世界の名門ホテルを訪ねて〈ハワイ〉
インターナショナル・ホスピタリティーインダストリー・スペシャリスト
ケニー・奥谷
久しぶりにニューヨーク・タイムズがハワイの話題を取り上げた。「約200年にわたり、ハワイの主要産業だったサトウキビの出荷が昨年で最後になった」というものだった。「トム・ソーヤの冒険」の作者で知られるマーク・トウェーンが「ここはサトウキビの王国。米国はこの恩恵を受けるべき」と記したのは1866年。ハワイがまだ王国の時代だったときのこと。その9年後の75年、米国は砂糖のフリートレード協定を結ぶ代わりに、パールハーバー(真珠湾)を取得した。
1950年代、ハワイの経済を支えた主な産業はサトウキビだった。一方で、急速に力を伸ばしつつあるもう一つの産業があった。言わずと知れた“ツーリズムインダストリー”だ。1898年、ハワイが米国の統治領になると、米国西海岸からの渡航者が増えだす。そして、1959年、50番目の州になったのを機に、ツーリズムインダストリーは爆発的躍進を遂げ、ホノルルでは、ホテルの建設が相次いだ。数多建てられる中、特殊な場所に建てられた超豪華ホテルが1軒あった。当初の名を「カハラヒルトン」いう。
カハラホテルの建設に選ばれた場所はワイキキの喧騒(けんそう)から逃れた高級住宅街の中。すんなりとは建築許可が下りず、獲得には住民投票を必要とした。そこは、まるでプライベートビーチのように静かな白い砂浜が広がる空間だった。このロケーションに最初に魅せられたのがハリウッドスターたち。プールサイドでは、多くのムービースターたちが憩いの時を過ごすようになり、地名のカハラとハリウッドがあわさり“カホリウッド”というニックネームまで生まれた。
建築に携わった人々は半世紀以上先の未来を見ていたのだろう。海に面して建つ鉄筋ビルだけでなく、ラグーンを造り、その周囲にコテージタイプの部屋を置くことで、ルームカテゴリーにバリエーションをもたせた。スイートを入れずに8種類ものカテゴリーがあり、毎回、違うタイプの部屋に泊まれる楽しみを用意した。広さも最低が51平方メートルと、今日でも珍しいほど広い。見上げるほど高い吹き抜けのロビーでは、おしゃれに着飾ったゲストが靴音を響かせる。フォーマルな服装の人を見かけるホテルはハワイでは希少な存在だ。ラグーンではイルカが飼育され、オアフで唯一、イルカと泳ぐことが楽しめるホテルになっている。
時代の流れとともに、ハワイを訪れる人々の顔ぶれも変わった。現在、米国本土から来る人々は、ホテル内でゆっくりと過ごす滞在を求め、オアフ以外の島へ行く人が多い。一方、ショッピングが大切な要素となるアジア諸国からの人々はホノルルを好む。そうした変遷の中、ザ・カハラ・ホテル&リゾートは「ここがホノルルのホテル?」と驚かれるほど米国本土からのゲストが多い。特殊な場所に建てられた超豪華ホテルは時代の流れに影響されず、変わらぬファン層に愛される珍しい存在であり続けていた。
〈筆者紹介〉
ケニー・おくたに:米国ホテル勤務歴22年。最後の10年間はニューヨークのプラザホテルでアジア地区営業部長を務めた。海外のホテルに詳しい日本人として、コンサルタント、文筆、講演&コメンテーター活動を行う。著書多数。