渡辺貞夫

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僕の「音」を楽しんで演奏活動をずっと続けていくのが夢

「ガチ!」BOUT.75

“ナベサダ”の愛称で親しまれ、デビュー60周年を迎える、日本が世界に誇るジャズ・サックス奏者、渡辺貞夫さん。日米文化交流を目的としたイベント「ジャパン・デー」出演のためニューヨークを訪れた渡辺さんに、ジャズマンとして歩んだ半生や、近年特に力を入れている国境や文化を超えた音楽活動についてお話を伺った。(聞き手・高橋克明)

 

NYで子供たちとイベントセッション
国境超え歌とリズムのコラボ 

ジャパン・デーでのコンサートは多くの子供たちとのコラボが話題になってます。(インタビューは6月5日)

渡辺 これからリハーサルで初めて(子供たちに)会うんですね。何しろ練習時間が短いので、期待もあるけど、不安だらけってとこですね。(笑)

コーラスとパーカッションを入れて総勢70人の子どもたちとのコラボです。

渡辺 日本の子供たちだけではなくて、国連学校や現地の子供たちもいて、そのみんなで日本語で歌うわけですから。う~ん、歌詞を覚えるだけでも大変でしょうね。

今回の出演オファーを快諾されたのは、やはりその子供たちとの共演が理由でしょうか。

渡辺 そうですね。昔、(大阪)万博の時に世界の子供たち400人くらいと一緒にやったんですね。そのときのミニ版みたいになればいいかなって思ってね。だから子供たちの元気な姿だけ見てもらえればいいかなとは思ってますけどね。

アルトサックスのイメージって、僕は勝手に夜のウエストビレッジとか、お酒を飲みながらカウンターバーで、とか想像してたのですが、今回は炎天下の真昼のセントラルパークです。

渡辺 そうですね(笑)。ただ、僕の「音」は僕の「音」ですから。場所は関係なく、僕の音を楽しんでいただけたらと思います。それ以外、ないしね(笑)。

間もなくデビューして60周年を迎えられます。77歳を超えられてますますバイタリティーあふれ、お元気な様子ですが、健康の秘けつなどありますか。

渡辺 なんっにもないです(笑)。仕事じゃないでしょうかね。好きな音楽を仕事にさせてもらってるわけですから。

音楽に話を戻すと、60年前のデビュー当時はサックスを手にすること自体、当時の日本では難しかったんじゃないかなと思うんですけど。。。

渡辺 僕は終戦の中学1年生までは外国の音楽自体、聞いた事もなかったんですね。当時は日本自体が軍国主義でしたから、聞くチャンスすらなかったわけですよ。

戦時中だとジャズは敵国音楽ですよね。

渡辺 ですから、終戦が決まった途端、進駐軍のラジオ放送なんかで西洋の音楽、特にアメリカの、ジャズ、ポップス、ハワイアン、なんかがね、一気に聞こえ出してきたんですよ。それが明るくてリズミックでねぇ。すぐにあこがれて、夢中になりましたよ。それで高校2年の時に買ってもらったクラリネットが僕の音楽生活の始まりなんですよね。

高校から始めたというと結構遅いですよね。

渡辺 全然遅いです。それまで何も知らなかったわけですからね。そこからも好きってだけで今日まで来たようなもんですけど。

50年以上日本のジャズ・シーンをリードされ続けて来たわけですが、今後の夢はなんでしょう。

渡辺 やはり、演奏活動をずっと続けていければってことですね。それだけかなぁ。僕はサックスを吹いてこそ僕なんで。

最後にニューヨークの印象を聞かせてください。

渡辺 初めて来た海外がニューヨークだったわけですよ。62年の夏に来てね。それ以来、僕にとってこの街は他のどことも違って特別な街なんですよね。なんともいえない期待感もあって、生きてる街って印象があるんです。空港から(車でマンハッタンに来る途中)摩天楼が見え始めると、「また、来たな」って気持ちになりますね。来るたび「面白い出会いはないかな」って気持ちにさせてくれる。うん、世界で一番面白い街ですよね。世界中から本物のアーティストが一番集まってくる街なわけですから。

「ジャパン・デー」でコーラスとパーカッションを入れて、総勢70人の地元の子どもたちとコラボをした=6月6日、ニューヨーク・セントラルパーク(©Tsuyoshi Toya)

「ジャパン・デー」でコーラスとパーカッションを入れて、総勢70人の地元の子どもたちとコラボをした=6月6日、ニューヨーク・セントラルパーク(©Tsuyoshi Toya)

 

渡辺貞夫(わたなべ さだお)

職業:ジャズ・サックス奏者

1933年、栃木県生まれ。高校卒業後、上京。アルトサックス・プレーヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、62年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠にとどまらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍している。写真家としての才能も認められ、これまでに6冊の写真集を出版。2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱した。公式サイト:www.sadao.com

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2010年8月7日号掲載)

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