NY摩天楼通信 VOL.3 本紙発行人・高橋克明
ニューヨーク、特にマンハッタンにおいてバスは「お年寄りが利用する交通機関」、というイメージがあります。慢性的に渋滞する街で忙しいビジネスマンが利用することは滅多にありません。乗ったが最後、横目で歩行者に悠々と追い抜かれていく速度を受け入れなければなりません。そのくらい、鈍(のろ)い。
先日、優秀なバスドライバーを表彰する記事を見ました。表彰された彼の持つトロフィーにはカタツムリのモチーフが。それくらい「ゆっくり進む交通機関」というのが、この街の共通認識です。
今朝、そんなバスに事故的に乗ってしまいました。しかもいちばん混み合う通勤時間帯。覚悟はしていたものの、やはりあり得ないほど進まない。僕も含め、乗客全員がイライラしていました。
事件はそんな時に起きました。車椅子に乗った年配の女性と、付き添いの30代くらいの男性が停留所で下車しようとします。当然、付き添いの男性が手を貸して迅速に対応するかと思いきや…。
「ママ! 頑張って! そう! 負けないで! もう一息!」と声援だけで、一切、手を貸すそぶりすらありません。力添えすればスグに下車できるところ、多くの通勤客を待たせたまま、声だけを出している。
これにはさすがの他の乗客も呆れ、一斉に注意し始めました。
「手を貸してあげなよ」「声だけじゃなくて、実際に助けなさいよ」と。
すると、彼は非難する声に向かい、涙目で、こう叫びました―。「僕だって、手を貸したい! それは簡単だ! でも、ママはこれからホームで一人暮らし、これから一人で何でもやっていかなきゃいけないんだ!!」と―。
え? それ、いま? する?
彼の理屈は正しいかもしれない。言ってること自体は間違っていない。
ただTPOでいうと、Tも、Pも、Oも間違ってる(笑)。明らかにおかしい。フレーズが正しくても、状況がとんでもなく正しくない。
「いい? アナタのご家庭の事情はわかるけど、これだけの人を巻き込む権利なんてないのよ」。近くにいた、白人のおばさんがやさしく説明しても、彼はピンときていないようでした。なぜなら、彼は「間違ったことを言ってない」から。
実はこの光景、ただの「おかしな朝の風景」で済ませられない重要な意味を含んでいる気がします。このアメリカ人のマインドに、僕は世界における今のアメリカ合衆国の立ち位置を見た気がしました。(と言えば大げさか)
かつて「ブッシュの聖戦」と言われた湾岸戦争以来、この国は「世界の警察気取りか?」と世界中から非難され続けています。おそらく、アメリカの大義は「世界を平和に」という正しいスローガン。核がない国を攻撃しても、民間人を巻き添えにしても、この国は、涙目で「正しいスローガン」(だけを)叫ぶ。彼のように。(それがまた誰が聞いても正しいスローガンだけに余計に厄介な気がします)。そして「正論」を叫んでいる時、「正論」だけに人間は気持ちよくなります。それは、実は「危険だから遠足はヤメましょう!!」と叫んでいるPTAのオバサンと変わらない。
「自己主張をハッキリするアメリカ人」を日本では割といい意味で引用されることが多いかと思います。
でも、それって「理はコチラにある」という内容証明みたいなもので、提出したからには好きなことさせてもらうよ、ってことにならないだろうか。その結果が建国以来の「戦争皆勤国」になってしまったのではないでしょうか。
「“ただの”正論だけで、周りを巻き込むなよ」―。
涙目の彼に、外国人として、この国に住まわせてもらってる僕の答えです。
(2016年9月3日号掲載)
〈プロフィル〉たかはし・よしあき 本紙発行人 過去400人を超える著名人にインタビュー。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」にて「NY摩天楼便り」絶賛連載中。
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