吉 特に最後の5セット目なんてものすごくつらいです。昔ね、自主コンサートのお金集めのためにホテルのラウンジとかで、こっちのPOPソングやブロードウェイソングを4時間くらい毎日2カ月間演奏したことあるんですよ。でも全然疲れない。曲を弾いてるだけだから。ジャズだとそうはいかない。聴衆との交流によって、その時の演奏自体が変わるから。頭も使って5セットなんてクタクタになります。

ジャズって格闘技みたいですね…。そんな秋吉さんが後進の音楽を目指す若い世代に伝えたいメッセージってなんでしょう。

秋吉 私はメッセージというのはないんです。結局、やる人間はやる。やらない人間はやらない。だから別に私に言えることはないんですね。

11月5日の「倫理友の会:年次総会」での特別ライブ、こちらでは何を伝えたいですか。

秋吉 まずお話を頂いて、演奏できることは大変うれしいし、光栄だと思っています。ジャズって誰にでも向いてる物ではないかもしれないですけど、でも、皆さんがお帰りになる時に、なんとなくでも気持ち良かったなぁと思っていただければ大変うれしいですね。

最後に、健康と若さの秘けつをお聞きしていいですか。

秋吉 ピアノを弾くっていうのは、全身使いますから、結構運動になるんですよ。ピアノわーっと弾いて、その後すごく気持ちがいい。体操したのと同じね。(笑)

 

★インタビューの舞台裏★ → ameblo.jp/matenrounikki/entry-12085211926.html

 

秋吉敏子(あきよし・としこ) 職業:ジャズ・ピアニスト
1929年生まれ。旧満州遼陽出身。日本に引き揚げ後、47年より九州の駐留軍クラブでジャズ演奏をし始める。その2年後、上京。53年ノーマングランツ来日時に、その卓越したピアノをオスカー・ピーターソンに認められ、56年1月バークリー音楽院に奨学生として渡米。50年代から日本と米国を行き来して活躍。その才能はバド・パウエル、チャールズ・ミンガスからも認められ、73年にルー・タバキンと結成したオーケストラは30年間の活動中に数多の名盤を生み出した。97年には紫綬褒章を受章、99年には国際ジャズの殿堂入りを果たす。グラミー賞へのノミネートは14回にわたり、その実力を確固たるものにしている。ことし7月、デュオ・アルバム「JAZZ CONVERSATIONS/ジャズ・カンヴァセイションズ」をリリース。最も権威あるジャズ・マスターズ賞(アメリカ国立芸術基金)を日本人として初めて受賞した。

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2015年10月24日号掲載)

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