マクロビオティック・レストラン(33)
ニューヨークに戻ってきて最初に得た仕事は、ウォール街近くにある「歌舞伎」という大きな日本レストラン、――そこで働く日向野さんと熊ちゃんの紹介でした。
ランチのバーは、三、四十人の人垣ができます。株のブローカーは儲かったときはチップを百パーセント置くかわりに大損したときは飲み代も払わないで、ウインクひとつで去ってゆきます。日本のビジネスマンはさすがに昼間からは飲まないが、アメリカ人は飲んでも影響がないと見え、日が高いうちからがぶがぶ飲みます。
午前十一時に入って入り口付近を掃除したあと、十二時のオープンと同時にぞくぞくと入って来る予約客を指定のテーブルまで案内するのが私の仕事でしたが、アメリカ人の姓は、Fitzgerald, Pergolizzi, Schaffzin, Weinkranzなどと憶えるのがむずかしい。日系アメリカ人のマネージャーが同種企業が隣同士にならないように配慮してつくったテーブル配置を、テーブルに置かれたカードで、たった十五分かそこらで全部憶えなければならないから、高校のとき生物や化学のカタカナ名が憶えられなくて受験科目から外したほど物覚えの悪い私には、一夜漬けで試験に臨んだような気持ちです。憶えた気がしても相手の名前を聞いた途端に頭が真っ白になる。それでも、そんな素振りはつゆにも出さず客を従え、テーブルのあいだをすり抜けながら横目で客の名前を探すのですが奥まで行って見つからないときは、さらに二階へと連れて行く。二階で運よく見つかればいいけれど、もし見つからなかったら、また下に連れて戻る。マネージャーに大目玉です。
友達が二人も働いていたから安心して働けると思っていたが、どっこい天敵がいた。第二次大戦中、日系部隊にいたというマネージャーGです。欧州戦線で戦ってきたというだけあって、規律、服装、言葉遣いに厳しかった。私は七か月の旅から戻ってきたばかりです。ヒッピーのような恰好の私が目障りで仕方がない。「髪を切れ!」と私の長い髪を引っ張ったり「靴が汚い!」と靴を蹴った。――殴られたと同じくらいのショックを受けました。 (次回は9月第2週号掲載
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。