日本という国をハリウッド映画として作るのが夢
「ガチ!」BOUT. 146
2003年、あの映画「ラストサムライ」で渡辺謙の息子、信忠役に抜擢され俳優デビューを果たした小山田真さん。以降、米国を拠点に俳優、プロデューサー、親善大使、武術の師範とさまざまな肩書で活動している。近年は、文化交流活動やチャリティー活動も精力的に行う小山田さんに、“10年後の現在”を語ってもらった。(聞き手・高橋克明)
「ラストサムライ」でデビュー日本人俳優が語る映画論
「ラストサムライ」に出演されていた時は20歳(はたち)そこそこだったということに驚きました。
小山田 撮影が2002年だったので、そうですね。もう10年以上前になります。
公開から10年経っても、いまだにあの映画について聞かれることはイヤではないですか。
小山田 いや、全く。あの作品に感謝してますし、あそこから僕の人生の全てが変わったのは事実ですから。それにこの1本の仕事で認めてもらえただけでも自信になって、精神的な成長につながっていきましたので。何ていうんですかね。あの作品は伝説的になってると人からよく聞くんですよ。いい映画って一生残るじゃないですか。ブルース・リーの映画が40年経ってもいまだに若い世代に観られているように、「ラストサムライ」も日本の違った一面を海外に見せたという意味では代表的な作品だと思うんですよね。
それまではヤクザや悪役のイメージが強い作品が多かったですね。
小山田 あの作品で(本当の)日本の伝統文化を見せることができて、それまでのイメージをひっくり返せたと思います。
出演のきっかけはオーディションを受けられたと聞きましたが、その時のことは覚えてらっしゃいますか。
小山田 実は、あんまり(笑)。高校卒業して、渡米してすぐだったので、俳優の世界のことも芸能界のこともほとんど知らなかった状態だったんですね。オーディション自体、あまりよく分かってなかったんだと思います。当時はマネジャーもいなかったので、1人で行きました。
ハリウッド資本の大作ということは分かってらしたんですよね。(笑)
小山田 トム・クルーズの作品ってことだけは分かってたんですよ。でも、実感はなかったですね。世の中のこと自体、分かってなかったと思うんです。アメリカ人の友達の家で遊んでる時に、インターネットでオープニングキャスティングコール(誰でも受けられるオーディション)をたまたま見つけて、ヘッドショット送って、連絡が来て、で、1人で行って…(笑)。その1週間後には(合格の)連絡をいただきました。
まさにシンデレラ・ストーリーですね。
小山田 撮影がその年の10月からで、オーディションが8月でしたから。でも当時はそのすごさが分かってなかったです。(俳優を)10年、20年やってきていると、逆にそのすごさは分かったと思うんですけど。あとで倍率を聞いて驚きました。(笑)
20歳の強みですね。
小山田 そうですね(笑)。当時は(渡辺)謙さんも小雪さんも知らなかったし。日本映画自体観た記憶がなかったので。
………よく合格しましたね(笑)
小山田 ほんと、僕もビックリしました(笑)。普通に日本の高校を卒業して、普通にアメリカに語学留学に来て。もちろん俳優になるために来たんですけど、こっちで舞台の勉強をし始めころでしたから。
俳優になることは子供のころから決めてらしたんですか。
小山田 はい(きっぱり)。中学の時からジャッキー・チェンに憧れてて、まねをしてみたり、あだ名がジャッキーだったり(笑)。将来はアクションスターになりたいなぁってそれ一本でしたね。でも(故郷の)岡山からロスってかなり非現実過ぎて、最初は「青春18きっぷ」で東京に行ったんですよ。1週間の滞在予定だったんですけど、東京の満員電車に圧倒されて、いや、東京、やっぱ無理だなって(笑)。そこからはハリウッド一本ですね。
でも高校は進学校だったわけですよね。
小山田 担任にも「おまえ、なんのために(岡山県立岡山)一宮(高校)に来たんだ!」ってすごく怒られましたね(笑)。でも、日本の大学に進学っていうのはもう頭になかったです。もう決めたことなんで家族にも日本にはもう戻らないって宣言して。全て捨ててこっちに来たんで。
そこからわずか2年でハリウッドデビュー。実力ももちろんですが、強運ですね。
小山田 ただその2年は苦しかったです。ハリウッドに行ったはいいけど、泊るとこもなくホームレスみたいな生活だったので。英語も話せないし、知り合いもいない。土地勘も全くなかったですから…。それでも中国武術の稽古だけは週に6日、一日5時間欠かさずやってましたね。「ラストサムライ」の最初のキャストディナーっていう共演者みんなで顔合わせの夕食の時も、昼間は武道の練習だったんで、汗だくのまま遅れて行っちゃったんですよね。(笑)
その日くらいは休んでも(笑)
小山田 いや、稽古は何があっても欠かさないって決めてたので。で、(共演者の)皆さんスーツ着てるんですけど、汗だくのTシャツは僕1人で。
だと思います(笑)。いきなり新人に待たされたトム・クルーズの反応はいかがでしたか。
小山田 部屋に入って、最初にあいさつをしにきてくれたのがトムだったんですね。こうやって30秒くらい握手してくれて、ニコニコしてて、話しすぎかなって後で思うくらい話してくれて…何ていうのかな。これから共演する緊迫の握手じゃなかったんですよ。本当にウエルカムの友達感覚の握手だってことが手の平を通じて伝わってきたんですね。
汗だくTシャツの新人に。(笑)
小山田 そう(笑)。あれがビジネスライクな握手だと、また違ってたかもしれないですね。謙さんとは実はそこまで話してないんです。でもあの(親子という)役柄、逆にそれは良かったんじゃないかと。当時のサムライって父親ってある意味、神みたいな存在だったと思うんですよね。少し距離を置いてたからこそ、あの緊迫感がスクリーンを通して生まれたと思ってるんです。
ラストサムライの後もハリウッド映画での活躍にこだわってこられました。あの作品のネームバリューから考えると、当時、日本に戻ってきて俳優活動をしていれば、今よりもっとメジャーになっていたと思うのですが。
小山田 やっぱりハリウッド映画で僕は育ってきたので、ハリウッド映画に出演すること、関わっていることがすごく心地いいんですよ。満足感があるんですね。もちろん日本映画も将来的には考えてはいるんですが、それなら海外に進出できるような作品を作りたいし、出演したいですね。もう少しハリウッドの手法を取り入れて、日本の文化を、日本という国に関したことをアメリカ映画として作る。そういう手もあるんじゃないかなとは考えてますね。
俳優としての今後の目標を教えてください。
小山田 この先もずっと継続していくことですね。いい映画を作って、いい映画に出演する。あまり日本人をネガティブに描いた作品には出演したくないですね。映画によって自分はすごくいい影響を受けたので、次の世代にハリウッドでがんばりたいと思ってもらえるような作品に関わっていきたいです。
今後、共演したいハリウッドの俳優はいらっしゃいますか。
小山田 うーーん、誰かと言われば、レオナルド・ディカプリオの演技には一目置いてるところはあるんですね。ラストサムライの時も彼の演技をちょっと借りてやったところはあるので。髷(まげ)を切られて空を仰いで泣くシーンは、「ロミオ+ジュリエット」で彼が恋人が死んだ時にひざまずいて叫ぶシーンの感情を思い出してやりましたね。全てをなくした時の感情というか。サムライにとっての髷はあの時代それだけの価値も誇りもあったわけですから。
最後に在米の日本人読者にメッセージをお願いします。
小山田 自信を持つことが一番大切なんじゃないかなって思います。やっぱり海外で暮らすと日本人としてのアイデンティティーをすごく感じると思うんですよ。自分は何人でもない日本人なんだ、と。日本にいる時以上に感じると思うんですよね。そこに誇りを持って夢を追ってほしいと思うんです。日本の同世代の友達とは違う道に、ホントにこれでいいのかなって思ってしまう時期って必ず来ると思うんですよ。でもその時に、なぜ自分はアメリカに渡ってきたか。何回も自問自答して計画的に生きるってことが大事なんじゃないかなって思います。
小山田 真(こやまだ しん)
職業:俳優、プロデューサー、NPO法人代表
1982年生まれ。岡山県岡山市出身。2000年高校卒業後単身ロサンゼルスへ。03年武道の腕を見込まれハリウッド映画「ラストサムライ」で信忠役に抜擢されハリウッドデビューを果たす。05年には自身の映画企画・製作を兼ねた米映画製作会社「シンカ・プロダクションズ」設立。以降、多くのテレビ、映画に出演。08年世界の貧困に苦しむ子供たちやその家族への教育、衣類等の寄付援助、地球環境保護、国際交流活動など、幅の広い活動を目的とした米国NPO法人「シン・コヤマダ・ファウンデーション」(英:koyamada.org/日:koyamada.net)を設立。ことし8月には、日米相互の友好関係を深めることを目的とした日米ディスカバリーツアーを主催、米ディズニー・チャンネルのアイドル二人が国際大使として参加する。毎年ロサンゼルスで「全米武道祭」を主催し、主に武道奨学金、国際教育活動、震災支援基金、国際寄付活動などのチャリティー活動を行っている。岡山県国際観光親善大使。日本中国武術連盟師範。米国俳優組合(SAG)、米テレビラジオ芸能人連盟(AFTRA)会員。公式サイト:www.shinkoyamada.jp
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〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2013年5月18日号掲載)