マクロビオティック・レストラン(24)
日記を書きはじめたのは八月一日からです。旅も五か月目に入り、東欧圏に入るのを前にマンネリ化した気持ちにカツを入れるために書きはじめたのでしょうが、八月一日を境に前後で印象がだいぶ違うんです。つまり八月一日以前は心に沁みたことしか憶えていないので懐かしい気持ちにもなるんですが、八月一日以降は苦しかったことが一つひとつが思いだされて、ちょっとせつない気持ちなんです。――どちらがいいかはわかりません。中高時代に書いた詳細な日記があるとしても、読み返したい気持ちに必ずしもならないのと同じではないでしょうか。
ヨーロッパに持って行ったお金は千ドル。ふつうに旅行したら、一、二か月でなくなる金額です。一日でも長く旅をつづけようと思ったら、ケチケチして使うしかありません。一日の予算を物価の高い国は五ドル、安い国は四ドル以下と設定しました。いまとは当然、物価が違いますが、それでも一日五ドルというのは、よほど意思が強くないとできません。
いちばんかかるのが宿代です。ユースホステルは当時、一泊一ドルから二ドルくらいでしたが、それでも一日の予算のかなりの部分を占めるので満員で断られたときは即野宿です。全行程の三分の一は野宿でした。
交通費も、ばかにならない。五ドルの予算など、へたしたら交通費で吹っ飛んでしまう。いちばん安いのは、もちろんヒッチハイクです。
食費も節約するために、りんごとパンと生の人参を食べていました。(粗食はマクロビオティックの原点です。)レストランに入ったのは、スペインとポルトガルくらい。一日の出費が食費だけ、――つまりエンゲル係数が百パーセントの日が何日もありました。(エンゲル係数が高い人ほど生活水準が低い、というのがエンゲルの法則です。ふつうは二十二、三パーセントです。)
一度、スペインの地中海に面する街のレストランで食事を終えて支払いをしようとしたら、もう支払われたと言われて、びっくりしたことがあります。同じレストランで食べていたパリから来ていた女子高校生の一団の一人が支払ってくれていたのです。ヒッピーのような男が米を一粒一粒、惜しむように食っていたんで同情したんでしょうね。女子高校生の一団に向かって頭を下げましたが他人を思いやる心情は、フランスの政治制度と関係があるかもしれません。 (次回は4月27日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。