マクロビオティック・レストラン(12)
書店をクビになってしまいました。アップタウンの店を閉めることになったからですが閉めると告げられたのは閉店二日前。もっと早く言ってくれよ、と腹が立ったが黙っていました。言ったところで、法的には問題ない、と言われるだろうし、体育会系で腕っ節は間違いなくおれより強そうだったから。――女にふられたときと同じで、よりよい出会いのための勉強だった、と思うことにしました。つまり、くやしさをバネに変えたんだ。
仕事は、すぐに見つかりました。最後の日に雑誌を買いに来た近所の日本レストランのシェフ兼マネージャーのHさんが、「皿洗いでよかったら」と誘ってくれたのです。Hさんにはその後、ヨーロッパから戻ってしばらく居候させてもらったり、日本の文房具メーカーの仕事を紹介してもらったりと、いろいろ世話になりました。
夜はHさんの下で皿洗いをし、昼は「デリ・シティ」にまた戻りました。ふたつのレストランは休日が違っていたので、このころは週七日働いていました。週七日も働いたら、お金はどんどんたまります。本は読めなくなったが、この調子では早く目標に達しそうで、クビになって、かえってよかったかもわからないと思っていたら、一か月もしないうちに、またクビになってしまいました。日本レストランのオーナーが変わって、Hさん以外全員クビになったのです。(Hさんはしかし、自分だけ残るわけにはゆかない、と断りました。)
もうすこし暖かくなってから出発しようと思っていたので、また仕事を探すことも考えたのですが結局予定を早めて出発することにしました。
一九七二年二月中旬、ロンドンまで片道七十五ドルの航空券を買いに行きました。値段は『ニューヨーク・タイムズ』や『ビレッジ・ボイス』で毎日チェックしていたので、どこが安いか知っていました。もっとも二週間前はもっと安かった。五十五ドルでした。これは安いと思っていたら、あっと言う間に二十ドルも上がった。二週間前はしかし、まだ準備ができていなかった。一月末は、いくらなんでも早すぎる。あまり寒いと、ヒッチもできない。
大きな新聞に広告を出し、「ワールド・インフォメーション・センター」と頭に世界を冠するほどだから、きっと大きな旅行社だろうと想像していたら、実際は小汚いアパートの一室で営業するちっぽけな会社。ヒッピーふうの男が三人、机の上に足を投げだして雑談していた。電話はいちおう二台ある。その横に、メモ帳、分厚いイエローページ、マールボロと灰皿、それにウイスキーとグラスが数個。引き出しの中には、たぶんマリファナもあるでしょう。窓は汚く、外からの光も、空が曇っているせいもあって、ほとんど入ってこない。壁の教会から盗んできたらしい礼拝時間を告げる木札が殺風景な部屋の唯一の装飾品だったが、みょうにこの場所に馴染んでいると感じるのはヒッピーふうの男たちのせいでしょう。
三人の視線が、いっせいに私のほうに集まった。久しぶりに客が来たというのに、あまりうれしそうでもない。 (次回は10月20日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。