マクロビオティック・レストラン(32)
H一家には熊ちゃんもいました。日向野さんとは東京の写真学校で知り合い、いっしょにニューヨークに来たのです。日向野さんも熊ちゃんも、ウォール街近くの同じ日本レストランで働いていました。日向野さんは外套などを預かるクローク、熊ちゃんはバーテンダーでした。熊ちゃんは同じレストランでウエートレスをしていたタイ人と結婚して子供もでき、しばらくはしあわせそうでしたが何年かのちに離婚しました。
同じアジア人同士で似通っているところがあるといっても、性格の違いや男女間の考え方の違い、あるいは文化の違いなどを言葉で埋めるとなったときに、ふたりにとって母国語以外の言葉、つまり英語がコミュニケーションの手段になるから、どうしても意思の疎通が母国語ほどにはうまくゆかない。
離婚したころは毎月の養育費が大変で、「そのために働いているようなもんだよ」とよくこぼしていましたが、その子供もいまは、そのころの熊ちゃんの年齢を超えているはず。時間はだれにも止められないから仕方がないんですが、考えてみれば、恐ろしくなるほどの時間の経過です。矢のように、というのは当たっているかもしれません。
バイオリニストは、ジュリアード音楽院に通いながらヨーロッパの伝統あるコンテストに何度か出場したが優勝するまでには至らず、「優勝するためには、天才かユダヤ人かゲイでなければだめらしい」と審査員にユダヤ人が多いのを嘆いていたが、それから何年もたって偶然、新聞で彼の名前を目にしました。ある交響楽団のコンサート・マスターになっていたのです。
Hさんは、私がヨーロッパから戻ってまもなく日本に帰国しました。彼はそのころ私たちのなかでは最年長で永住権まで持っていたが、アメリカにそのまま居つづけても、せいぜいレストランのオーナーになるくらいだからと早めに見限ったのです。私の友達のドイツ人女性も永住権を持っていたが、三十歳前に自国に帰りました。彼女からきたはがきに、〈いまは音楽事務所のディレクターをしている。It was a good move.〉と書いてあったのが印象的でした。Hさんは帰国後、日本と台湾で画廊を開いたと聞きました。 (次回は8月第4週号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。