コーリン・ジャパニーズトレーディング代表取締役社長NPO法人 GOHAN Society会長 川野作織(11)

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父から母に宛てたラブレター

母が亡くなったので飛んで帰って、フランスから駆けつけた家族も待って、葬儀は9日後にしました。その間の8日間、母の棺と一緒に寝ました。なんだか日中は亡霊のようになってしまって、家の中をぐるぐる歩きまわっていたら、父から母に宛てたラブレターの束が出てきました。20歳くらい(62年前)から結婚する24歳までのラブレターが、食器棚の前のところの、すぐ分かるところにあったのです。茶色い便箋の束で、私はそれを全部読み、それで父と母の恋物語が分かりました。

ラブレターは全部、父から母に宛てたもので、ものすごくフォーマルでした。現代とは全然違います。母は戦後2年経って、祖母の実家がある五島列島に引き上げてきて、そこで父に出会いました。引き上げてきた後、母はやることがなくて、父が務めていた学校の代用教員になり、そこで父が色々面倒を見たのが出会いだそうです。1年後、父が東京の小学校に赴任して離れ離れになったのでそこからラブレターが始まっていて、父はただひたすら自分の日常を語っています。

いっぱい、いろいろと良かったのですが、一つ忘れられない内容は、夏休みの話です。「子どもたちと毎日顔を合わせることがなくなって、下宿にひとりでいます。ひとりになってはじめて、いつも自分がどんなに子どもたちに癒やされていたか、つくづく実感します。子どもたちがいない一人のこの下宿生活はとてもさみしい。早く夏休みが終わって子どもたちと会いたい」と書いてありました。クラスの子どもたちがいかに自分にとって大切な存在で癒やされているかを実感しているなんて、なんて優しい父なのだろうと思いました。しかもそれを綿々と書いていて、恋愛的な手紙ではないのだけど、ものすごく一途な、父の私が知らなかったそういう純情な気持ちがラブレターにあらわれていて、当時二十四、五歳だった若い田舎から出てきた先生としての父を思いました。

他には、あなたが東京に出てきたら、こういう生活になると思いますなど、間接的に東京に来てほしいなあということを母へ書いているのがかわいらしく、父と母のことをとても近く感じました。

(次回は8月17日号掲載)

kawano

かわの・さおり 1982年に和包丁や食器などのキッチンウエアを取り扱う光琳を設立。2006年米国レストラン関連業界に貢献することを目的に五絆(ゴハン)財団を設立。07年3月国連でNation To Nation NetworkのLeadership Awardを受賞。米国に住む日本人を代表する事業家として活躍の場を広げている。

(2019年8月10日号掲載)

●コラムまとめ●

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