【独占インタビュー】池松壮亮

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池松壮亮

BOUT. 308

俳優 池松壮亮に聞く

NY映画祭で出演映画「アジアの天使」上映 ライジングスター・アジア賞受賞

ニューヨーク・アジア映画祭での「ライジングスター・アジア賞(Rising Star Asia Award)」受賞おめでとうございます。

池松 何より(受賞したことで)作品にもう一度スポットが当たることがうれしいですね。この困難な時代に、なんとか日本と韓国、合作で作った作品が、また別のアメリカという国で評価されるって、やっぱり映画って面白いなって思います。受賞は、この映画にとってすごくプラスになるのではないかと喜んでいます。

今作は全編韓国ロケ。キャストもスタッフもほぼ韓国の方々でした。

池松 デビューが「ラスト サムライ」でしたので、外国の方に囲まれての撮影現場というのは、特に違和感はないですね。アメリカだと本当にさまざまな人種の方が(制作スタッフに)いたので。あとは数本、中国でも映画作りは経験しているので。

そう考えると、池松さんの俳優キャリアは世界中の現場を経験なさっています。

池松 今回の撮影の時も思い出しましたね。そういえばデビューの時も海外だったなぁとか…。でも、今回のコロナ(禍)も経て感じたのは、どこの国の映画だから、どうってことではないですね、もう。日本映画でもない、どこどこ映画でもない、グローバルな映画作りを目指していかなきゃなって。今は改めてそう思いますね。

なるほど。国ではなく、作品そのものが肝心だ、と。ただ撮影現場ではやはり日本で撮る時よりも、習慣や言葉での壁は感じられたのではないですか。

池松 やっぱり大変です(笑)。日本での撮影に比べると、圧倒的に大変なことは多いですね、外国では。今回は(共演の)オダギリジョーさんをはじめ、何名かの日本人スタッフと一緒でしたけど、それでも海外に行くと、自分は…なんていうか、圧倒的一人って体感しちゃうんですよね。なんて言うんだろう、本来の孤独、に、戻る、というか…。でも、その気持ちも含めて(作品に)投影できたらいいなとは思いました。旅に出る感覚に近いのだと思います。裸一貫で知らない場所で、文化も常識も違う中、一から人と、自分と向き合って、何かを構築していく。普段、日本でやっている時よりも、もちろん負荷も掛かるんですが、その分、豊かさと出会いとかけがえのない思い出もついてくるので。そこが海外で映画作りに参加する面白さかなって思います。

今作の出演オファーが来た時のお気持ち、出演を決定した時のお気持ち、どうだったでしょうか。

池松 監督の石井(裕也)さんとは、これまでも何本かお仕事をしていて、今、31(歳)なんですけれど、20代から一緒に歩んでくださった方なんですよね。一緒に映画祭に行ったり、一緒に映画を作ったり、いろんな対話を繰り返してきた人なので。そんな監督が今回、韓国側のプロデューサーを務めてくれたパク・ジョンボム監督に2014年に出会うんですね。釜山国際映画祭の審査員として2人が出会って、2人ともつたない英語でしゃべりながら、でもその時、お互いソウルメイトに出会ったような感覚があったらしくて。それで僕は翌年に、パク監督が日本に来た時に紹介されまして、そこから1年おきに交流が始まって、今度は僕たちが韓国に行ったり、またパクさんが日本に来たり…を繰り返していたんですね。映画というものを真ん中に置いて、人生の対話を繰り返すうちに、いつか海を超えた違いの記憶が映画になる日が来るんじゃないかなっていうことは、なんとなく思ってたんですよ。

先に今作の企画があったわけでなく、当初から関係があった、と。

池松 そうなんです。で、そうしているうちに、2019年に石井さんがそろそろやろうかって。当然、パクさんがこれまで見せてくれた、肌感覚で感じる韓国、スクリーンだけでは見られない韓国、パクさんの目を通して感じる韓国を頼りにやるしかないだろうと。それを基に石井さんが脚本を書いて…。それぞれの「違い」を超えて接近していきました。

池松さんにとっては、石井監督は特別な存在ですね。共演したオダギリジョーさんの印象はどうでしょうか。

池松 オダギリさんは、僕にとってはあまりにも特別な存在で。日本映画を支えている1人だと思うんですよ。日本映画史を引き継いでいるような俳優さんだと思います。そして、その日本を自分の体を通して、体現されていて、それでいてオリジナリティーにまで持っていっている。そういう意味では、世界と向き合ってきた方ですよね。今までそう接点はなかったんですけれど、今回、ようやくご一緒できて、とてもうれしかったです。

しかも、いきなり兄弟役でした。

池松 しかも、海外でね(笑)。オダギリさんは、オダギリさんで「韓国」を見てきた方ですから。いちいち2人で(演出を)聞いたり、話したりはしないんです。オフでは結構、じゃべるんですけれど、このシーンに関しては、こうしよう、とか、こう思っている、とか、は僕も聞くタイプではないですし。でも、さっき言った「違い」を超える、突破する力、ひいては映画との向き合い方を(語るのではなく、全身で)見せてくれたような気がして、とても勉強になりましたね。

今回の観客のニューヨーカーには、この作品を見て、何をどう感じてほしいとかはありますか。

池松 そうですね。アメリカ人から見たら、日本と韓国って近いように見えると思うんですよ。でも、文化は当然、違っていて。でも、顔の形とか、言葉の構成も似ていて、遠いようで、近い。そんな両国で、迷子になっている日本の家族と、迷子になっている韓国の家族が、なんというか緩やかな団結を目指す映画なんですね。そういう意味で、アメリカの方にはすごく楽しく見てもらえるんじゃないでしょうか。思想や宗教からくる分断が、行き止まりにきたところで、この映画は一つの答えを出す…。神なきところに何を信じるか、と言いますか、そういったところを見ていただきたいと思いますね。

「アジアの天使」(C)2021 The Asian Angel Film Partners

「アジアの天使」(C)2021 The Asian Angel Film Partners

池松さんは、これからも、日本にこだわらずグローバルな映画に出演され続けていくわけですね。

池松 やっぱりデビューが「ラスト サムライ」だったので、海外での活動にもともと抵抗がないですからね。12歳の時、それまで行ったこともない海外に、いきなり飛ばされて、ホームシックになりながら、大人たちとだんだん近付いていって、今回の作品じゃないですけど、言葉を超えて、ハイタッチや、ハグをしながら、どんどんコミュニケーションをとれるようになっていって…今でもその時の記憶は残っていますね。それでも20代は日本映画の力になりたいと思って、ずいぶん絞ってやっていたんですけど、30代を手前にして、コロナ(禍)も通って、世界がこういう状況であるっていうことも含めて、やりたいこと、やるべきことが広がってきたんじゃないかと思いますね。

必然だった感じですね。

池松 あとは、これまで日本って、俳優として、どうしても「世界進出」って言われ方をしてたんですね。それに対しても昔から、違和感のようなものがずっとあって。日本と世界を区切る考え方自体を、もう捨てていかないといけないんじゃないのかな、という気がしています。映画で自分がやれること、俳優で自分がやれるべきこと、グローバルな形で、どこでもいいから、やりたいところでやる、っていうことを考えていきたいなと思っています。

最後にミーハーな質問ですが、「ラスト サムライ」で共演したトム・クルーズさんの印象ってどうでしたか。(笑)

池松 あははは、もちろん今でも強烈に(記憶に)残ってますね。オーディションの際、「トム・クルーズに会いたいか」って大人の人に聞かれて「そんな人、知らないから行きたくない」って言ったんです(笑)。ほんとに田舎の少年だったので、映画自体そんなに見たことも多くなかったですし。それで、撮影のためにニュージーランドに入った日に、ものすごい量のプレゼントが届いていて。その全てがトムからだったんですね。

プレミアものですね。(笑)

池松 野球の練習があるからニュージーランドには行きたくないとか言ってたので、野球のグッズがたくさん置いてあって。(笑)

トム・クルーズからですよね。(笑)

池松 あと、外国人自体をテレビでしか見たことなかったので、最初の3カ月は、どの人がトム・クルーズか分かんなかったです。

トム・クルーズですよ!(笑)

池松 最初の1カ月は3人くらいいました、トム・クルーズが。(笑)

見分けがつかなかった、と。(笑)

池松 話しかけるたびに、「オレはトムじゃないよ」って。(笑)

世界一のスーパースターと、そのへんのスタッフを混同。(笑)

池松 でもね、絶対に最後まで帰らなかったです。自分のシーンが撮り終わっても、他の共演者の出演シーンが終わるまで、ずっと現場にいました。その姿は今でも残ってますね。プロフェッショナルなんですが、話すとすごく優しいんですよ。

数年前にも再会されましたよね。

池松 その時も、自分の親を紹介したら、「壮亮、お前、今から俺のヘリに乗ってちょっと遊びに行こう」って、親とヘリコプターに乗せてもらって。

プライベートヘリに!

池松 その時は、当時(の「ラスト サムライ」のこと)覚えているか、って聞かれたんですが、全然、覚えていないって答えちゃって。ほんとは全部覚えていたんですけど。でも、そういうことが記憶に残っているからこそ、今でも、僕は俳優を続けられたんだと思います。

重いセリフです。最後に、ニューヨークで頑張る日本人読者にメッセージをいただけますか。

池松 ニューヨークで夢を追えるなんて、本当に、素晴らしいと思います。いろんな夢がある中で、アメリカを選んで、そしてこういった厳しい状況の中、日本の方がアメリカにもたくさんいらっしゃって、そんな方々と出会うたび、僕はとても感動するんですね。まったく違う職種の方でも、ニューヨークにこういう日本人がいるんだなって聞くだけで、勇気になります。そんな人たちに僕がお返しできるのは、映画だけなので、映画を通して、そういう方々の記憶に残るような仕事をしたいなって思います。この困難な時代を一緒に、同じ日本人として、共に頑張っていけたらいいな、って思います。

「アジアの天使」のポスター(C)2021 The Asian Angel Film Partners

「アジアの天使」のポスター(C)2021 The Asian Angel Film Partners

 

池松壮亮(いけまつ・そうすけ) 職業:俳優
1990年生まれ。『ラストサムライ』(2003)で映画デビュー。14年『紙の月』、『愛の渦』、『ぼくたちの家族』で、日本アカデミー賞新人俳優賞などを受賞。17年、石井裕也監督『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』などでTAMA映画賞最優秀男優賞、18年に塚本晋也監督『斬、』で高崎映画祭最優秀男優賞を受賞。20年には真利子哲也監督『宮本から君へ』でキネマ旬報ベスト・テン主演男優賞、ヨコハマ映画祭主演男優賞などを受賞した。公開待機作は映画「ちょっと思い出しただけ」(22年早春公開予定)、映画「シン仮面ライダー」(23年3月公開予定)。

(聞き手・高橋克明)

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〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、1000人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

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