特攻隊員ら祀る神社の歴史的な記憶が日本を守っていたことを振り返る
第70回例会(7月例会)
ニューヨーク歴史問題研究会は7月26日、第70回例会(7月例会)「靖国神社」と「国防」の意味─歴史的記憶の抑止力─」を開催した。来年創建150年を迎える靖国神社に焦点をあて、日本の国防という観点から考察した。講師は同会会長の高崎康裕氏が務めた。
まずは、核抑止力といった武力によるものだけでなく、もう一つの精神的で記憶的な抑止力が「靖国神社」の存在の中にあるのでないかとした。最近の日本周辺諸国の戦力を考えると「危機」という状態だが、「戦後70年にわたって攻め入られなかったのかなぜか」と問い掛けた。その理由は一言で言えば「神風特攻隊」のおかげではないかと、高崎氏は述べた。通常、敗戦国は戦勝国に見くびられるのだが、日本の場合、周辺国のスターリン、毛沢東、金日成ら独裁者は戦中世代で「神風特攻隊」の記憶が残っていた。それが「抑止力」となっていたとし、そうしたリーダーが世代交代でいなくなり、今の世代ではその“記憶”はないのが怖いと述べ、これからが本当の危機があると強調した。
その歴史的抑止力としての「靖国神社」を四季折々の写真とともに紹介した後、神社の歴史をなぞった。明治維新後、国内外の戦死者を祀(まつ)っていった靖国神社には名もなき人も、国のために戦ったということで敵方と言われた人も祀られているという。
いわゆる「靖国問題」については、その前に「日本から戦犯が消えた日」として、1952年に施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が翌年、全会一致で改正され、戦犯の遺族にも遺族年金と弔意金が支給されることが詳しく解説された。これは日本としては戦死も戦傷病死も戦犯による刑死も全て国のために犠牲になったとして、その扱いに一切の差をつけないと決定したものだという。こうして“戦犯”はいなくなったはずが、A級戦犯の合祀でもめることとなった。発端は中曽根首相(当時)が中国に配慮して靖国参拝を取りやめたことだという。それまで中国は合祀が明らかになっても日本に対し何も言ってこなかったのだが、この「参拝中止」を見て外交カードに使えると思い至り、意図的に外交問題に仕立てられたと高崎氏は述べた。
休憩をはさんで、特攻隊について詳しく解説された。レイテ沖海戦で初めて出撃した特攻隊は「神業の大戦果」を上げた。出撃する特攻隊の数々の写真や、「大戦果」を報じる当時の新聞が紹介されると、参加者らは、熱心に見入っていた。戦果は他国の資料から数字とともに紹介され、米海軍の死亡者を激増させた大きな要因となったことがうかがえると高崎氏は語った。攻撃を受けた米軍はパニックで神風ノイローゼに陥る者もいたという。
学徒出陣の様子が写真とともに紹介された後、特攻隊員の数々の辞世が読まれ、その中の一つにあった「すがすがし」という言葉に、「こういったことが書ける強さに感嘆する」と述べた。彼らが最期は靖国に祀られるということを期待し、理解していたという例として「靖国のお社(やしろ)より」と願う陸軍中尉の遺書も紹介された。当時、報道班員だった山岡荘八氏の質問に答えた特攻隊員の「勝てるとは思っていないが、講和の条件につながる」との言葉に、特攻は決して無駄死にでも強制でもなかったと強調した。
戦後、特攻英霊への評価は激変し、遺族は「軍神の母」から「戦争協力者の母」と一転、貧困のうちに亡くなったことが紹介され、こんなことがあってはならないとした。
首相の靖国神社参拝に再び触れ、靖国は日本における国柄の中核価値であるので、安倍首相は恒常的な参拝という理想を失わない現実主義を目指すべきとした。
靖国神社には、自ら「与える」こと、「ほどこす」こと、「ささげる」ことこそを良しとした人々がいると述べた。その価値を思い起こさせ、献身と自己犠牲は人を神にさせるという実感を認識させる聖蹟が靖国神社だとした。こうした歴史的な記憶が日本を守ってくれていたんだということを振り返ってみたと話を締めくくると、会場は拍手に包まれた。
(2018年8月11日号掲載)