震災から、強く芽生えた「どうにかしよう」という想い
「ガチ!」BOUT.121
現日本女子プロレス界のナンバーワンレスラー里村明衣子が、自身率いるセンダイガールズ=仙女(www.sendaigirls.jp)のメンバーとともに5月20日、「CHIKARA Pro Wrestling」のマンハッタン大会に参戦した。敗れはしたものの米女子プロレス界トップのサラ・デル・レイ選手との日米トップ対決に会場となった超満員のハイライン・ボールルームは大歓声。興奮冷めやらぬ翌日、里村選手に試合後の感想、現在の活動などを伺った。(聞き手・高橋克明)
チカラプロのNY大会に出場
昨日、試合が終わりました。今の心境はいかがですか。
里村 テレビでは見てたんですけど、アメリカのお客さんって本当に自分の感情を素直に表してくれて、実際に自分が(リングに)立ってみて、じかにあの歓声を感じるとやっぱりうれしいなって思いましたね。
日本のリングとは違いましたか。
里村 日本のプロレスファンだと、すごく奥深く見てくれる部分があって、こっちもどうしても構えすぎちゃうところがあるんですね。“いいものを見せなきゃいけない”っていう緊張が先に来るんですけれど、こちらの観客はそのままを受け入れてくれるというか、技が決まればそれだけですごい歓声をくれるし、それによって会場が一体になるし…。すごくやりやすかったです。
昨年末に来られた尾崎(魔弓)選手も同じことを言ってました。日本のファンに比べ、こっちのお客さんはマニアックになりすぎず純粋な楽しみ方を知っているって。
里村 あ、そうなんですね。
本人ほとんど酔っ払ってたんで覚えてないかもしれないですけど。アメリカでの試合は今回が初めてですか。
里村 16歳の時にオーランドで一度だけ「WCW」に参戦しました。その時はド新人すぎてあんまり覚えていないんです。右も左も分からないキャリア1年にも満たない時だったので。でもその時にもらった歓声がすごく気持ち良かったことだけは覚えてるんですね。それからずーっと、アメリカに来る日を夢見て、やっと今回、15年ぶりに実現したって感じです。やっぱり最初の(参戦時の)インパクトが強かったんだと思います。
対戦相手のサラ・デル・レイ選手の印象はいかがでしたか。
里村 やっぱり力が強かったです。(アメリカ人なので)当たり前のように身長が高いし、地の力が強かったですね。その分かなりダメージは残ったんですけど、でもリングに上がれば初めて顔を合わせた人なのに“プロレスで語れる”ってところが面白かったです。日本スタイルを好んでる選手っていう印象でした。
すごい角度からのパワーボムもやられてましたけど、その時は…。
里村 パワーボム受けたって感じですね(笑)。久しぶりにあんな高い距離からで。今の日本ではあんなに強烈なパワーボムを使う選手はいないので、(試合)やって良かったです。サラの方も自分と対等の選手がアメリカにはいないから日本からそのレベルの選手を連れてきてほしいと熱望してたみたいなので、すごく熱い試合ができました。
素晴らしい試合でした。ここで日本での活動についてもお聞きしたいのですが、里村さんが社長を務める「センダイガールズ」は東北を中心に活動されてらっしゃいます。昨年の震災時には解散の危機もあったとお聞きしていますが。
里村 その時は、解散するか(社長業を)私が引き継ぐかのどちらかだったんですよ。引退する選手も、退団する選手もいたので、今回(アメリカに)来た(自分も含めた)4人でやるかやらないかの選択を迫られて結局「やる」方を取ったんですね。
ある意味、一番大変な選択かと思います。
里村 ほんとにイチからだったんですね。道場も事務所もいったん手放して、家賃3万円の事務所に移って、電話をつなげて、パソコン確保して、そこからの出発でしたね。
仙女も、もう終わると思っていたファンもいたのではないですか。
里村 確かにその時は大会もキャンセルが続いて、試合ができない状態が半年くらい続いたんですけど、でも、その時東京の団体が皆さん協力してくれて。JWP(女子プロレス)さんは寮と道場を提携してくれて、うちの子たちは2、3カ月泊まらせてもらったりだとか、ほんと皆さんに助けていただきましたね。
解散という選択は一瞬も頭をよぎらなかったですか。
里村 よぎらなかったですね(きっぱり)。もっとキツイ思いをしている人や、もっとつらい思いをしている人がいっぱいいましたから。津波で家族を亡くされた人も、会社も自宅も流された人もいらっしゃる中で、そんな人たちが前を向いて頑張っている。じゃあ自分はというと、ついてきてくれる選手はいるし、体があればプロレスもできる、失くなってるものなんて何もないじゃん!って思ったんですよ。そう思えた時に続けていけるなって。逆にあの出来事で自分でどうにかしようっていう思いが強く芽生えたんだと思います。
ついてきてくれた後輩は里村さんにとっては特別ですね。
里村 家族みたいなものですね。(彼女たちが)自分について来てくれるって選んでくれた時点で、まず私はこの3人を守ろうって思いました。昨日、試合が終わった後、(仙台)幸子が控え室で「ほんとに続けてて良かった」って言ってくれたんですよ。「去年、あんなことがあったけど、続けてて良かった。あの時あきらめなくて良かったです」って。それを聞いてあたしの夢も一つ叶ったなって思いました。
彼女たちの試合もすごく盛り上がりましたね。
里村 すごい歓声を受けて!(うれしそう)日本と違うカルチャーショックを受けて、また来たいと言ってました。
最後にニューヨークの印象を聞かせてください。
里村 大好きです。大好きになりました。歩くだけでいろんな人種のいろんな国籍の方がいることが分かって、それだけで何か一つになった気持ちがします。世界が一つになったような気持ち。だから、また来たいですね。
里村明衣子(さとむら めいこ) 職業:プロレスラー
3歳から柔道を始め、中学時代には自ら柔道部を設立。県大会で優勝を果たす。当時、姉に新日本プロレスの生観戦に連れて行かれプロレスの存在を知って以降、プロレスラーを目指し、独自のトレーニングを続ける。旗揚げ戦前の「GAEA JAPAN」の第1期オーディションを受け、トップ成績で合格。史上最年少の15歳でデビュー以降、AAAW Jrタッグ初代王座獲得、Jrオールスター戦MVP獲得など早くから頭角を現す。2005年、師匠である長与千草の引退試合で20分間を超える激闘の末、勝利をつかむ。11年8月センダイガールズプロレスリング代表に就任。震災復興チャリティーマッチなどを展開。現在の日本女子プロレス界をけん引する。www.sendaigirls.jp/profile/satomura.php
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2012年6月16日号掲載)