〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」

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マクロビオティック・レストラン(3)

「そうえん」がオープンしたのは一九七一年、――九十ストリートと九十一ストリートのあいだのブロードウェイに、カウンターを入れても四十席の鰻(うなぎ)の寝床のような場所で産声を上げました。
七十年代の七十二ストリートから上のブロードウェイは、カバン屋、書店、タバコ屋、花屋、クリーニング屋、靴修理屋、ラジオ、テレビなどの電気器具修理屋、肉屋、ヘアーサロン、よろずや(万屋)、レストランなどといった小規模店の多い、あまり垢抜けのしない通りでした。「ライブラリー」や「ティチャーズ・ツウ(too)」といったレストランもありました。「そうえん」にアルコールはおいていなかったから、仕事の帰りに友達や同僚と、あるいはガイさんに誘われて一杯飲みに寄ったものです。
「なんで、アッパー・ウエストサイドなんですか?」ウエスト・ビレッジなど、もっと相応しい場所があるだろうにという気持ちで訊くと、
「こういうレストランは住宅地のほうが向いている」
繁華街は家賃が高い。「そうえん」がオープンしたころの家賃は、私が引き継いだ七十六年から逆算すると月三百五十ドルくらいだったはず、―――いまは月何万ドルするから、じつに百倍近い高騰です。
「客も探して来る」
それはいえます。私も旅先などで、少々遠くても食べに行くほうですから。
ガイさんはマクロビオティックを「カルドロン」というレストランで習ったようです。イースト・ビレッジの六ストリートにあったレストランで、私も何度か食べに行ったから憶えているんですが、いちばん奥にはカーペットが敷いてあって、そこに靴を脱いで上がり、座って食べるのです。
オーナーがイスラエルに戻ってから三十数年がたちますが、いまでも「カルドロン」の話をする人に逢います。「昔、カルドロンというマクロビオティック・レストランがあったんだけど、知っている? いま君が出しているマクロビオティック・ラーメンのあたりにあった」
そうなんです。私も出してから気がついたんですけど、「カルドロン」は、ちょうど、そのあたりにあったんです。これも何かの縁でしょう。
(次回は6月2日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。

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