人間の生きざまを教えてくれたのが、映画館だった
「ガチ!」BOUT. 153
日本映画界を代表する名優、仲代達矢さんが6月中旬、ニューヨークの映像博物館で行われた黒澤明監督の映画「乱」(1985年)の特別試写会に登壇した。試写会後、ことし役者生活60周年を迎えた仲代さんに、長い役者人生を振り返り、映画の撮影秘話や、黒澤監督との思い出、今後の活動などについてお話を伺った。(聞き手・高橋克明)
NYで特別試写会に登壇
上映後、会場総立ちで拍手が鳴り止みませんでした。ニューヨーカーのスタンディングオベーションをどのようなお気持ちで受け止められましたか。
仲代 こんなに多くのお客さんがねぇ、いらっしゃるとは思わなかったですから。ありがたいと思います。いいものってやっぱり世界共通なんですね。(撮影時)ちょうど私が50歳の時ですから、今80(歳)ですので、あれから30年経って、また新たな感動ですね、はい。ちっとも古くなってない。戦争に対する天から見た人間の業とか愚行、黒澤(明)さんが言いたかったことが今観ても伝わってきますね。ですから、何ていうんでしょう…………真正面でしょう? 斜めから見たり、上から見たりでなく、正面(の視点)で撮ってるわけですから、やはり迫力がありますよね。
本当に真正面でした。実は僕個人、黒澤作品を大画面で観るのは人生で初めてのことで、全く古い感じがしなかったことに驚いています。
仲代 DVDもテレビもいいんですが、やっぱり映画を観るのは映画館がいいよね(笑)。特に黒澤作品は。今回の大画面で観ようという一連のイベントに、「乱」を上映していただくというのは非常にうれしく思いますね。特にあの作品は撮影に1年間かかった大作ですから。準備期間にも半年以上、当時で30億円くらいかけてるんですよ。当時の日本映画では最高額なんですね。日本だけでは賄いきれないので、フランスやアメリカにも予算を出してもらって。まぁ黒澤さんだからこそ、出してもらえたんですけれどね。あの(映画の中盤で炎上する)城に4億(円)かけてますから。それを一日で燃やしちゃってね(笑)。で、衣装代が6億。馬(代)もそれくらいかかったと思います。あれは日本の馬じゃなくて、クォーターホースっていうアメリカから輸入した馬なんです。それをあれだけの数、そろえたわけですから。
今の日本映画界だと、ちょっと考えられないですね。
仲代 全然、全然。ありえないですね。なので、まぁその前の「影武者」もそうですし、黒澤さんの映画ってやっぱり絵の持つ力が違いますよね。黒澤さんにしても、僕の育ての親の小林正樹(監督)という「切腹」という映画を作った人も、それから木下惠介さんにしても、当時、日本映画が世界に冠たるところにあったころに、黒澤さんを筆頭に、皆さん力がありましたですよね。ちょうど僕が役者になって、育っていくっていう時期が日本映画の黄金時代と重なっていたというのは、やっぱり幸運だったんでしょうね。
そんなにすごい黒澤作品を、仲代さんはデビュー当初出演したくなくてしょうがなかったとお聞きしています。(笑)
仲代 はっはっは。いやぁ、最初にひどい目に遭いましたからね。(笑)
「七人の侍」ですか?(※注)
仲代 えぇ。そうです。もちろん今となっては黒澤作品に出て、良かったと思ってますよ(笑)。でも当時の(撮影の)仕方は今の若い人たちには考えられないと思うんです。リハーサルも本番同様やるし、(乗)馬の訓練もやらされるし。今の世の中は便利さというか効率性のみが重視されるようになってきましたから、映画芸術とか演劇芸術っていうのは生まれにくくなってると思うんです。観る側も自宅で(DVDで)観ることができちゃいますから。やっぱり劇場に足を運ぶってことがなくなっているのは寂しいことだと思いますね。
次の世代がわれわれの遺産を受け継いで、日本映画を復興させてほしい
当時は映画という娯楽が今より重要だったんでしょうね。
仲代 そうですね。観る側も作る側も余裕がありました。やっぱり人間の生きざまとか、生きていく方向とかわれわれは小さい時に映画館で習ったんですよ。単なるエンターテインメントじゃなかった。昭和20年、私はその時中学1年生ですけれど、日本が敗戦して、アメリカ映画、イギリス映画、フランス映画、外国の映画が全部入ってきました。僕たちは、もう3食を1食にしてまで映画館に通っていましたから。僕は教育もない人間ですけれど、映画で教育されたっていうのかな。「あ、こういう人生があるんだ、こういう生き方があるんだ」「こういう生き方したいな」とかね。映画には本当に教えられましたね。
今となっては映画館が教室になる風潮はなくなってしまいましたね。
仲代 今となってはね…。でもアメリカは未だにそうだし、特に韓国なんかは映画が盛んですよね。日本も少しルネサンスみたいなものが起きて、また映画が復興してくるといいと思いますけどね。黄金時代が戻ってくればいいなって思います。もちろん(今も)いい映画はいっぱいあるんですよ。でも、今日の(「乱」の)ようなスケールで、お金と時間をかけた映画っていうのは、もうできにくいかもしれないね。
上映後の観客とのQ&Aで「役者が演じる際、一番大切なことは脚本家の意思を理解することだ」とおっしゃられていましたが。
仲代 この作品は、どうして作られたか、っていうことなんです。まぁもちろん、楽しませるため笑わせるため、何でもいいんですが。やっぱり作家がどういうつもりでこの(脚)本を書いたのかっていうのを役者は理解しないと。いくらうまく演じても、全然違う方向に行ってしまいますから。
仲代さんの出演作品にメッセージ性が強いものが非常に多かったのは、ご自身が脚本の段階で、意思が見えるもの、意味があるものを意図的に選んでこられたからでしょうか。
仲代 そうですね、それがないものは出ません。単に役者として使われているだけだと、やっぱり演じててもつまんないですから。監督にしてもスタッフにしても共演者にしても、参加するって意識があって、共同でアンサンブルで作りあげられるものじゃないと。今日の映画だってね、馬が10頭じゃどうにもならないもんね(笑)。やっぱりあれだけの甲冑(かっちゅう)をそろえて、あれだけの人数をそろえて(ないと意味がない)……。(しばらく沈黙のまま熟考)映画って、作れば作るほど難しいんでしょうね…。大きく作ろうと思えばいくらでも大きく作れるんでしょうけれど、意思のないものは(意味がない)。まぁ、やっぱり、今日、本当にそう感じましたよ、うん…。黒澤さんすごいなぁとは思ってましたけど、今日あらためて観て、あぁやっぱり世界に冠たる人なんだなぁと。ある意味じゃ日本人の誇りだなぁと。だから日本人も、もっとね、私を含めて自信を持った方がいいと思うんですよね。
キャリア60年、いまだに現役の仲代さんの今後のやりたいこと、まだやり残したことはありますか。
仲代 もう、あんまりやりたくない。(笑)
(笑)
仲代 だって、ねぇ。ずいぶんと…60何年やってきちゃったんだから。(笑)
60年のキャリアと一言で言っても…。
仲代 だから、今日一日どうにか生きられればっていう年寄りです。(笑)
何てことおっしゃるんですか。(笑)
仲代 いや、いや、ほんとですよ。過去はもう消えたもの、ですから。もちろんこうやって映像として残されるのは非常にありがたいですが、舞台なんて一瞬のうちに消えちゃいますからね。だから、もう過去はなし。今日だけ。まぁ、明日もし生きられたら、また明日考えます。(笑)
舞台と映画のお話が出ましたが、これだけの出演作品の中、振り返ると、仲代さんにとっては演劇とフィルムどちらが大きなものだったでしょうか。もちろん比べられるものではないと思うのですが。
仲代 そうですねー、それはもう作品によりますねぇ。作品によって演技も違ってくるわけですから。ただ基本的にはですね、舞台をきちっとやっていれば映画はできますよ。それで映像だけ(をやっている人)だと、やっぱり舞台はちょっとできないですね。アメリカの俳優さんなんかは間違いなく両方ともできるんですよね。もちろん例外もあるでしょうけど、やっぱりできちゃうんですね。今もブロードウェーでトム・ハンクスが出演してますよね。いい役者ですものね。彼の舞台なんか観たいと思いますね。
年に一度はニューヨークにお芝居を観に訪れるとお聞きしました。仲代さんとニューヨークはイメージとして今まで結びつきませんでした。
仲代 僕ね、ニューヨークすごい好きなんですよね、ゴタゴタしているところというか、雑然としているところというか。あとはね、ブロードウェーですね。やっぱり芝居がうまいですもの、アメリカの役者はねぇ。日本の役者とは比べ物にならないですね。何ていうのかなぁ、俳優も映画も舞台も…お客さんの質まで違う気がしますね。かつての日本映画にも質はあったと思うんです。ただテレビの時代になって、落ちてきているような感じは受けますね。なので、次の世代が、僕らはもうどうでもいいんですけど、次の若い役者たちがね、いい遺産を受け継いでいかなきゃいけないと思うんです。黒澤さんとかが遺産を残してくれているわけですから。まずメジャーと呼ばれる映画会社がなくなってきたんですよ。例えば東宝とか松竹とか日活とか。なので小さくまとまってきちゃってますね。(最近は)映画といえば、アニメとか(書籍の)ベストセラー(の映画化)とか。もちろん、アニメもベストセラーも素晴らしいんですけれど、(それだけだと)かつての日本映画の勢いが(取り戻せ)ないんですね。
最後に在米の頑張っている日本人読者にアドバイスをいただけますか。
仲代 アドバイスなんてないですよ、もう。うらやましいと思います。頑張ってくださいだけですね。だって狭い日本なんかにいるより、うらやましいじゃないですか、ねぇ? はっはっは(笑)。世界は一つ、なんですから。
仲代達矢(なかだい たつや) 職業:俳優
東京都出身。1952年、俳優座演劇研究所付属俳優養成に入所。舞台「幽霊」のオスワル役で鮮烈デビュー。「どん底」「リチャード三世」「ソルネス」などの舞台で芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞、紀伊国屋演劇賞ほか、数々の賞を受賞。小林正樹監督「黒い河」「人間の条件」「切腹」、黒澤明監督「用心棒」「影武者」「乱」と日本を代表する映画作品に出演。テレビでもNHK「新・平家物語」「大地の子」ほか代表作多数。1975年から俳優を育成する「無名塾」(mumeijuku.net)を亡き妻・宮崎恭子(女優、脚本家、演出家)と主宰。
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2013年7月27日号掲載)